「時代」と「今」とを数える
つうわけで、今日は予定通り立川でO田さんの講演。比較的近い場所にいる(うちのミニコミに連載もらってるわけだから)ぢぶんとしては「新しい話」ではなかったけれど、冷静にコーフンしているO田さんはいつもながらカワイイ。しかしこれもいつもながらだけど、書き言葉と話し言葉に差がない人だよなぁ。慎重な言葉の積み重ね方は「論文」と「雑文」との間くらいの文章を読み慣れてないと、耳から入った時に頭に抜けにくいかも知れない、と、質疑を聞きながらちょっと思った。
さて、憲法記念日でもあるので(日付変わっちゃったけど)、4.30にアップした4.29の続き。「歴史」を区分する言葉ということ。
いうまでもなく、飛鳥以降江戸時代までの時代区分は、その時(厳密にいえば直近のを含むんだが)の政治中枢のあった場所で区切られている。わかんなくなっちゃったら「戦国時代」。それが江戸時代の後は「東京時代」にならずに、いきなり「天皇の名前」(追号)になり、そのまま天皇の生き死にで時代区分をするようになった。元号がそのまま時代区分とごっちゃになっちゃったわけだ。
このことの経緯を僕は知らない。誰が「何時代」という呼び名を決めたのかも知らない。しかし、「歴史区分」として考えるなら、明治ー大正ー昭和前期の間に何かしら根本的な断絶があるのかといえばそんなことはなく、むしろ明治維新(大政奉還〜東京政府成立の間のどこか)〜1945年の敗戦(敗戦の月日をどこで採るかの議論に関しては僕は9月2日を支持していますが、そのことについてはおいておいて)を「近代」、敗戦以降を「現代」とする方の区分けが正しい、と思う。その期間を「何時代」と呼ぶかはさておいて。
++++++(長くなったので)
さて、そうこうするうちに、僕らはそれが「天皇の名」であることを意識の下に潜らせて「知っているけど意識してない」という状態を作り出す。「人の名」を「時代の名」とすることをいつの間にか不自然に感じなくなる。それが「人の名」であることを忘れることで。しかもそれは「織豊時代」というような何百年も前の話ではないのに。「その人」が死ねば時代の呼称が変わる。そのことに違和を唱えた20年前の「人々」のエネルギーは来る日にはもうないだろう。今ですら、多分、ない。
「紀年」というのはどれを選ぶにせよ、イデオロギッシュなものだ。西暦であれ、アラブ暦であれ、檀紀であれ、皇紀であれ。だから例えば、仏教系の雑誌では奥付で仏暦と元号を併記しているものもあるし、晩声社では1945年を元年とする「核時代」と西暦を併記している(どちらかの併記が便宜上必要だからだ)。個人的に「小田茜暦」を使ってた後輩もいた(今どうしてるんだろう)。
僕は仏教徒であるというのにやぶさかではないが、仏暦なんて何種類もあって(いわゆる「仏暦」のほかに「アショーカ暦」なんてのもある)使い勝手が悪過ぎる。西暦は比較的漂白されたものであると僕自身は思っているので便宜的に使っているが、もちろん「漂白された」と思わない人々もいる。いわゆる「英語の帝国主義化」(エスペラントの思想的対極としての英語の意味。帝国で使われる言語ではなく……いや、歴史的に考えればそれ故になんだが)と同じ考え方で西暦を使わない立場もあるだろう。つきつめればなんの覚悟もなしに「今が何年」ということすら難しい。それは自らの政治的/宗教的立場の表明でもあるからだ。だが、「紀年」がそういうものであることすら、大概の場合は意識されない。でないと日常生活に支障を来してしまいかねない。
「日常」ほど強いカードはないんだ、普通。
だからね。時折は思い出した方がいいと思うのです。その上で、何を使うのか。その覚悟があるのか。ちょっと自分に問い直してみる。「天皇」というものによって「時代」を言い表す、そして「現在」を数える、そのことの意味を。
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