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2005/11/27

三島没後35年とて

 三島没後35年、というわけで、スマスマに美輪サマが出たのを見る。「禁色」の冒頭で出る老作家の作品についての描写を読んだ時には「おお、意外と自分についてもわかっていたのだなー」と感心したのだが、もしかして川端についての評価だったのか(笑)。三島は「好きな作家」とは言い難いけれど、「気になる作家」「興味ある作家」ではあるし、特に高校生の頃はかなり意識して読んでいたけれど、最近はほんとにご無沙汰だったな。
 そんなわけで、ふんふんこれが例の「祖母」ねー、などと先日見た「M」の舞台など思い出しつつ、三島の生涯を振り返るVTRなど楽しく見る。「日本のヘミングウェイ」かどうかはわからないけど、スタインベックを初めて読んだ時に「あー、このまだるっこしい風景描写は三島だわー」と思ったことなども思い出した。三島はかなり「海外向け」を意識して書いていた(当時としては珍しかったのか?)作家なのは確かだからね。最後の切腹シーンはシルエットで出るのだが、「ちゃんと首とばせよ!」と、やっぱりツッコミ。三島と言えば生首。そこをキレイに終わらせてはいかん。「M」はオマージュという名のフィクションだが、こちらは娯楽番組とはいえノンフィクションのつもりなんだろうから。
 
 香取の番組だからアブナイなー、とは思っていたけど、やっぱりなぁ。美輪サマの話の中で出た「ジャポニズム」だって実態としては「プティパによるスペイン/インド」とか「ディアギレフによるオリエントブーム」とかとさして変わるものでもないし、三島の「日本の美」への回帰といったところで、彼の肉体に対する美の概念はどうしてもギリシアないし「ルネサンスにおいてギリシア風とされたもの」からは抜けられない。そもそも「日本の伝統的美」のなかに「筋肉美」っつうか「筋骨隆々」なんてものがあったかしらん、と思うわけよ。その辺も含めて確かに三島は「ジャパン・ルネサンス」ではあったと思うけど。美輪サマは、そこいらは自分の中では腑分けした上で話しているんだろうと思うけど、ぶつ切りのVTRだし、受け手が香取と中井貴一だからな…。
 
 そもそも「反権力」を真っ向から掲げて、圧倒的マイノリティとして生きてきた美輪サマと、あっさり「祖国」なんて言葉を使えてしまう中井貴一とでは、「日本」と言ったときの中身が違うってことがわかってるのかしらん。もうじき45歳にもなろうって人が「僕はこういう教育を受けてきたから」なんて言えちゃうんだもんな。僕は僕の受けた教育がよかった、なんて一概に言えないけど、「結局のところ自分の教育は自分でやった」とは思う。影響を受けた先生も校風もあるけれど、何に影響を受けるかは自分の選択だったと思うから。
 「日本人であることに誇りを持てない」のは、そういう教育を受けたからではなくて、「過去の日本のしたことに未だに落とし前をつけていないから」であり、「それどころか、やってないと言い張る人がいるから」なんだよ。「こんなこともしてしまいましたけれど、きちんと向き合って取り組んだ結果、現在はこうであり、被害者にはこのようにしたのでありました」ということでしか「誇り」なんて持てない。早いところ、子どもにそういう教育ができる「国」にしてやれよ。そんな単純なことが何で「国」「民族」を媒介にするとわからなくなっちゃうんだろ。「愛国心」と「郷土愛」は違うんだということを、いいかげんに理解しちくり。
 
 話が三島から逸れてしまったが、別の本で見たところでは、全て処分されたと思われていた映画「憂国」のフィルムが発見されたそうだ。これはぜひ見たいなー。
 
 
 

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