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2009/05/26

拝んだり、出会ったり

 仏像というのは「見るもの」だったり「拝むもの」だったり、人によっていろいろでしょうが、ぢぶんにとっては「会いにいくもの」ですね。まずもって。しいていえば「拝むもの」に近いです。相手によっては「拝むもの」。それでもそこには相手との対話とでもいうようなものがあって、やはり「会う」という感覚に近い。彫刻は絵画と比べて比較的そういう空間を持ちやすい(ぢぶんにとっては)のですが、とりわけ「仏像」はそうです。ためつすがめつ眺め回して鑑賞するのではなくて、目を見つめ合って感じるところから始める。今日は誰と話ができるだろ? てな感じです。

 「仏像」というのも大雑把な区分けですから、僧像なのか天像なのか菩薩像なのか如来像なのか、こちらの気のもちようも違うもので(笑)。
 ぢぶんは「仏教徒」とか「仏教者」とか言ってしまうと、マジメにやってる人に申しわけが立たないという程度のものですが、一応「仏学徒」ではありましたから、僧——像になっているような高僧は、やはり偉大な先達なわけで。単に「婆羅門僧」なんて名前しかついていなくても。興福寺の十大弟子像は、当初の尊名は定かではないそうですが、今付けられている尊名は、成程この人がそうだろう、と思わせてくれます。

 仏像というのは、木製であれ鋳造であれ、どこか穏やかな暖かみがありますが、僧像というのはぢぶんのそうした思い入れもあって、やさしい空気を持っていることが多いです。ちょっと身を正して、その空気に包まれてみる。父のようで父ではなく、先生のようで先生でもなく、それはなかなかに言いがたい、「慈悲」というのはこんなものかな? というような空気です。

 今回は無著・世親のお二方は留守居役ですが、興福寺のこのお二方は以前に何度か東京へ来ていて、ぢぶんはとても辛かったときに出会って、たいそう救われた気持ちになりました。そこから、ですね。仏像に対する味方というものは、まるっきり変わったといってもいいくらい。仏像はぢぶんにとっては「美術品」ではなく、そこに息づく「何か」にぢぶんの想いを重ね合わせるような、そんな相手になりました。

 今回で言うと、富楼那さんですねー♪ いちばんすうっと心の中に入ってきて暖かくなる。さすがに説法第一だぜ。いくら傍にいても飽くことがなかったです。何か細かい細工を探すとか、美術的な価値だとか、表情がなんたらよねー、ということではなく、ただ傍にいると気持ちいい。今回はいくつかそうした人に出会えて嬉しかったな。

 像の後ろに尊名を映し出す展示法はよかったのだから、「智慧第一」とか「多聞第一」とかくらい一緒に映し出せば、もう少しわかりよかったかも(どのみちわかんないかもしれないけど)。入口に置いてある目録には書いてあるけど、見ながら回る人は少ないもんね。それにしても「品のない下卑た冗談(言い方が「上品」でも)」が「気の利いた言い回し」だと思ってる人は少なくないんだなー。老若男女、限らず。何かを観る時くらい、気持ちは独りでいればいいのに。

 他山の石というか、天につばというか。
 そのほかのことはまた後日(できれば)。
 

 

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コメント

閉館日を開館したり時間延ばして頑張ってますね。
でもそこまでテンションが上がらないかなあ。
上野には動物園が立ちはだかってる。
大恐竜展が見たい。

投稿: urasimaru | 2009/05/28 01:19

んー、前売り買えば否応なくテンションはあがるけどね(笑)。
つか、ぢぶんもテンションは低い。
ただあれだけの人の中でも、受け取るべきものは受け取れるんだなぁというのは、ぢぶんでもちょっと驚きでした。

阿修羅周りは論外だけど(笑)。

恐竜展はちょっとおなかいっぱいだ。

投稿: 綾瀬川 | 2009/05/28 02:44

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