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2012/02/04

フリーギア!

 さて、さくさく行きますよー(多分)。

 フリーギアはニクーリナ(韻を踏んでるなー)。美しかったですねえ。清楚でつつましやかな、スパルタクスの妻。オデットなんかいいだろうな。ドミトリチェンコとの息もぴったりで、アクロバティックなリフトを次々と決めてました。しかも、一瞬それが「アクロバティック」であることを忘れさせてしまうような、流麗な、とでもいいますか、やっぱり「踊り」なんだなあ、と。2幕のPDDだったかな、スパルタクスに、三角形にぶら下がったまま退場するのがなんか好きだったなあ(^▽^)。

 いやしかしだな。ニクーリナのパフォーマンスには一点の不満もないんだが、ドラマとしての「スパルタクス」の中でのフリーギアっていうのは、やっぱりある種の「彩り」なんだなあ、おそらく。それは今回の主演4人の個性ないし解釈によるものかもしれないし、グリゴローヴィチの解釈かも知れないし、そもそもそういうものなのかもしれないけれども。
 つまり、一見色物のエギナがぐいぐいストーリーの中核になって、少なくともアレクサンドロワの場合は牽引役になるわけだけど、フリーギアっていうのはストーリーそのものには「咬んで」ないという意味で対称的だなあ、と。

 ドミトリチェンコのスパルタクスの蜂起の動機(あ、これも韻を踏むな)は剣奴として仲間を殺さざるを得なかった方に力点があって、その前にフリーギアが道化師たちに辱められる場面はあるけど、それはスパルタクスは見てないわけで、動機/契機になりがたい、というか、なってないように思うわけです。2幕と3幕のPDDは本当に美しくて、見ごたえもあったけれども、スパルタクスにとってフリーギアがなにかの動機になっているかといえば、なっていない(ドミトリチェンコのせいかもしれないけどー)。例えばよくあるような「守るべきものの象徴」や「銃後の妻」ですらないように思えるんですな。

 で、フリーギアは何してるかっていうと、嘆いて、愛しているわけです。宴席で慰み物にされても為す術はなく、スパルタクスの胸で安らぎ、出征を嘆く。このある種の無力感っていうのが「奴隷を象徴してる」といえなくもないけど、いえなくもないけど、いえなくも……ないなあ。

 アレですか、「女は世界の奴隷か!」ってヤツですか(←今思い出した)。

 おいといて。

 これはニクーリナの個性によるのかもしれませんが、1幕のその宴席で翻弄される場面の方が「人妻」っぽく、舞台が進むにつれてむしろ純化されて「清らかな」イメージになっていったような気がしました。周囲がローマの宴会という猥雑さではなく、スパルタクスと二人きり、というシンプルな場面になっていったせいかもしれません。

 で、結局フリーギアとは何だったんだろう、と思いつつ、ラストシーンを見て、ああこれは「ピエタ」だったんだな、と。
 串刺しになってつり下げられる(上げられるというべき?)スパルタクスの姿というのは(何せ相手はローマ軍だし、ドミトリチェンコの顔の長さや金髪度合いとも相まって)、キリスト的であるなあと思いつつ、何でも吊り下がってりゃキリスト的だってこともないよな、とかごちゃごちゃ考えてたわけですが、最後のスパルタクスの遺骸を回収した仲間たちのところへ夜をかきわけながらやってくるフリーギアは、やはりマリア(聖母でもマグダラでもどっちでもいいですが)をイメージさせる。これはニクーリナのピュアな雰囲気に負うところも大きいのかな。最後のニクーリナの表情は圧巻でした。

 それもこれも、自分の頭の中にある、「ベン・ハー」的なイメージにも左右されてるんだろうなあ、と、最初の話に戻るわけですよ(^▽^)。

 というわけで、「清くつつましく、愛に満ち、芯が強くてしかも無力」という、絵に書いたような正しいヒロインのフリーギア。例の「女には二つある」ってヤツの、その二つをきれいにパッカリわけあったフリーギアとエギナでありますが、そのエギナもアレクサンドロワにかかっちゃうとまた別の意味を体現してしまうというお話は、また3日後くらいに(多分)。

 いやー、しかし今回のぢぶん、フェミっぽいじゃないか( ̄▽ ̄)!

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