レバノンでは停戦だが…
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今日(というか昨日)は夕方から、パレスチナ問題関係の新しいグループ「ミーダーン」(対話のための広場)の発足集会。
レバノンとイスラエルの間の停戦は、とりあえず続いている。そっち関係の友人の話では、「イスラエル国内での支持が取れてないから、当分大丈夫じゃないかな」とな。もっとも「国内での支持が取れてない」というのも、別に反戦派が多いというわけではなく、「犠牲の割に得るものが少ない」というようだ。日本での報道を見ていると、「イスラエルvsレバノン(ヒズボッラー)」という図式に見えるが、イスラエルを軸にして日誌を組み立てると、ガザでのハマスによるイスラエル兵拉致くらいから一続きの動きになっていることがわかる。とはいえ、ハマスとヒズボッラーが連携しているというわけでもない辺りが、わかりづらい感じかな。そして/だがしかし、パレスチナの状況は何も変わっていない。
2002年だからもう4年も前になるのだが(月日の経つのは早いねー)、うちのグループなども関わって、イスラエルから「ユダヤ人とパレスチナ人の共生を実践する」という立場で活動している女性2人(ユダヤ人とパレスチナ人)を招いてシンポジウムを持ったことがある。イスラエルにももちろん「イスラエル国民であるパレスチナ人」という人々はいて、「三級市民」として様々な制約を受けながら暮らしているわけだが、彼女たちのグループ「ガリラヤのシンディアナ」は、そうしたパレスチナ人とユダヤ人が共同でオリーブを栽培し、オリーブ油やオリーブ石鹸を作って販売している。日本でもフェアトレードやスローフードの店などで手に入るし、かなり評判がいい。
そのシンポジウムに来日した女性の一人の自宅を、この7月、ヒズボッラーのカチューシャが直撃した。軽傷者だけですんだのは幸いだった。
私はそのシンポジウムには当日手伝いに行っただけだが、それでもそんな話を聞けば当然心配する。彼女たちも、彼女のグループの人たちも、その家族たちにも何事もないように、何事も起きないうちにドンパチだけでも終わるように、祈るような気持ちになる。そして例えば「プロミス」というドキュメンタリーに出ていた子どもたちは無事だろうかと思う。徴兵に応じるかどうか悩んでいたユダヤ人の双子は、もうとっくに徴兵の年齢になっている。ベイト・エルの入植地に住んでシオニスト教育を受けていた彼は? デヘイシャ難民キャンプの子どもたちは戦闘員になったりしていないだろうか?
心配してもできることは少ない。イスラエルへの抗議声明に名前を連ねたり、救援募金に応じたり、ここでぐだぐだと何か書いたりする程度のことだ。だけど、思う。結局のところ、「具体的な誰か」を思う気持ちが武力紛争を止めようとする、いちばん強い力なのではないのか? ミサイルの向かう地上にいる「誰か」を想像すること。それを「しょうがない」という言葉ですませられるかどうか。その「誰か」の無事のために何かしようという切実な思いは、どんなイデオロギーよりも強いのではないか。たとえたいしたことができないとしても。
「人々の国境を越えた連帯こそが戦争を止める」というのはすでに手垢にまみれたイデオロギーだが、それを概念としての「連帯」ではなく、一人とひとりの具体的なつながりに置き換えて読むなら、そこにこそ可能性はまだ残されているように思えるのだ。
集会の話をひとつも書いてないぞ>ぢぶん。
「ガリラヤのシンディアナ」のオリーブ油等については「ガリラヤの…」で検索すればいろいろヒットするはずです。で、なんでオリーブかと言えば、オリーブの持つ象徴性もあるけれど、なによりオリーブは天水で収穫できるから。イスラエルの特産物である柑橘類(スウィーティが有名)は潅漑施設が必要になるが、水利権をイスラエル政府に握られているため、パレスチナの農家はオリーブを作ることが多い。そして重要な水源の一つであるシリア領ゴラン高原をイスラエルは長期にわたって占領し続けていて、そのゴラン高原に陸上自衛隊は10年以上「PKO」として派遣され続けている、というわけだ。ゴラン高原のPKO(UNDOF)の活動は占領の固定化にほかならないと言われつつ、実際この10年で何も状況は変わっていないように思える。
02年のシンポの記録は「パレスチナ/イスラエルの女たちは語る」として発売されています(左ブロックにリンクあり)。とてもわかりやすい、いい仕上がり。質疑部分ではイスラエルの徴兵問題についても言及されているし、イスラエル国内の「アラブとの共生」の取り組みについても日本では見えづらいので興味深いです。まあ4年も前なのでちょっと状況的には古いですが。写真の一部をダンナが担当しています(うーむ)。
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