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2010/10/14

イーストーのオデット

 いささか旧聞ですが、確か9日の土曜日に新聞を開けたら、チラシの折り込みの一番上に熊川氏! 例の「エアジャケット」ってヤツの宣伝ですね。その後、所用で西武に行ったら、これもまたエスカレータの脇に熊川氏2枚組。「ほー」と思いつつ眺めておりましたが、そういえばしばらく前(10/2でした)の朝日の土曜版の「元気のひみつ」(健康面)は、Kの橋本さんでありましたよ。ちなみに橋本さんの「一番の楽しみ」は「4歳のおいの子守」。ちょっと意外。
 しかし、「エアジャケット」っていうたら「裸の王様の着るヤツ?」って一瞬思うよな(「あるつもり」のジャケットね)。思わないか。


 さて。オーストラリアの白鳥の続き。オデットのイーストーです。

 イーストーは、もちろん踊りのテクニックもすごいけれど、今回スゴイと思ったのはその目でした。1幕の最後、湖(池?)に身を投げ損なって以降の視線の定まらなさというか。彼女が見ているものはわかるんだけど、目そのものは泳いでいるというか。合ってるようでいて合ってないというか。

 逆に言うと、1幕の結婚式の最後、王子にあてつけてるところまでは目がちゃんとしてるんですよ。それが3幕の男爵夫人のパーティでは泳いでる。招待客たちは「病院を出てパーティに来るくらいだから治ってる」と思って、「だったら正規の皇太子妃さまにつかなきゃねー♪」と、そりゃまあ現金なくらいに寝返っちゃうんですが、実は全然「治って」はいないことが、時折泳ぐ目でわかって、それがまた怖いんです。何がきっかけでいつ崩壊するかわからない。

 こういうことは人それぞれだからどういう具合に共有できるものか(できないものか)わからないけど、自分でも「もう立てない」と思い込むことが長く続いた後に、ふっと自分が「何でもできる」気になる一瞬、っていうのがあったりするんですよ。けれど本当にそれは長続きしなくて、すぐに何かのきっかけで、逆に前よりひどくなっちゃうような。イーストーの3幕というのはそういう感じがしました。

 遡って、1幕の最後。昂ぶった感情のままに結婚式をしっちゃかめっちゃかにしたオデットが、完全な孤立無援であることを悟る場面。それでも伯爵や、公爵の婚約者は手を差し延べようともするけれど、それぞれパートナーに諭されちゃうし(その前の倒れたオデットの周囲で王子が「恥をかかされた」男爵夫人とが責め立てる場面は、ブルの方がそのジャンプに威圧がこもってて怖かったなー)。やって来た宮廷医にすがるような目をするイーストーが可愛いといいますか。医者だとわかったのかわからなかったのか、やっと自分の話を聞いてくれる人がいた、という感じだったんですよね。それで素直についていっちゃうその先が、王室のサナトリウムというのがまたツライんですが。

 2幕のサナトリウム。身体と心のバラバラさ加減がすごくリアルというか。見舞いにきた王子の傍に行きたいんだけど、身体がそれを拒否する。仕方がないので、窓枠に脚を上げてお尻でずいっこずいっこと前に進む。「ほら、もう私よくなったのよ」と動いてみせようとして、でも身体はぎくしゃく。王子を愛する気持ちと、それを赦さない気持ち。その葛藤は湖畔の場面でも続いていて、妄想の中の王子は「自分だけを見て、自分だけを愛してくれる」けれど、オデットの方はグランアダージョの中でさえも、それを心から信じているような気はあまりしなかったです。アダージョの最後、二人を引き裂いて王子を攻撃する白鳥たちは、オデット自身でもあるんだよねぇ。信じたい/信じちゃダメ、愛してる/アンタなんか赦さない。二つの間を揺れ動くというよりも、両方いっぺんに抱え込んでしまったオデットを、イーストーの定まらない視線が描き出していたように思います。

 あ。サナトリウムの男爵夫人ですが、ブルの時は王子と一緒に来た(王子が連れてきた)ように見え、カランの時は「なんだってこんなところにまで来やがったんだ、このー」のように見えました。そんな細かいことも、3幕の印象を左右するのかもしれないな。

 続く予定。

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