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2011/02/20

保坂氏のルポと、長崎のいくつか。

 先週・今週と「週刊朝日」に上・下で掲載された、保坂展人氏の「かくれキリシタン信仰の今後」を読みました。保坂氏は、自分にとっては、内申書裁判→青生舎→国会議員→浪人中、の人なので、そこから「かくれキリシタン」が出てくるとは思わなかったけれども。でも元々が「現場を歩くルポライター」の人ですから、そんなに驚くのも失礼っちゃ失礼やね。

 今回は、平戸と橋で結ばれている生月島が主な「現場」。そこから100キロほど離れた外海地方までを訪問取材してまとめたものです。紙幅の関係で食い足りない部分がないとは言いませんが、学問的にでも風俗的にでもなく、「過去から続いている現在のことであり、さらにその先に続いていくこと」として描き出しているのは、保坂氏ならではだろうと思います。それが「現場を歩く」ってことなんだな。しみじみと。

 下(今出てる号)を読み終える頃には、なにかちょっと胸が熱くなったりして。その「熱くなる」中身がなんなのか、自分でもよくはわからないのですが。

 長崎は好きな街です。自分は8/9がらみで行くことがほとんどで、長崎市内を何度か、それに佐世保と高島くらいしか行ったことはないのですが、心理的に近しい場所のひとつ。

 その中でもいちばん好きなのは、二十六聖人殉教地にある公園。夕暮れ近く、この高台で少し涼しくなった風に吹かれていると、慌ただしい公式/非公式の日程から離れて、面々と続く「土地そのものの記憶」を感じることができます。
 ……ええまあ、大体どこに行っても、高台で風に吹かれてぼーっとしてますけども。あと、大浦天主堂もすごく好きな場所のひとつです。行ったらはずしたくないところ。

 ぢぶんの大好きなオヤジたちは、長崎にも何人かいるけれど、その一人が稲佐山の展望台から長崎市内の状況を説明しながら、ぽつんと教えてくれたこと。
 「長崎ではね、原爆を「浦上五番崩れ」という人もいるんだよ」、と。

 「浦上崩れ」の四番までは、禁教時代のキリシタンの弾圧。原爆が浦上に落とされたのは「雲の切れ目があったから」という偶然だったけれど、浦上を徹底的に破壊した。そしてその「崩れ」という言葉は「浦上キリシタン」の中から出てきたというだけではなくて、外からのものもあったのだと。長崎の旧市街は被害が少なかったから、あれはキリスト教などという敵性国家の宗教を信じている非国民に罰が当たったのだと、被爆者へのそういう差別も長崎の中にあったんだよ、と。

 今回のルポは、浦上の話ではないけれど、自分の中のそんなことどもと何か反応したんだろうなあ。歴史はいくつもの切断面を作ることができるけれど、「土地の記憶」は切断することができない。保坂氏の文章は、そこをすくい取っているようにも思うわけです。

 もうひとつ、ちょうど「上」が掲載された頃に渡邊芳之氏(@ynabe39)のツイッター上で展開されていた「真のキリスト教」あるいは「キリスト教かそうでないか」を人が認定することは可能か、をめぐる論議を同時進行で読んでいたのも、面白かった要因のひとつだな。それはちょうど、大浦での「信徒発見」と重なる話だった。

 肝心のルポや議論の中味を書いてないけど、この辺で。
 
 保坂氏のどこどこ日記(これこれ

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