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2011/04/28

真打ち登場。

 日曜日の美輪サマの舞台の後で、局所的に話題になった(笑)、山口館。日本橋丸善のすぐ裏です。入口は山梨のアンテナショップで、その奥。うちは防府だから、山口といっても日本海側はほとんど行ったことがない。萩と青海島くらいだなぁ。久しぶりに柳内辺りでのんびりしたいなー。年末のカブキ全ツは岩国公演ないかな(←別になくても行けばいいんだが)。

 さて、ドラマも大詰め。

 GPDDも終わり、上手側に新郎新婦の席もしつらえられ(パパの席は取り上げられちゃうけど)、急を告げる音楽とともに大僧正猊下の……じゃなくて、ニキヤの登場です。ええ、最終日は悪の秘密結社の登場かと思いましたけども。大体この場面っていうのは「ニキヤが駆け込んでくる」印象が強くて、その後に「ああ、大僧正が連れてきたんだっけな」と思うもんだったんですが、最終日は大僧正がニキヤを差し出す感が強かったです。なんだろうな、あれは。例えば山海塾の舞台で、天児さんが4人ほど連れて舞台に走り込んでくる、あれと同じような感覚(わかりづらい……)。ニキヤがいて大僧正がいておつきの坊さんがいるという漠然とした状況ではなくて、一団がもっと意志的であるような。

 1場でも書きましたが、木村さんの「場の捌き方」というのは、踊っている時であれ、芝居の時であれ、何か独特なんですよ(少なくとも東バの中では)。ずいぶん前に、高岸さんの場の支配は垂直的で木村さんは水平的だと書いたような気がするんですが、ここしばらくでその違いがもっと先鋭化したというか。単純な「存在感」や「統率力」ではなくて、全体の流れの中での位置取り(空間的によりもむしろ役割的な)が非常に明瞭であることに起因しているのは確かだと思うんですが、それが本人だけではなくて全体を巻き込んで規定していくような、そういう「存在感」や「統率力」だったりするんです。それは高岸さんの、持って生まれたような「存在感」や「統率力」とは別のもので、舞台の上でひとつずつ積み上げられたものが今開花している、そんな気もします。傾向的には何年か前からあったものではありますが。

 出てきたところで終っちゃうじゃん(笑)。

 ニキヤが中央で踊る間、上手手前にはソロルとガムザッティが座り、上手手前から奥にかけてはラジャが、下手奥から手前には大僧正が配置されます。見どころはもちろん、ニキヤの「嘆きの舞」であり、ソロルのなにがしかの後悔なり逡巡なりなのでしょうが、実際のドラマを動かしているのはラジャ。
 恐ろしいことに木村さんのラジャを見るのは今回で6回目なんですが(笑)、ソロルの動向を注意深く眺めながら、ニキヤを本当に殺すかどうかを決める瞬間というのが(日によって違う)存在します。立ち役なりに指定された振りもありますが、そのニュアンスも日によって違ったりします。ニキヤを見る目もクールだったり、同情的だったり。アヤを呼ぶ時の指の美しさは単なるファンツボだけど(笑)。

 その対角線上に配置された大僧正。3場後半のこの場面は、ニキヤの舞う舞台中央をはさんで、ラジャと大僧正という二人の「悪役」の対立のドラマでもあることが鮮明に浮かび上がる最終日でありました。

 ……ていうか、ラジャと大僧正が両方木村さんだったら、亜空間できてたな、と( ̄▽ ̄)(←ちょっとは憎まれ口も叩かないと気が済まない)。

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