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2008/10/29

年をとると涙もろくて

1  グリムスのいない夜(^^)。接続したときに読み込みに手間取っていたので、保存してみました。ドボチョン一家みたいだね(←覚えてる?)。
 仕事は相変わらずです。リブロなら10時まで開いてるなー、と思いつつ、そんな時間に通んねぇよ! ってわけで、DDDもダンマガもまだ見てないです。くすん。

 さて、昨日の続きめいて。

 「年をとると涙もろくてなー」というわけですが、ぢぶんも若い頃に比べて涙もろいですな。若い頃というのは、もっぱら「悔し涙」が多かったように思います。またよく悔しがる人でしたからねぃ(^^)。「涙ながらに抗議」とかね。「こんなんで負けるかよー」「絶対やってやるよバカヤロー」とか、そういう泣き方でしたよ。いやー、若いなぁ(若い頃だってば)。

 若い頃ってのは、泣いてるところを人に見られるのが恥ずかしいっていうのがありましたよね。映画見て泣くのもこっぱずかしいという。見栄ともいいますけど。
 この年になってくると、その辺りがどうでもよくなってくるというか、「いやー、年とると涙もろくてさー」って具合にいいわけできるので、それが泣くのを促進させているようにも思います。

 泣き方も変わりました。俗にいう「ツボ」って言い方でもいいんですが、なんというか、「すごくきれいなものを見たとき」「すごくきれいな音楽を聴いたとき」というような、いわば「抽象的な何か」が自分の中に入ってきて、自分が内側から揺さぶられるとき。そういえば「声をあげて泣く」ということは逆になくなったようです。いってみれば「抽象的に」泣いている、のかもしれません。

 年をとるということは、自分の内部にある参照項が増えている(はずだ)ということですから、無意識に(あるいは習慣で)外部刺激によって参照された何か、が外部刺激と共振/共鳴しあって揺さぶりを大きくしているようにも思います。そこで揺さぶられた経験がまた、自分の中の参照項としてしまい込まれていく。だとすれば、年をとるということは、やはり、豊かになるということでもあるわけです。多分。忘れちゃうことも多いんだけどね。

 「夢のまにまに」で主人公・木室と妻・エミ子の老夫婦がふとした物/事から過去を甦らせていくのは、参照項が過敏に共振しているともいえるのかもしれない。現実の生活の中に、彼らの思い出す過去と、学生・村上が見る幻覚とがどんどんと放り込まれていくのだけれど、老人の過去を元にした幻想と、若者の幻覚とのコントラストがまた鮮烈で、やはり美しいのです。

 「感動した」「よかった」というのは簡単ですが、多少野暮に思えても、少し自分自身を腑分けしていくのも、たいせつな作業のような気がしています。
 

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