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2006/10/11

ジャーナリスト=アクティビスト

 昨日まではチャイコフスキーすら見たくもなかったのに、今朝からフェドセーエフの「白鳥」を(結構強引に)聴き直し始め、ちょっとずつ、よくも悪くも、いつもの自分を取り戻しつつあります。音の力はすごいなーとあらためて思うとともに、舞台の力もまたすごい、と思います。直前に抱えていたのが、あの日の「白鳥の湖」で本当によかった。おおげさなようだけど、あの舞台の記憶に指をひっかけて、なんとか立て直しができてきた感じ。見ていたこっちまで闇から引っぱり上げてくれるだけの「強さ」を持った舞台だったんだなぁ。いや、単に自分が勝手にそう思っているだけだというのはわかっているけど、とても嬉しい。

 もう少しだけ、アンナの話にお付き合いください。

 アンナ・ポリトコフスカヤは、私が最も敬愛するジャーナリストです。もう一人、フォトジャーナリストのジェイムズ・ナクトウェイは「尊敬する」だけど、アンナには「敬愛する」がぴったりくるような気持ち。もちろん、アンナにしろナクトウェイにしろ、私は直接に会ったことがあるわけではなく、彼らの書いたものや彼らについて書かれたもの、ドキュメンタリーなどを通して「知っている」のでしかありません。

 私が、たくさんのすぐれたほかのジャーナリストの中から、とりわけ彼女を敬愛しているのは、ジャーナリストであることとアクティビストであることが、一人の中で分かちがたくあったから。多くのジャーナリストがただ「ジャーナリストとして」振る舞う中で、彼女は自らの立場を鮮明にし、「記録する」「伝える」だけではない、できうるすべてのことをしようとしていました。それはある意味で不幸なことであるのかもしれません。それだけ事態が深刻だということでもあるからです。チェチェン問題という、決して歓迎されない課題に向き合った時、「書く」ということはそのまま「アクション」であり「ムーブメント」にならざるを得なかった。その立場を引き受け続けたことに、私は勇気づけられていました。

 そういう一人として、亡くなった松井やよりさんを思い浮かべます。晩年の松井さんは、右翼の脅迫の中で病と闘い続けながら、ジャーナリスト=アクティビストとして、「台風のような人」(武藤一羊氏の弔辞)でした。「尊敬」「敬愛」というよりも「すげえ」という方がぴったりでしたが、しかし「著述業」の人間がそのように生きるのは、実は意外と難しいことなのです。

 ですから、アンナ・ポリトコフスカヤの暗殺は、ジャーナリストの暗殺というだけでなく、アクティビストの暗殺でもあると、私は考えています。脅かされたのは「報道の自由」だけではない、と。

 例えばチェチェンで、またファルージャで、封鎖されてジャーナリストや支援者が入れない場所、あるいは入ろうとしない場所で、そこに住んでいる人々が自らカメラとペンをとって「ジャーナリスト」にならざるを得ない現実があります。状況が彼らを「ジャーナリスト」にするのです。
 例えば辺野古の海上のやぐらから、携帯電話を通じて闘いの様子が刻々とブログにアップされていきました。彼らもまた、彼らの状況の中でアクティビスト=ジャーナリストとなったといえるのかもしれません。

 ブログや自費出版が普及して(私も「ブロガー」というわけですが)、発信することは簡単になりましたが、言葉は軽くなり、とりあえずの思考がそのまま流されることが普通になったようにも思えます。今日はこの話題、そして次の話題。それは「運動」の中でも同じことで、この課題にわっと人が集まったかと思えば、あっという間に潮が引いていく。「楽しいパレード」で盛り上がりはするけれど、じっくりと自分の思考を練り上げていく、お互いの想いや論理を共有するためにぶつけ合う、そういうことが敬遠されるようになってきていると感じます。
 まあ人のことは言えません。そうそういつも眉間にしわばかりよせてはいられないし、目の前のことに目移りするし、忘れないうちに書かなくてはいけないこともたくさんある。

 けれど「よく考えぬかれたことばこそ/私たちのほんとうの力なのだ」と井上ひさしのいう如く、自らの言葉と思考とを磨き上げていくことが、アンナに近づく道ではないのかと、アクティビストの端っこで立ち尽くしている私は思うのです。

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