« 「戦国自衛隊」アップ&ロホのマノン | トップページ | 立派になってたコンベンション »

2005/08/31

コンベンションセンターの思い出

 いつもお世話になっている掲示板の方にはご紹介させていただきましたが、マールイ沖縄公演の記事がタイムスにありました。
事前事後
 主催がタイムスだけあって、ちゃんと事前と事後に載っている(ので、新報の方はチェックしてない 笑)。宜野湾のコンベンションセンターというのは、かれこれ7、8年前に(もうそんなになるのかー)米軍用地強制収用の公開審理で使ったところ。2回は行ったような気がする。ちょうど収用期限が一斉に切れて当該用地が多かったことと、最大地主数(もちろん一坪地主を含めて)を誇る(?)嘉手納基地を含んでいたことで、当該地主が3000人を超えたために、当時「沖縄で一番キャパの多いホール」を使ったと記憶している。それでもキャパは2000なかったはずなので、マールイの「昼・夜2回公演で3400人」というのは、本当に満員状態だったのだと思う。というより「満員だから3400人」と判断したのかも(私の集会人数割り出しはいつも「キャパ×△割入り」)。なんだか感慨深いなー。しかもあの時は打ち上げの飲み屋(なぜか「つぼ八」だった)に財布と定期と家の鍵が入ったウエストポーチを忘れて、翌日現地の一坪地主会の人にホール前まで届けてもらったんだよ。ほんとにその節はお世話になりまして(汗)。確か周囲が公園になっていていい雰囲気のところだったけど、ホールの中は「あそこでバレエか?!」だったような…。サミット前後でいくつか箱モノが建っているので、今ではもっと設備がよくてキャパの大きいホールがあると思うけど(コンベンションも改装したかもしれないし)。
 
 まあそんなことはどうでもいいのだが、事前記事にあるコシュレワの「最後まで頑張りたい」というコメントに、苛酷な夏のツアーの達成感と気合いが込められていて、やっぱり応援モードになっていくのだった。もう少し写真がきれいだと嬉しかったなぁ(←ぜいたく)。んで、少年のようなシヴァっちは、長身のコシュレワよりもちゃんと背が高かったのだ。よかった、よかった。シードロフのシャツはアロハじゃなくてかりゆしウエアかな。それにしてもコシュレワもシヴァコフも25才、エフセーエワと来た日にゃ22才だもんなぁ。伝統があるのにダンサーが若いカンパニーだ。
 
 で、結局冬の「ドンキ」も迷ったあげくとってしまったの。光藍社のウェブ予約で2階バルコニーがまだ空いてたんだもの。平日でオーチャードだから早退しないと行けないので、かなり迷ってたんだけどね。でもこれでルジの「ラ・シル」はまず無理な状態に。「バヤデルカ」だけは観たいけど、女性キャストが出てからでないとちょっと怖いし…。神戸のドンキはペレン&シヴァコフのペアという情報をいただいたので、これはああああっ、これはあああああっ! ううむ。ペレンはここいらが一皮むけるかどうかの正念場だし、このドンキでリベンジできれば彼女にとっても大きいと思う。逆に今年の正月みたくなってしまえば、かなりキビシイ状況になると思うし。というわけで、シヴァのバジル日本デビューを含めて、これはああああっ! なわけですよ。ううむ。ステージマナーがよくなってノーブルっぽくなり、かつ弾けたバジルがシヴァコフにできるだろうかというのも気になるところだし(どっちかならできると思うんだけどね)。行けるかなぁ。それにしてもシヴァ、ノーブルというより体育会系だった頃にはダンマガに「バレエ団きってのノーブル」とか書かれるし、ようやく大人になったなぁと思ったら今度は「ピュアな少年の心」だし(笑)。もう(笑)なくしては書けなくなってしまった「ピュアな少年」。困ったもんだ。しかも、隣のスミレフスキーの写真は、サンダーバードに見える…。

|

« 「戦国自衛隊」アップ&ロホのマノン | トップページ | 立派になってたコンベンション »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: コンベンションセンターの思い出:

« 「戦国自衛隊」アップ&ロホのマノン | トップページ | 立派になってたコンベンション »