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2012/10/02

「原爆ホーム」設立者の伝記

 図書館に返しにいかないといけないので、大急ぎで。


 山田幸子著「江角ヤス (シリーズ福祉に生きる) 」

 この夏にみた映画「夏の祈り」(公式サイト)は、長崎にある被爆者専用老人ホーム(いつも8/9の式典のあとに首相が訪問するところ)と、そこに住む被爆者の方のドキュメンタリーですが、これはそのホームの創立者の伝記。著者の山田氏は、ホームに勤務したあと長崎純心大で勤務されてるそうで、いわゆる弟子筋の方ですね。

 まあこのシリーズ自体が、いわゆる「普及版」的なものなので、読みやすいですが、食い足りなくはありました。なかなか知られていない福祉の先覚者たちをここまで網羅的に取り上げるというのは、意欲的なシリーズではあるんですが(福祉系大学の図書館には一揃いあるはず)。

 自分が関心を持ったのは、映画のプログラムに出ていた、ホーム運営の原則、
1.国家補償の対象施設であること
2.「被爆者」のための施設であること
3.殉難学徒および原爆死者の供養になるような施設であること
4.医療が受けられる生活施設であること
5.人生の最期を看取ることが可能な施設であること
6.福祉教育に貢献できる施設であること
7.核時代に生きる人々にアピールする施設であること
 によるわけですが。

 元々、長崎純心の創立者で、被爆当時校長でもあった江角氏は一方で皇室派の愛国者でもあり、勤労動員に出ていた多くの生徒を原爆で失ったことで、「亡くなった生徒たちの替わりに、父兄の(老後の)責任をとる」ということがホーム設立の大きな動機のひとつであったようです。この207名の生徒(と7名の教職員)の死は、江角氏の戦後の活動の原点であって、そのすべてが彼女たちに捧げられたといってもいいのかもしれません。

 もっとも、ホームの設立は60年代から準備されるのですが、それまでの日本の福祉の貧しさ、とりわけ被爆者への支援は不十分であり、いわゆる「原爆孤老」は火急の問題でもあったようです。今の視線でみれば「高齢化する被爆者」という像でとらえてしまいそうですが、「原爆孤老」問題というのは原爆が落ちた瞬間から発生するわけですよ。考えてみれば当たり前だよなあ。

 ホームの運営は、戦後の福祉史の中でもいろいろと画期的なものであったらしいけれども、その辺は詳しくないのでおいておいて。

 ぢぶんも、プロテスタントとはいえキリスト教系(ミッションではない)女子校で6年過ごしたので、感覚的に「あー」と思うところはたくさんありますが。
 「原爆投下は太平洋戦争に起因するものであり、この戦争責任は日本国家にあることが明確」として、ホームを「国家補償の対象施設に」との原則を第一においた(実際に68年の特措法を待って設立された)にもかかわらず、その後に「こんなによくしていただいて、一体国家は後でお困りにならないのか知らん、もう少し、もっと余りよくしてくださらない方がよろしいのでは」(80年の理事長あいさつ)などとするっと言ってしまう(あいさつなので多少割り引いて聞くにせよ)あたりが、やっぱり「国家主義」からは抜けられなかったのかなあ、とか。いや、かなりマズイと思うんですけども。

 長崎、というよりも浦上に落とされた原爆は、落とした方の偶然性とは全く別個の意味をたくさん生み出してしまったとぢぶんは思いますが、その「永井隆的なもの」と「美談(特に「美しい死にざま」)」の克服というのは容易ではないなあとあらためて思いましたです。

 映画の方は、関東での上映はしばらくないようですが、機会があったらぜひご覧ください。監督の、まっすぐに向かい合って取り組むその撮り方に、とても好感を持ちました。すべて撮り終えて東京へ戻ったらあの大震災があった、とのことでしたが、内部被曝問題などは「福島以後」に撮ったかのようなタイムリーな(不幸な偶然ですが)ものになっています。
 

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