ニーナのチケとり/死んだらそれまでよ党宣言
日付変わった夜中にいきなり「ニーナの白鳥、今日(というか昨日)発売日だったんじゃ!」と思い出して、わらわらとチケとり。ジャパンアーツのぴあネット会員っていう枠ですね。夢倶楽部じゃなくて一般向けのネット会員(無料)の先行発売。おかげさまで日曜のAのぢぶん的良席が捕れました。今回のグルジアはこれ1回の予定。ガラはむしろ「グルジア民族舞踊」がみたいな、とは思うけど、PCの買い替えなども控えているのでこんなところで。
しかし、ネットで座席選択ができるところも増えましたなー。JAのネット会員も選択できるので助かりますが、席種を選んでからブロックを選ぶのではなく、ブロックを選択してから「そこは何席だよーん♪」というのが表示されるので、右往左往しちゃったよ。
さて、今日は午後から被曝労働問題を考えるっちゅーことで、「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」の脚本家、近藤昭二氏の講演を聴いて参りました。映画の方は昨年、新文芸座で特集上映をやった時に見ました(これ)。おもしろかった!
企画のそもそもは「不良少年ものをやろう」というところだったそうな。不良少年が修学旅行からはずされたのを恨んで、修学旅行積立金を強奪し、自主修学旅行をし、そこで日本国内の「棄民」をめぐるというような話だったらしい。確かに冒頭に、その積立金強奪の場面はあるんだが、強奪そのものに失敗して、バーバラとケンカになった正たちが宮里についてジプシーになる、という流れになっている。
そしてこの映画の前に731部隊についての取材をずっと行っていて、そこで「科学者の倫理とはなにか」を考え始め、そこから「原発の科学者の倫理とは」と考えていた、とのこと。
舞台のひとつが名古屋なのは、自分が名古屋出身・名古屋育ちなので、いつか名古屋弁の映画を創りたいと思っていたのと、大阪弁にしてしまうと(福井の原発労働者は釜ケ崎から集められることが多い)ありがちな感じになってしまうこと、最後にフィリピンまでの密出国船を出す場面があるので名古屋港がいい、ということなどで、実際には名古屋に「沖縄租界」的なものがあるわけではない、とか。
沖縄に関しては、きちんと取り上げると長くなってしまうので、背景的に入れるに留めた(とはいえ、「下層労働」を沖縄からの「移民」に頼る構図はそれなりに描けているとぢぶんは思うのですが)。森崎東監督が沖縄については強い思い入れを持っている、とか。
「溢れる情熱、みなぎる若さ、協同一致団結ファイト!」のコールは、実際に「自分が凹んだときのおまじない」にしていた女性(ホステスさんだったかな)から拝借したとか。
撮影時のエピソードとか、中に入れ込めなかったエピソードとか、取材で出会った人の話とか、面白い話が山ほど。
その中でも原発に関していうならば、映画の中に出てくる「瓶を吹いて、いい音がしたら被曝量が少ない」という、実際に労働者たちの中で言われているある種の占いというか縁起担ぎのようなものですが、現在は、「ファンデーションのノリがよければ内部被曝が少ない」という話が女性たちの間で言われていると、これは福島から秋田へ避難している人たちから聴いたそうです(そして実際に結構厚く塗っていると)。
また、原発の中で死んだ労働者の遺体がドラム缶に詰めて搬送される、という話も、今もまだされている、と。
ぢぶんは、これらは、いってみれば「都市伝説」に分類できるように思うのですが、原発はこの種の「都市伝説」を多く生みだすもののひとつのではないだろうか、と。関係する人の多さに比べて、その内部事情がわかりにくく、また生死に関わるような仕事でありつつ、労働者自身も不安を抱えたままで働いている。
いくつかそういう場所があるように思います。ひとつは、かつての炭坑。もうひとつは軍隊。松谷みよ子のいう「現代民話」という切り口で原発を見る、ということで、なにか原発の抱える「切実さ」を別の形で切り出すことができるのではないだろうかと、そんなことをぼんやり考えたりしたのでありました。
映画公開は85年、チェルノブイリの前年です。山谷の支援の人も何人か来ていて、公開当時、監督を招いて山谷や釜で上映会をした時のエピソードなどもフロアから紹介されたり。
そうそう、DVD、発売になったそうです。
おっつけ、レンタルも始まるそうで、「幻の映画」がいよいよ「幻」でなくなった、と(^▽^)イイコトダー。
| 固定リンク
コメント