2017/02/26

雲の上団五郎一座

 初映画は新文芸坐の喜劇特集。「南の島に雪が降る」との2本立て。有名なのに見る機会がなかったんだよなあ、2本とも。

 地元の親分(藤木悠)と団員との女のトラブルで興行先を追い出された雲の上団五郎(榎本健一)とその旅回りの一座。次の興行先へ向かう船で乗り合わせた「新しい演劇運動の精神」を熱弁する演出家の酒井(フランキー堺)と、その教え子で興行主の娘はるみ(水谷良重)と組み、「悲劇ラブミー牧場」を上演する。そのあまりの出来の悪さに興行主(花菱アチャコ)は倒れてしまうが、レコードのかけ間違いのトラブルが客に大受け。酒井は舞台をそのまま喜劇に転換、連日大入りにしてしまう。
 困ったのはライバル興行師で、自分のところの女剣劇には全然客が入らない。女剣劇一座は一計を図り、団五郎一座の中心の役者(由利徹ら)を飲ませて出演できないようにしてしまう。困った酒井は自ら「勧進帳」の弁慶を熱演。ついに大阪の大劇場から興行の依頼が入る。大阪でははるみのカルメン、酒井の闘牛士、団五郎の隊長による「カルメン」を初演、大当たりをとるのであった。

 懐かしの新喜劇大集成!(当時は「懐かしの」じゃないんだけど)みたいな映画。冒頭の小坊主(道成寺の扮装)とヤクザたちの墓地での追いかけっこギャグから始まって、あったあったこんなネタ!が満載。なにせ原作が菊田一夫だもんねえ。大阪の興行主が高島忠夫、倒れた興行主を診る医者は藤田まこと。三木のり平、八波むと志、佐山俊二と当時の喜劇人総出演。
 フランキー堺演じる演出家の酒井は、ことあるごとに「演劇の精神とは何か」と熱弁をふるう。もちろんこれは「演劇運動」のパロディなんだけど、酒井の「演劇の精神」は、「観客を喜ばせること」に収斂されていく。「大衆が求めているものはなにか」を誇らかに提示するところに、監督や脚本演出まで含めての「喜劇人」の矜持を見るわけだな。由利徹らが女剣劇一座に飲まされて劇場に来ず、酒井が自ら弁慶をやる、と言ったときに、団五郎らは止めるわけですよ。セリフも入ってないでしょう? それを酒井が「精神だ、精神があればできる!」と言って舞台に出て行っちゃうんですな。もちろん、セリフは字数だけを合わせたメチャクチャな、元祖ハナモゲラ語とでもいうようなもの。演出家だから段取りはわかってるんだろうけど、縦横無尽にグランジュテまでやってみせながら走り回る酒井に観客は大喜び。遅れて戻って来た由利徹らに団五郎は「何やってんだ、先生は精神だけで勧進帳やっちまってるぞ」ってね。ここまでくると、最初は高尚なはずだった「精神」そのものがもうパロディになってしまったともいえるし、逆に本来の演劇の精神に目覚めた、ともいえるのね。なにせ、最後のカルメンでは牛役の二人が「先生、この牛の精神はなんでしょう」って大まじめに聞きにきて、酒井をきょとんとさせるくらいで。カルメンの闘牛士の歌う「牛殺しの歌」も好きだなあ。

 それにしてもフランキーの弁慶は本当に必見。すごいよ。

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2017/01/15

熱海梅園(ほかの巻)

 正月3日に行った熱海梅園のうち、梅でないものいろいろ。

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 河津桜は有名ですが、こちらは熱海桜。ちょっと検索したら「カンヒザクラとヤマザクラとの雑種と推定」されてるそうで。まだぽちぽちでしたが、駅前でも咲いてました。


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 ソメイヨシノよりもちょっと色の濃い寒桜系の桜が好きですね〜。


 熱海梅園の中にある韓国庭園。

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 こんなんあったかな? と思ったら、2000年の熱海での日韓首脳会談のあとに作ったんですな。熱海市のHPによると2002年に「日韓の友好と世界の平和が永久に続くことを願い、朝鮮時代の伝統様式と手法を取り入れた庭園を整備」とある。

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「韓国庭園は日本の庭園のように限定された空間で完結するスタイルを取らず、自然景観の結びつきを大事につくられ、庭園空間を「内庭」とし、それを支える外部の空間を「外庭」として空間構成されています」とのこと。なかなか興味深い。

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 こういう取り合わせ。金大中の名が出たとたんにツレアイのテンションがあっぷあっぷ( ̄▽ ̄)。森総理(当時)が「友好」、金大統領(当時)が「平和」を揮毫したもの。2人で庭園内を散策して歓談したとか。何の話してたんだろう。

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 こちらは朝鮮人女性飛行家(民間)、朴敬元氏の記念碑。1933年に日本海横断飛行に挑んだ途中、熱海山中に墜落死したのを悼んだもの。こうした地元の人々による救難・追悼というのは、人としての素朴な気持ちの発露だと思うのですが、昨今それが「日本人スゴイ」に回収されがちなことに大きな不安を持っています。ここの碑は、2002年に建立されたこともあってかそういう傾向がなくてほっとしました。そんなことでほっとしなくちゃなんないってのも、本当にどうかと思うんですが。

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 山吹にしては時期が、と思ったら黄花亜麻というのだそうで。中山晋平記念館の前に咲き乱れておりました。

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 臘梅もシーズン。

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2017/01/04

熱海梅園(梅の巻)

 というわけで迎春なのですが、今年はどうなることやら。

 いろいろ積み残しはありますが、とりあえずこの正月、2日に東伊豆は宇佐美温泉に1泊。3日に行った熱海梅園の様子などを。

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 こちらは早咲きの梅が11月下旬に開花し始め、遅咲きのものが3月までと、長期間に渉って梅を楽しめるそうで、早咲きの木はかなり花をつけてました。梅まつりは1月7日からとて、イベントなどはありませんでしたが、正月だからか入園料(300円)が無料に。

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 お天気もよく、暑いくらい。


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 ツレアイによると、沖縄には梅はないらしいんですよΣ( ̄ロ ̄lll)! 梅は北のものらしい。というか、ツレアイの「北」の概念が変わってたよΣ( ̄ロ ̄lll)!

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 正月らしく、紅白で。

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 実家の前が梅林(食用なので白だけ)だったこともあって、桜よりも梅の方が好きだったりします。匂いが好きなんですよねえ。ええ、1年梅組だったこともありましたっけねえ……(*゚ー゚)。

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 梅じゃないものはまたのちほど。

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2016/12/18

東バくるみ3連戦 その1

 もう今年もカウントダウンに入りましたなあ……。今年は廃業と手術とで、ほかのことはあまり手に付かなかった一年でした。って、もう総括してますけど。なんというか、「書く」ことから逃げ続けた年、という気もします。もうただなにもしたくない、という日の方が多かった。

 てな具合に愚痴っていても仕方ないので、東バくるみ3連戦から。

 演出の変更としては、雪のワルツが女性のみになったとこだろうな。男子がジュテで半分まで行ってターンして戻るところは(というかほかに何があったかよく覚えてないんだけど)、女性ダンサーがジュテでいろんなフォーメーションを作るような感じになっていました。いやー初日は「あれそういえば男子は? この音楽、男子のジュテだよね? あれ? 終わっちゃうよ、あれ?」って、あれあれ言ってる間におわりました( ̄▽ ̄)。確かになくても別になんの問題もないというか逆にすっきりするというか。あははは。あの乾闥婆みたいなかぶりものをつけたブラウリオくんが見たかったのにな( ̄▽ ̄)!

 細かい所だけど、最初の招待客が通るところで、ママ友2人がそれぞれ娘を連れてるのにおしゃべりに夢中になってる組、娘に「もう時間が」って言われて「きゃー」ってなるとこ、前は4人万歳だったのが、ちょっと自然な感じの振りになってたような。しかし謎の3人組は相変わらずでちょっと安心。
 しかしあの招待客の行き帰り、女性は大人も子どもも全部パドブレで、あれだけぶつかったり引っ張ったりしてるのにトゥ落ちの人がいないって、何気にすごい気がする。無駄にすごい、という気もしないでもないけど。

 女の子の衣装も新調したのがあったような気もするけどどうだろう。よく阪井さんがきてた水色にピンクのリボンの衣装はまだありました。くるみ割り人形の衣装も、シムキンの日は真ん中に星のない、胸も紺がメインになったものに変更。ねずみとの戦いでのシムキンの衣装もそうなってたんだけど、中日の秋元さんは今まで通りのを着てたと思うので、どういう変更なのかよくわからない。シムキンの自前ってはずはないよねえ( ̄▽ ̄)。GPDDは、シムキンは自前だろうけど、秋元さんの衣装もいつもの水色の入ったやつではなかったような。

 プロジェクションマッピングも、前回から大きく変わったところはないんじゃないかな。序曲でねずみの乗り回す円に50周年の(50)がなくなったけど(当たり前だ)。あのネズミがすごく好きなんだけど、メイドさんがネズミを見つけても「きゃー」とか言わずに、いきなりはたきだかほうきだか持っておっかけてくのがいいよね( ̄▽ ̄)。メイドさんもプロ。
 あとツリーに星をつけたところで、ツリーが緑色に光るのも好き。あの古い幕絵がこんなにきれいに……( ̄▽ ̄)。クララの家の窓の光とか、回りの木に積もった雪とか、派手じゃないけど細かい所でプロジェクションマッピングが使われてて、徐々に色が変わったりするのがまたいいんだよな。古い(愛着もちょっとある)装置を変えずに印象が変えられるのがいいなあ。予算的にも、新しく幕を作ったりするよりは安くすむんだろうか。あれ、以前の白鳥や眠り同様に、例のバレエリュスのベノワの息子の装置と衣装なんだよねえ。白鳥を依頼したときに、最初ちょっと難色を示したけど「チャイコフスキー記念」って聞いて
それは頑張らねば!」と張り切った挙げ句、出来たのがあれ( ̄▽ ̄)、というのを白鳥の昔のプログラム(オクで買った)に載っていたのを読んだ記憶が。あれか、息子のベノワ、親父が前衛すぎた反動でメルヘンになっちゃったんだろうか。
 それはともあれ、全体の雰囲気づくりや、装置の補完、場面転換のつなぎなど、踊りをじゃましない(踊りに直接からまない)構成になっていて、奇をてらったり「映像が主役」になったりしない、センスのよい投影になってます。これは導入して成功だったねえ。

 ちょっとだけだけど取り急ぎ。

 

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2016/11/27

術後2ヶ月と3週間め+尿漏れのお話

 全然何も出来てないですが、とりあえずなんとかやってます。このところ急に寒くなってますが、冷えると確実に腹にきます。「腹を切った」傷は眼で見えるのでどこだかわかりますが、腹の中の切ったところはどこだかわからないから、痛いのが傷なのかどうなのかイマイチわからない。先日の雪の日には、腹の外側の傷から逆三角形にキリキリ痛かったので、これはモロに「切ったところ」だったと思われ。

 退院してから2度ほど、転げ回ることもできないくらいの激痛に見舞われました。へそ下から腹の前半分が、それこそギリギリ痛くて、身体真っ二つに折って耐えるしかない、て感じの。はじめは腸にきたかと思い(開腹すると腸閉塞のリスクがあるので)、トイレに座って真っ二つに折れてたんですが、なんの解決にもならず、夜遅めだったこともあって、布団に入って寝てました。
 2度目の時は風呂にお湯を張っている最中だったので、とにかく風呂に入らねばという貧乏性が功を奏したといいますか( ̄▽ ̄)。風呂に浸かっている間に徐々におさまっていったので、ああこりゃ冷えてたんだなあ、と。以来、寝る時は靴下、街頭行動の時は短いレギンスを穿いたりと気をつけてはいますが、ホットフラッシュといいますか「ほてり」との兼ね合いもあって難しいところです。

 そのホットフラッシュ、卵巣も両側全摘してるのでバンバンきてもおかしくないところですが、これはむしろ手術前よりも減っています。もっとも、単に外気温が下がったせいかもしれません。全然なくなったわけではないので、今年もセーターいらずになりそうです。食事の後に体温が上がっていた(←2度くらい平気で上がる)のは、貧血による代謝系ホルモンのがんばりすぎでは、という説もあったのですが(健保の内科医の説)、これはなんとなく落ち着いている感じです。

 排尿痛は一月くらいでおさまり、今はなんともありません。その代わりというわけではないですが、どうやら「過活動膀胱」というものになっているようです。泌尿器科の診断は受けてないので、ものの本診断みたいなもんですね(←本当はよくない)。ものすごく雑にいうと、膀胱がまだいっぱいになってないのに「今出さないと漏れちゃうよう」と言い出すような感じで、実際に「切迫性尿失禁」(もうちょいでゴール、というところで起きる尿漏れ)が起きたりします。自分も、退院直後は尿意で目が覚めて、起き上がったところで「ぴゅ」ということがよくありまして、1ヶ月検診の時に先生に言って、抗コリン剤を処方してもらいました。対処法としては、尿意を抑えて膀胱をコントロールする訓練があります。「さっき行ってから間がないから、まだいっぱいになってないよ!」と言い聞かせるわけですな。

 あと、これはまた違う原因のような気がしますが、排尿の後に立ち上がったとたんに「ぷにゅ」みたいに出る/出そうになることがあって、トイレに何度も立ったり座ったりを繰り返すことがありました。ちょうど、蛇口を閉めてもホースの中に残ってた水が、はずみでちょろちょろ出てきちゃうみたいな感じですね。これは自分で出口をぱこぱこして中を抜く技を開発しまして( ̄▽ ̄)。しかし、ちょっと急いでたりすると、今でもやっちまったりすることもあります。

 そんなこともあって、最初は余ったナプキンを、それからいわゆる尿漏れパッド(今は「吸水ケア」という名前で売られていることが多いみたい)の小さいのに切り替えて、2ヶ月めくらいまで使っていました。ナプキン型とライナー型とありますが、なかなか快適です(こんなヤツ)。やっぱり専門品にまさるものはないな。ナプキンと同じ売り場で同じようなパッケージで、値段もそれほど変わりません。
 今は、夜中に2時間おきにトイレに行っていたのも4時間おきくらいになりましたし、かなり落ち着いてきたので、何かで長いことトイレに行けないかも知れないときや、がっつり寝そうな休日前の夜とかだけ使っています。あとは念のために1、2枚、ポーチに放り込んで持ち歩いています。

 それと、実は2年くらい前から、咳き込んだり吐いたりするときに「ぴゅ」っといく、「腹圧性尿失禁」というのはあったんですね。最初のエコーで「筋腫で大きくなった子宮が膀胱を圧迫してる」とわかったときに先生に「トイレ近いでしょ?」って言われて、「年のせいかと思ってました( ̄▽ ̄)」って言ったんですが、ついでに「咳き込んだりして尿漏れするのも治りますか?」って聞いたら「それは年のせいだから治らない」って答えでして。しかし、きれいさっぱり治っちゃいました( ̄▽ ̄)。
 こちらの原因は主に骨盤底筋という、骨盤の下で子宮や膀胱を支えてる筋肉の衰えなんですが、経産婦さんの場合は出産でその筋肉が伸びちゃってたりするので、若い人にも多いそうです。

 ことほどさように、子宮と膀胱まわりは密接な関係にありまして(お隣さんだもんね)。子宮筋腫の手術も年齢だけではなく、膀胱の具合をみて判断する方向になりつつあるそうです。最近では「婦人泌尿器科」という外来もあるとかで、もっと普及するといいなあ、と思います。

 あ、あとお通じがすごくいいです。前から詰まる方ではなかったですが、ほとんどいきまなくてもするするいくように( ̄▽ ̄)。臓器が減って、腹の中に余裕ができたのかしらん。

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2016/11/16

入院グッズその1

 入院の時に何が必要かは、病院でいろいろ指示してくれますが、それでもやっぱり迷いますよね〜。自分も入院前に経験者の方のサイトをあちこち見て買いそろえました。
 ということで、ここでは自分が使ったもの、あればよかったものをリスト化してみます。

【病院から指示があったもの】
 ・パジャマ  病院によって指示がいろいろなので、結構悩むところです。自分のところは「TシャツでOK」だったので、下着なしでも透けないような濃いめの色のTシャツを予定日数分と、スウェットの下(家でもパジャマにしてるもの)1枚、寝間着にもできるが外にも着て出られそうな薄いデニムの長キュロット1枚を持っていきました。Tシャツは朝起きたら新しいのに着替えて、夜はそのまま寝る、というサイクル。9月初めでまだ暑かったのと、前から寝汗がひどかったのでそんな感じで。下は、寝る時はスウェット、朝起きたらキュロットでなんとなくメリハリをつけてみました。ただ、麻酔だの点滴だのの管がついてるときにTシャツに着替えるのは意外と難しいので(からまって看護師さんにレスキューしてもらった ( ̄▽ ̄))、術後すぐは前開きの方がいいです。自分は、ちょいと羽織る用に持っていった厚めのデニムのシャツをつなぎに着てました。
 病院でも貸し寝間着があって、1日100円でした。毎日は洗濯してくれないみたい。

 ・パンツ 腹を縦横どちらに切るか決めてなかったので、縦切りでもよいようにへそ上ゆるゴムのを持っていきました。結局横に切ったので傷がゴムに当たることはありませんでしたが、術後びっくりするくらい腹(へそ下)が腫れてほぼムーミンになったので、あまりぴったりしたものでない方が安全な気がします。サニタリーショーツ指定のところもありますが、自分のところはありませんでした(割とフリーダムな病院でした)。どちらでも、術後何日かはナプキンを当てることにはなります。

 ・ブラ 実は術後はほとんどしてませんでした( ̄▽ ̄)。婦人科病棟だから、男性は医者と面会者だけだし、自分の面会はツレアイと女友達しか来なかったしなっ。

 ・靴下 冷えると腰にくるので、寝る時含めて大体履いてました。

 ・サンダル これも病院によっていろいろなようです。日頃愛用している無印良品のサンダル(すごく履き心地がいい)のを、新調していきました。

 ・タオル&バスタオル これはまあ適当に。

 ・風呂/洗面用品 シャワーが浴びられるので、旅行用の洗顔フォーム・ボディシャンプー・リンスインシャンプーと身体を洗うタオルないしスポンジ。あとはヘアブラシ・歯磨きセット。旅行用ボディシャンプーがなかなか売ってなかったのが意外。結局コンビニにあったけど、ドラッグストアにはないものなのなー。ドライヤーは洗面所備え付けのもの意外は使用不可でした。入院中は基本メイク不可ですが、退院するときに使う人はそれも。

 ・電子体温計 これは院内感染の予防のために必須になっているところが多いようです。

 ・マグカップ的なもの 廊下の給茶器が使えました。タンブラーが便利という方がいらしたので、保温タンブラーを持っていきました。確かに便利でしたが、給茶器にちょっとつっかえた( ̄▽ ̄)ので、あまり背が高くないヤツの方がいいみたい。フタは必須。自分は暑かったのもあって、水ばっか飲んでました。術後すぐはストローもあった方がいいかも。

 ・箱ティッシュ これは病院から指示がありました。実際、結構使います。持っていくのは面倒だったので、病院近くのコンビニに寄って買っていきました。

 ・生理用ナプキン 「夜用の薄型でないヤツ」との病院からの指示。手術前にひとつ、看護師さんに渡しておくと、手術後の麻酔がかかってる間にT字帯にセットしておいてくれます。術後、尿はカテーテルで抜きますが、ほかのものは翌朝まで垂れ流しになるので、「夜用の薄型でないヤツ」が要ります。というか紙オムツの方がありがたかったような気もします(病院によってはオムツらしいです。あと事前に浣腸するところもあるみたい)。翌日からは出血の具合次第。自分は全摘だから新しく買って余ってもなーと思って、手持ちのナプキンを(昼用から夜用、コンパクトタイプまで)詰め合わせて持っていったら、看護師さんが「いろいろあるわね〜」と笑ってくれました( ̄▽ ̄)。全摘の場合は子宮と膣を切り離した傷を縫ったところから出血してきますが、自分はたいした量ではなかったです。結局翌日は(大事をとって)夜用薄型1枚、以後は昼用薄型1枚×日数ですみました。

 ・T字帯&腹帯 T字帯はこちらのエントリにある通り。腹帯は「開腹の場合」と書いてあったので、腹腔鏡だと要らないのかな。どちらも病院の売店で買いました。ちなみにT字帯432円、腹帯(フリーサイズ・マジックテープ式)1458円(税込み)。

 ほかに、印鑑、現金、健康保険証、限度額適用認定証、各種書類(同意書など)が要ります。入院保証金は10万円(健康保険の場合)で、クレジットカードが使えました。退院時精算でおつりが来ましたよ( ̄▽ ̄)。ちなみに同意書ですが、うちのツレアイは「事実婚の上に別居」という法的にまったく他人なんですが、問題はありませんでした。

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2016/11/14

「あれぐろ・こん・ぶりお」が閉鎖になりました

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 全然頭が回らずに、こちらの方は更新できてませんが、いやまったくもうどうしたらいいのやら。

 こちらの「本館」となっていた「あれぐろ・こん・ぶりお」のサイトですが(誰か覚えてるんだろうか……)、Niftyのホームページサービスの停止に伴って、閉鎖となりました。2004年2月29日の開設以来、沢山の方にお世話になりました。映画や本などのログは大体、格納庫(こちら)の方に移行したのですが、バレエの関係は量が多いこともあって、あんまり移してないんですね。ただ、ログは全部落としてあるので、……えーと、いつ作業するんだそれ。

 これから3月に向かって、仕事の方はひどいことになりそうです。3月末日をもって会社そのものが廃業することになり(というのは今年早々に発表になっていたんですが)、50名ちょっといた正社員も40人を切りました。人が辞めても補充ができない状態で年末/年度末の修羅場を乗り切らないとならないことになります。まあ、いきなり手術に踏み切ったのもそういう理由もあったんですな(健康保険があるうちに全部終わらせないと、ってことで)。

 そんなわけで、こちらもまだしばらくはあまり更新できないかも知れないですが、できればもう少しなんとかしたいとは思っています。「失業日記」とか、やだなー。

 写真は神保町シアターのゴジラ特集で。

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2016/10/28

手術当日(術後)

 いやー、光陰矢のごとしてかなんてか、術後8週目になろうとしています。もう膀胱回り以外は大体平常運転です。まだちょっと、傷そのものよりも傷の上(腹の出っ張ってる辺り)の硬くなってるところに何か当たると痛いですが、「すごく痛い」というほどではなく「いてっ(-゛-メ)」くらいのところです。硬い部分も小さくなったし。

 さて、2日のエントリに続き、術後当日のお話。

 「気がついた」時のことは全然覚えてないんですが(それは「気がついた」といえるのか)、ベッドに移し替えられた記憶はないので、すでに手術台から可動式ベッド(病室据え付け)に移動されていたのだと思います。ベッドに乗ったままゴロゴロと移動し、エレベータに乗ったのはなんとなく覚えてる。エレベータから出たところで、ツレアイ(エレベータ前の待合所にいた)と合流して、病室の定位置に戻されました。そこで、担当医の先生から取った子宮の写真を見せられつつ手術の経過も聞いたのですが、朦朧としてて、あ、輸血はしなかったんだな、というのだけしか覚えてないし、一緒に聞いていたはずのツレアイも、後できいたらほとんど覚えてなかったような( ̄▽ ̄)。仕方ないので、これは後日、検診の時にいろいろ聞き直しました。

 まあとにかく朦朧としてるんですが、13時に手術室に行って、帰ってきたのが16時頃。麻酔はガンガンに効いているので、下腹部全体がどんより痛い、みたいな感じでした。点滴はまだ入れっぱなし、硬膜外麻酔も背中に入りっぱなしです(テグスみたいな細い管で、背中にテープで留めてある)。あと尿道カテーテルが入ってましたが、翌日抜くまで存在すら気づいてなかったという( ̄▽ ̄)。痛くなったら背中の痛み止めが追加で入るボタンと、ナースコール用のボタンを手元にもらって、とにかく寝てました。あと、口がすごく渇くんです。口からの麻酔の副作用的なものらしいのですが、翌日まで飲み食いは厳禁。看護師さんが、水を飲み込まないように口に含んでみて、と紙コップに濡れたガーゼを入れて持ってきてくれましたが、絶対飲んじゃうなあ、と思って唇の周りや歯を拭くのに使いました。それだけでも冷たくてすごく気持ちよかった。その後、夜の看護師さんにうがいをさせてもらって、だいぶさっぱり。起き上がれないので、横向きに寝た口元に容器をあてがってもらってのうがいです。

 しかしなんといいますか、本当によく寝た(笑)。消灯前に看護師さんが「痛みで眠れなかったら痛み止めと睡眠剤を……」と言いにきたときに、すでにがあがあ寝てたという( ̄▽ ̄)。それでも夜中に吐き気で目が覚めて、看護師さんを呼んで吐かせてもらいました(うがい同様、容器をあてがってもらう。食べてないのでほぼ液体)。点滴で吐き気止めと睡眠剤を入れてもらって、あとは朝までぐっすり寝ました。

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2016/10/23

法村友井バレエ「バヤデルカ」

 大阪の老舗、法村友井バレエ団。一度観たいと思ってはいましたが、シヴァコフがゲストでソロルを踊るというので、重い腰を上げて行ってきました。
 いやー、まるまる3時間越え、久しぶりにフルサイズのバヤデルカ。自分がわかった範囲では、「なかった」のは、3幕冒頭の阿片を吸うソロルを慰めるために踊るマグダヴェーヤの踊り(マールイだとヘビ踊り)くらいでした。あとは全部盛り! 婚約式の入場でのソロルの象までちゃんとありました! 

 ニキヤはもちろん法村珠里さん。小柄で古典的な雰囲気の人ですが、やはりプリマだな〜と思うことたびたび。ガムザッティは今井沙耶さん。若手ホープとのことですが、1幕のニキヤとの対決では珠里さんに全然負けない気迫でした。ちょっと幼い感じもするガムザッティ(エフセーエワの時みたいな)でしたが、本当に若かったんだな。

 折角法村を観るんだから圭緒さんも観たかったなあ、と思いながら行ったのですが、ラジャで観ることができました。踊る役ではないけれど(そしてちょっと若作りのラジャになっちゃったけど)、お得な気分。ここのラジャも娘ラブで、「国中の若者がうちの娘と結婚したがってる」と信じて疑わないタイプですなー。まあもう、娘のためなら一服盛るくらいなんつうことはないですよ。しかし、セットを作る時に例の「ソロルの肖像画」をその時のソロルだった法村さんで描いちゃったらしく、こいつがまた法村さんそっくりで( ̄▽ ̄)。「さあ、あれがお前の婚約者だよ」「お父さま!」って( ̄▽ ̄)。なにそのパパの見果てぬ夢は。その後もニキヤが「だってこの人は私に愛を……!」とか、なんかもう妙な感じになっちゃってましてね。あれ、ソロルに似てなくて「おいおいw」ってなることが多いんですけど、なんかいいアレはないんですかね。
 そういえば、2場のテーブルの上、上手側はチェスだけど、ガムザッティやラジャが座ってジャンベを観る下手側は果物が置いてあって、果物ならナイフがあっても自然だなーと思ったのに、ニキヤが上手側のチェス台の方からナイフを持ちだしてきて「ありゃー?」ってなったり。

 大僧正は井口雅之さん。線の細い、女性的な感じのする僧正でした。女性的というより女形的かな。公家の系統というか。「復讐してやる〜」といいつつ、「ラジャに女癖をチクる」止まりという小者感がよく似合ってました。

 セットも衣装もなかなかに豪華。婚約式も女性群舞が扇とオウムの両方ありでした。男性ダンサーがゲストが多かったので、男性の入る群舞になると、ちょっと合わせきらない感じがありました。壺は子役さんが4人に増量。影の最初の群舞はやっぱり大変なんだなあ、と。
 最後の寺院崩壊の場面は、ペトゥホフ(父)が今回新しく演出したとのこと。ニキヤ、ガムザッティ、ソロルで、ラコット版「ラシル」のオンブルのようなトロワがあって、その途中でソロルが「こんな結婚は受け入れられない」となったところで(特に大僧正との対決とかはなく)、崩壊となりました。岩石の書き割り(?)のついた紗幕が途中まで降りて振り落とし、それともう1枚振り落としの幕があって、なかなか豪快。最後はマールイのラストシーンと同じ、飛んでいくニキヤのヴェールを大僧正が追いかけて終わり。

 シヴァコフは、やはり以前に比べるとジャンプが重いなー、とは思いましたが、日バ協で白鳥を踊ったときと比べると、だいぶいい感じでした。影の王国のヴァリはよかったなあ。全体に、相変わらずエラソウでしたけども。上司が話してるときに腕組んじゃだめだよ( ̄▽ ̄)。腕づかいはきれいでした〜。1場で最初に呼ばれて出てきたマグダヴェーヤが佐助みたいだったよ( ̄▽ ̄)。

 

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2016/10/18

ザ・カブキ4連戦 プレミア

 木村さんが出る2回は見て、キャスト違いも1回観るよなあ、と思ったら、追善公演が1回追加になって、トークショーと飯田さんが付いてくるとなればやっぱりなあ、というわけで、結局コンプリートになりました。まあ理屈を並べなくてもコンプリートになるんだけどな( ̄ー ̄)ニヤリ。

 ちょこちょことTWの方には書いていましたが、ええと、とりあえずトークショーの辺りからでしょうか。オペラの田口道子氏が司会進行。はじめに佐々木さんの功績といいますか、若い頃の写真や、いろんな公演の際のスナップなどをまとめたスライドショーが上映されました。「団葬」(というのか)の時のものでしょうかねぃ。これがまた、時間の関係もあるんでしょうが、ペースが速くて、眼が落ち着かないというか( ̄▽ ̄)。えらい早回しな人生で。

 続いてのトークは、二代目花柳壽應氏、夏山周久さん、藤堂真子さん。初演時の話とて、佐々木さんの話と言うよりもベジャールの話になったりすることが多かったですが、まあそれはそれで。花柳氏の話は、概ね今回のプログラムに書いてあることとダブってたんじゃないかな。今回の指導にあたっては、踊りから内面を表現するように、みたいな話がありました。夏山さんの話だったかな。それまで何度も海外公演に行って評判もよかったけれど、カブキの最初のツアーの時の反応は段違いだったとか。藤堂さんが、手ぬぐいの扱いがどうしてもうまくいかなくて、玉三郎のビデオを見てがんばったけど、練習中いつもベジャールと佐々木さんに笑われてたとか。田口さんから、佐々木さんはやたらせっかちな人だったとか。まあいろいろと。

 この日の「目玉」は、飯田さんがベジャールに当て振りされた定九郎を踊る、というところでありました。まあ定九郎はそんなに踊るわけじゃないから大丈夫だよなあ……と思ってたら、オープニングはしっかり踊るんでしたよ! しかもオープニングはグレイのワイシャツとスラックス。隈取り風のメイクはしてても、どっから見てもおっさんだよ( ̄▽ ̄)! まあ当たり前といえば当たり前なんですが。ホワイエでお見かけするときよりも数倍おっさんに見える( ̄▽ ̄)。翌日の杉山くんもおっさんに見えたらどうしよう……、とか、わけのわからん心配をしてしまった(ちゃんと若く見えました)。いやあ、やっぱり一度舞台を降りると大変だな。見栄や六方はさすがにすごい決まってました〜。

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2016/10/10

久しぶりに1泊旅行

 法村・友井バレエ団「バヤデルカ」のゲストでシヴァコフがソロル(ここの版だと「サロル」)を踊るというので、大阪フェスティバルホールまで行ってきました。術後1ヶ月は経っているので、相場でいうと旅行もオッケーなはずなんですが、さすがに不安もあって、チケットを取ったのは退院後、新幹線と宿を取ったのは9月末日という、かなりギリギリのところでした。しかしまあ、行ってよかったですよ。シヴァコフも本当に久しぶりでしたし、舞台も面白かったです。いちばんきつかったのは往きの新幹線だったな……。帰りは隣がずっと空席だったから、寝返りというか座り返りを打ちながらだったので、だいぶ楽だったし、舞台は休憩の時に立てるからね。

 フェスティバルホールは、古い頃(2007年!)に一度来て以来、新しくなってからは初めてです。その一度の時も新幹線に間に合うように、最後の演目(確か「Push」)を見ないで走って帰ったから、あまり覚えてないんだよな……。座席の配置はそんなに変わってないような気がしました。椅子は変えたのかな……。
 チケットは、ホールのサイトで座席選択で買えました。ここは横断通路の後ろが「ボックス席」(ちょっと木枠で囲ってある)といういちばん高い席なんですが、その少し後ろの18列センターをゲット。後ろの割に段差がちょっと低めで、斜め前の人の座高によっては多少舞台が欠けます。その代わり、文化会館に比べても舞台が近いんじゃないかな。ほどよく全体も見渡せるし、全幕を見るにはよい席でした。

 とにかくオサレになりましたな。以前は、西宮の芸文と比べるとずいぶん古いイメージだったんですが、ホワイエも、地下の飲食店もオサレになりまして。半端な時間に着いてしまって、開演前に軽く食べたかったんだけど、地下の吹き抜けのところにはオサレな食料品店しかなくて(明治屋とか紀伊國屋とかああいう感じの)、イートインベーカリーみたいなところで甘いパンをひとつとカフェラテですませました。あとで見たら、その後ろっかわのところにローソンも讃岐うどんもあったんだよなあ……orz。抜かった。

 ホテルは新御堂筋に近い丸一(朝食無料サービス)。ごく普通にビジネスですが、部屋のバスのほかに人工鉱泉かなんかの大浴場(という名の中浴場)がついてるんですね〜♪ 男女入れ替え制で、夜は間に合わなかったので、朝早く起きて入りました。新幹線往復込みで27700円。

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 朝食はこんな感じ(写ってないけどゆで卵も)。まあサービスだからね。パンはバターロール&クロワッサンか食パンを選べます。もちろん両方でもいいんだけど。

 帰りは京都まで出て、前からちょっと気になっていた立命館の国際平和ミュージアムへ。これが結構な分量があって、等持院まで行くつもりが時間切れで撤収。無理せずに15時過ぎの新幹線(これ以降は3000円増しになるので)を取ったのがアダに。お昼は14時頃になってしまったんですが、駅近くの地下街の店はどこもいっぱい。京都劇場の中にある「和食街」みたいなところが穴場らしく空いてました。そば屋はランチ850円くらいから。

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 かきあげ(ゲソとタマネギ)そば。本体900円。
 新幹線は東京・大阪の往復だったけど、京都から途中乗車して、東京駅で夕飯に駅弁買って帰りましたとさ。
 公演とミュージアムについてはのちほど……。

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2016/10/02

術後4週

 早いもので、明日で術後4週となります。「退院後3週間(術後4週)」にはちょっと早かったのですが、病棟で診ていただいていた先生の外来担当が木曜日だったので、先週の木曜に検診に行き、社会復帰となりました。手術前と同じ生活をしてよろしい、ということですね。まあ痛かったりなんだったりはあるので、そこは自分で様子見つつ、ってことで。で、紆余曲折あったりなかったりで、結局金曜日から通常勤務で出勤してます( ̄▽ ̄)。何故だ。月曜日から出勤のつもりだったのに。木曜に総務に書類出しに行って、月曜日からね、って話をまとめたつもりだったのに、午後遅くに電話かかってきて「産業医の先生と連絡付いたから明日からよろしく」って……(ノ゚ο゚)ノミ(ノ _ _)ノ!

 実は木曜の朝にトイレで、ちょっと鮮血がつきまして。退院後はほとんど出血してなかったし、下着になんか色ついたかな、程度だったのでちょっとびびりまして。それも先生に診てもらったのですが(基本的には膣エコー)、確かに中にも血がついてるけど、血の塊みたいなものはなくて、傷口(子宮まるごと摘出してるので、膣のいちばん奥を縫ってある)が1〜2ミリ開いてると。これくらいなら自然にくっつくのを待っても大丈夫、ということでした。実際、午前中には血がつかなくなって今に至ってるので、なんかはずみで切れちゃったんだろうな。昨日、ンコで気張った後に、「ぷんっ!」って感じでかさぶたみたいなものが出てきたんで(ちょうどハナかむと鼻血のかさぶたが出るみたいな感じ)、それがそのかさぶただったのかなー、と。

 手術後、あんなに痛かった排尿痛は落ち着いて、最後の方がちょっと痛いくらいになりました。尿漏れの方は量は少ない(パッドを使うほどじゃない)ものの続いていて、こちらは薬(トビエース)を処方してもらいました。ただ副作用で口が渇くのと便秘になりがち、ということで、1日1錠だけど具合を見て2日や3日に1錠でもいいし、気になったら飲めばいいからみたいな( ̄▽ ̄)。圧迫していた子宮がなくなって、膀胱の方も新しい環境でいろいろ大変らしい。実際、定位置よりもちょっと下がってる、と言われました。で、例の骨盤底筋体操ですね。お尻の穴の開け閉め。これはまだちょっと傷にひびく。

 そんなわけで、お風呂にも入れるようになりました( ̄▽ ̄)! 病院で貼ってもらった傷跡用テープをはがして、新しいのに取り替え。病院推奨はアトファインという製品で、こちらのページ。要するに、手術の傷跡に貼って、傷が盛り上がるのを防ぐためのもの。6枚1800円で高いんですが、サージカルテープを3cmくらいにちまちま切って一列に貼って……という手間を考えれば、1枚1週間使えるしまあいいかな……と。これはドラッグストアにはなくて、病院の売店で買いました。

 あとは腹筋が痛い( ̄▽ ̄)。使ってなかったからなあ。上腕もかなり痛いです。元々四十肩だけど、腹筋が使えないから腕で起きたり、ふんばれないから腕で手すりにふんばったりとかとか、とかく腕だよりだったのがキました。それと食事の後にお腹が痛くなる。ちょっとくらい(パン1個とか)ならいいんですが、ちゃんと食事すると結構痛くなります。やっぱり臓器ひとつ(というか三つ)なくなると、いろんなことがあるなあ。子宮と卵巣のあったところには腸がずるずるっと入って終わり、なんですが(あと膀胱が元の大きさに戻る)、外気にさらされたりいきなりスペースができたりで、ほかの臓器もそれなりにストレスなんでしょう。

 ともあれ、まだ早く歩いたり、機敏に動いたりはできないし、なんとなく前傾姿勢になってたりしますが、日常に戻りました。体重も入院前に戻りました( ̄▽ ̄)。子宮全摘後についてはこちらのまとめが、大雑把ですがわかりやすいです。

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2016/09/28

劇映画「沖縄」第1部のいち

 「えこだ沖縄映画祭」(こちら)で、劇映画「沖縄」第1部・第2部を見る。第1部65分、第2部125分でえらく配分が悪いと思ったら、元々1本のインターミッション入り映画だったのね。それにしても配分は悪いんだけども( ̄▽ ̄)。

 1970年公開となってるけども、製作した共同映画社のHPによると1969年製作上映とある(こちら。←( ・`ω・´)キリッとした地井武男がかっこいいぞ!)。監督・脚本は武田敦。製作の中に山本薩夫の名前がありますが、スタッフロールの製作委員会的な(正確に覚えてない)人々の中には今井正の名もあったかと思います。地井武男の初主演映画。

 第1部「一坪たりとも渡すまい」 

 テロップは「昭和三X年」。三郎(地井武男)一家、清(石津康彦)一家らが、荷車に家財道具を積んで移動しているところから始まります。彼らは謝花の米軍用地接収で土地を取り上げられ、平川(架空の地名?)へ行けば土地も仕事もあると言われてやってきたものの、その平川でも同じように土地接収が始まろうとしていた。「平川土地を守る会」は古堅(中村翫右衛門)を中心に、話すときには手を肩より上げない、などの取り決めを守りながら米軍と交渉していた。その話し合いのさなかに三郎と清、たまたま出会った黒人とのハーフの少年・亘(子役)とは、米軍トラックから測量用のポールを盗み出す。それに気づいたワタルの姉・朋子(佐々木愛)は、ワタルに泥棒を教えるなと怒るが、三郎は「ウチナンチュの物を盗んだら泥棒だが、アメリカーの物を盗むのは戦果だ」と悪びれない。

 三郎一家と清一家はキャンプハンセン(だったと思う)の従業員募集に応募するが、三郎と清は未成年だということで雇ってもらえなかった。むしゃくしゃした三郎は、清を巻き込んで米兵から毛布の束をくすねる。米兵に追いかけられた三郎は、毛布の束を、野菜売りをしていた朋子のリヤカーに突っ込んで難を逃れるが、朋子は自分の取り分として半分近くをちゃっかり持っていく。弟と年取ったおばあを養うのに仕事は選んでいられない、という。3人は門中の山城(加藤嘉)に畑や売り物の野菜を借りて、細々暮らしていた。その山城は、米軍の接収予定の地図を手に入れ、アメリカに留学予定の息子・朝憲(岩崎信忠)に訳させて、集落の接収される半分を見殺しにする算段を始めた。
 ある日、三郎は朋子を青年会の毛遊びに誘うが断られる。その夜、朋子の家に母が帰ってくる。亘の父親の米兵が朝鮮から帰ってきたので、亘を連れにきたのだ。朋子は家を飛び出して毛遊びに行くが、亘が追ってくる。その席で、朝憲の接収予定地図についての諍いが起きる。

 夜中、米軍がやって来て、銃剣とブルドーザによる土地接収が強行される。朝憲は父に「なぜ鐘を叩かないのか」と問うが、山城は「鐘は叩かないことになっているし、叩いても誰も行かない」と答える。
 古堅の家では息子の政孝(杉本孝次)が、何度陳情しても無駄だと父をなじるが、古堅は信念を変えない。学校帰り、政孝と朝憲は、古堅たち「土地を守る会」の一行が、琉球政府の前で三線を弾き、窮状を訴えて座っているのに出くわす。近くの店の人・歌声に集まった人々が涙を流してそれを聞き、店の品物やカンパを置いていく。自分も泣きながらそれを聞いていた政孝は、靴を脱いで古堅らに加わる。

 演習が始まった。三郎と清は演習場での不発弾拾いを始める。父らの運動を支える決心をした政孝がそれに加わり、朋子と亘も小さな薬莢を拾い集める。ある日、米兵に見つかった彼らはなんとか逃げおおせるものの、清が逮捕されてしまった。山城は、畑の多くを接収されてしまったので、朋子のおばあに貸している畑を返せ、と迫る。そんな時、畑にいたおばあは演習機の機銃掃射で殺されてしまう。

 おばあの葬式の場で山城は、朋子の家の墓は演習地の中にあるので、おばあは近くの山に埋める、と言う。朋子は、おばあはおじいの傍に行きたいと言っていたのだから、なんとしても演習地の中にある墓に埋めると言う。三郎たちがそれに加勢し、一同は葬列を組んだ。その途中で清が、ボリビアに行くことになったと告げる。清が逮捕されたことで、両親が米軍のパスを取り上げられてしまったのだ。葬列はゲートを突破し、墓へと向かう。
 

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2016/09/27

術後3週間/手術当日

 昨日で術後3週間でした。排尿痛はだいぶよくなって、最後の方がまだ痛い、くらいのところです。ただちょっと尿漏れするなあ。これは今までつぶれて小さくなっていた膀胱が、圧迫していた筋腫がなくなって大きくなったために、全部を出し切れなくて起きるようです。ひどいと自分で導尿しないとならないみたいですが、そこまでのことではないので、お尻の穴の体操……まあ、これがちょっと傷に響くんだな……。
 そして2週間以上ろくに使ってなかった腹筋が、使えるようになったとたんに筋肉痛ですよ……orz。そりゃそうだ。あと今日は久しぶりに美容院に行ったんですが、シャンプー台で身体が伸び気味になったら、下腹全体が結構に痛かったです( ̄▽ ̄)。これは予想外。

 さて、ここからは手術当日の話。

 いつも通りに起床してバイタル。入院してから血圧の上が140くらいあってびっくりだったんですが(いつもは110あるなし)、この日は生まれて初めて150を越えましたΣ( ̄ロ ̄lll)! やっぱり緊張してるんだな……。前の晩から絶食に入っているので、朝ご飯はなし。水は10時半まで飲めるので、水だけぐいぐい。帰りは自分のベッドで帰ってくるので、回りを片付けておいてくださいね、というので、ベッドのテーブルの上の本やタオルをしまったり。

 午前中に、あらかじめ買ってあったT字帯と、初日に渡された術衣に着替えます。

Ca3k2145_2 こんなヤツね。T字帯。初日に看護師さんとつける練習をしたんですが(服の上から)、帯が後ろに来るようにして腰紐を結び、股間から前に回して内側から紐にひっかけて余った分を前に垂らします。まあ、薄い褌だわな。ナプキンは夜用の厚いのを、これも初日に看護師さんに渡してあって、術後に看護師さんがつけてくれます(多分。なにせ麻酔中のできごとで)。身につけた物ではずせる物はなにもかもはずして、T字帯と術衣だけを着て待機。看護師さんが来てから、これも初日に渡された弾性ストッキング(膝下)を穿きました。サイズを正確にしないといけないというので、入院時に足首とふくらはぎを計ったらなんとSサイズ(・_・)! いやー、穿きにくいわこれホントに。

 着替えたあとで、点滴開始。自分、左腕の血管が出ないタチで、以前大腸ファイバーで点滴麻酔を受けたときも医師と看護師さんと2人がかりで20分以上格闘したあげく、左の手の甲から入れるというメチャクチャ痛い目にあったんですが、今回も麻酔科と病棟の看護師さん2人がかりで探しながら下がっていって、ほとんど手首、のところから入れました。ホントは肘と手首の真ん中辺から取るみたいです( ̄▽ ̄)。

Ca3k2159 この辺(笑)。手首を曲げるときにビミョーに当たるので、トイレでパンツ(両方の意味で)を上げるときにたびたび「ばきっ!」ってなりました( ̄▽ ̄)。

 午前の手術が早めに終わったので、13時から手術に決定。病棟の担当看護師さんに連れられて手術室へ……ってとこで、「大事な相棒忘れてるようー」って看護師さん。ツレアイを忘れたかと思ったら、点滴台を連れてくのを忘れてたよ、つながってるのに( ̄▽ ̄)。

 病棟のエレベータの前で、ツレアイはストップ。戻ってくるまでエレベータ前の待合所で待機です。自分と看護師さんはエレベータで2Fへ。つながってる別棟の手術室前でアルコールで手を洗ってから中に入れてもらいます。ここで、病棟の看護師さんから眼鏡ケースとともにオペナースさんにバトンタッチされて、手術台へ。本当は眼鏡も病室に置いてくるのが望ましいんですが、自分は裸眼0.1切っちゃってるんで、手術台までは眼鏡着用だったんですね。オペナースさんは、男性はよく見る青緑っぽい色のVネックの看護服でしたが、女性は大きなアロハっぽい花柄の制服でした。患者が緊張しないようにかな。

 手術台の上でタオルをかけられて、身ぐるみ剥がれて( ̄▽ ̄)。術衣って、本当にするんと脱がされるんだわ。00サイボーグもオッケーなくらい。まずは麻酔医さんの硬膜外麻酔から。事前にもらったプリントでは「犬のように丸い姿勢」ってあったんですが、なぜかここで「上手ですね〜」と無駄に誉められたりして。そして仰向けに戻って、心電図のパッチやらなにやら貼られたり、台から落ちないように拘束されたりして、酸素マスクです。酸素マスクって、飛行機に乗ったときにスッチャデスさんがデモンストレーションでやってくれるあのイメージ……って、最近はアレやってくれないんですけどね。いや、なんかしらんけど、結構楽しみにしてたんですよ、酸素マスク。酸素バーとかあるくらいだし。麻酔医の先生は「鼻や口にぴったりはまらなくても大丈夫ですからね」って言っていたんですが、実際割と雑な感じに( ̄▽ ̄)顔に乗っかってきて、あはは雑っぽいなあ、と思った辺りで、そこから先の記憶がありませんのです。

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2016/09/20

術後2週間/手術までその2

 昨日、19日で術後2週間でした。とりあえず何でもいいから(体重考えずに)食う、ことにしました。というのも一昨日あたりから「寝た状態でめまい」というようわからんことになりまして。いちばん貧血がひどいときでもそういうことはなかったんですが、やっぱ食べんとダメやな……ということで。別に意識して食べてなかったわけじゃないんですが、病院食の量に慣れちゃったらしくて、あんまり入らないうえにたいして食べたい気持ちもおきなくてですね( ̄▽ ̄)。

 しかし「日にち薬」とはよくいったもので、寝る←→座る←→立つなどの動作の時には痛いものの、寝っぱなし、座りっぱなしの時にはさほど痛くなくなりました。落ちてる物を拾うのはまだキビシイなあ。しゃがむのがツライ。

 さて、ここからは入院2日めの話です。

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 朝ごはん。朝は原則食パン。多分10枚切り2枚と思われ。焼いてはありませんが、温めてはあります。左のは「ジャーマンポテト」だったと記憶。毎日牛乳がつきました。
 この日は日曜で特にすることもなく、ごろごろしながら本を読んでました。最後のリュープリンの時に、鉄剤とビタミンC(サワイとハイシー)を2週間分処方されたのですが、おかげで入院時の採血でヘモグロビンが11まで上がってました。2桁行ったのは15年ぶりくらいですよ多分。フェロミアはすっげえじんましん出たし、インクレミンは気持ち悪くなって七転八倒でしたが、フェロミアのジェネリックであるサワイは全然副作用がなかったです。先発薬は大丈夫で後発薬はダメな人も、その逆の人もいるそうで、自分は後者だったようです。それともハイシーのおかげか……。

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 昼ごはんは中華うま煮。つか、中華丼がセパレートになったみたいなもので美味しかったけど、和え物ってどうしてこう不味いんだろね……。

 バイタルチェックのときに看護師さんが、夜に下の剃毛とおへその掃除をするというので、早めにシャワーの予約を入れる。シャワーは1人30分で、ナースステーションの扉にぶら下がってる「予約表」に名前を書いておくと使える。まあ、ペンションとかの「家族風呂」と同じようなシステムですね。中は狭いユニットバスですけど。念入りに洗っておいたので、看護師さんに「おへそ、きれいですねー」と誉められたりして( ̄▽ ̄)。剃毛は、美容室で襟足に使うような小さなバリカン(?)で。全部ってわけじゃなくて、結構アバウトな感じ。

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 夕飯。鶏のなんかしたのとネギ。茄子のあんかけとエノキのお吸い物(これは美味しい)。オレンジ。ここから絶食になります。水は翌日の10時までOK。病院によっては浣腸があるらしいですが、自分が入ったとこではありませんでした。

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