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2011/05/31

アレクセイ、続き

 そろそろ業量も落ち着いて……のはずが、フタあけてみたらパートさん2人休みで、やっぱり残業。油断ならんな。

 さて、「アレクセイと泉」の続き。

 映画は、アレクセイのナレーションによって進められていきます。ロシア語はほとんどわからないのでわかりませんが、プログラムによると、かれのロシア語はとてもやさしい(イージーではなくテンダーの方)のだそうです。
 ……ぱっと見が、ちょっとルダコさんを思わせるんですよ(笑)。たいして似てないんですが、鼻の感じかな……。そういえば彼もベラルーシだったような気がするんですが、ちょっと裏が取れない。映画の最後に村の人たちのクレジットが出ますが、「……エンコ」の人が多かった。グルジアの「……バーゼ」のように、地域性がある名前なのかな。うんとどうでもいいことを言えば、うちの現国の先生は「エグチェンコ」と呼ばれてましてなぁ(本名は江口)。

 うん、まったくどうでもいいな。

 彼は撮影当時30代半ば。「青年」というにはどうかな、と思わなくはないですが、周りはみんな年寄りばかりなので、十二分に「青年」。70を越えた両親と暮らしていますが、村全体の息子のようなもの。力仕事やコンバインの運転など、年寄りの手に余ることはすべて彼が頼り。

 映画の中に彼の誕生日を祝う場面があります。母親は「いいお嫁さんを」というようなことを言いますが、アレクセイ本人は結婚を諦めています。生まれた土地で両親の手伝いをして、役に立つことができる。それですべて。雪の平原で、犬とはしゃぐ彼の姿は、映画の中でたったひとつの「若者らしい」姿かもしれません。

 彼はロシア民話に出てくる「末息子のイワン」を思い出させます。どこかほかのはしこい若者たちとはズレてるけれど、最後には幸せを掴む役どころ。けれど、アレクセイには羽根をくれる火の鳥も、ご馳走の出るテーブル掛けもやって来ない。あるのはこんこんと湧き出る泉だけ。

 実は、彼は自分とひとつ違い。今は40代も半ば。両親も、斧と鋸だけで見事な大工仕事を見せたイワンやワシリーたちも、80を越えているはず。
 水汲みという重労働を毎日繰り返す老人たちに、「泉に水を汲みに来れなくなったら、その時が村を出る時なのかもしれない」と、アレクセイは思う。村を出た子どものところに身を寄せるのか、行政の福祉施設を頼ることができるのか。あるいは村で骨を埋めるのか。どのようにして。

 そして最後に一人残るであろうアレクセイ。村の老人たちを見送り終えた後、彼はどうするのだろう。町にいる兄弟たちの元に行くのか、村で祖先の墓を守って一人で暮らすのか。

 「消された村」の問題は、過疎と高齢化の村の問題でもある。ただ、ここには「未来」がない。帰ってきて「村おこし」をする若者がいない。若者はここでは生きられない。放射能による「緩慢な死」が待つ村と、ほかの「過疎の村」との決定的な違いはそこにある。

 つづく。ちーちゃん話に戻ってくるつもりはあるのだよー( ̄▽ ̄)。

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