富山城址公園その3
(前々回からの引き)
大体が、こういう公園にああいう大きさで立ってる碑っていうのは、十中七八忠魂碑なんだよ……。あーめんどくさい、めんどくさいけど撮っとかんとならんやろなーやっぱ(←微妙な任務意識)。はー。
警防団の碑でした。戦前の消防団みたいなもの。
まあ当たらずと雖も遠からずかー、しかしデカいなこりゃ、いや「崇高な使命」はまあともかく「旺盛な郷土愛護の精神」ってのはなー、富山空襲の時にも被弾しなかったのかそりゃ何よりだねえ、ふむふむ(←説明板を読んでいる)……って、竣工が元号と皇紀併記かよおいおいって、まあそりゃ碑文をそのまま翻刻してるってことなのか、しかし、こういうところには付き物だよなあアレ、やっぱり……
こちらは戦災復興記念天女の像。富山空襲の慰霊碑、ではないんだな。むしろ「復興」に重心がある。一昨年にできたばかりらしい。
富山空襲というのは、いわゆる地方都市に対する空襲の中では知られた方だと思うのだけど、45年の8月2日未明というのは、本当にもう。8月に入ってからの空襲っていうのは、本当にやりきれないですよ。説明板によれば、11万人が罹災、2700余人が死亡。
富山空襲で思い出す逸話がありまして。多分、富山空襲だったと思うんだな。聞き書き集に出てくる話で。空襲の翌日、町内の人が広場に集まって、焼け残った家具だの、家の端材だのを燃してたんですね。つまり、半端に焼けたり壊れたりしてもう使えなくなったようなもの(いわゆる「ガレキ」だ)は、燃しちゃうのがいちばん早いから。そしたら、若いお母さんが、片手に赤ちゃんを抱いて、もう片手に何か忘れたけど、その焼け残った家具か何かを持ってやってきて、ぽん、と赤ちゃんの方を火の中に投げ込んで。「あ、間違えた」って言って、一拍置いてから半狂乱になって火の中に駆け込もうとしたのを周りの男の人たちが必死に羽交い締めにして止めたっていう。
……羽交い締めにして止めた、っていうことは、書いてないけど赤ちゃんはなあ……。その話をしたのはそばで見ていた近所の女の子(当時)なんだけど、そのお母さんの夫というのは出征中だか戦死しただかで、義母さんと赤ちゃんと3人暮らしで。
読んだのは何年か前ですが、今でも豆をむいてて、豆の方をゴミ箱に捨てちゃったりすると思い出すんですよ。
天女の隣はタイムカプセル。開封は2089年。どんな世の中になっているのやら、確かめることはできませんが。
富山城を振り返ってみる。ここから神通川方向へ向かいますよ。
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