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2012/11/19

ガザ・サムニ家の子どもたち

 くるみのことも、オネーギンの最終回も、小牧の白鳥も残ってるんですが、ガザのことが気になって、楽しい話を書く気がしません。


 古居みずえ「ぼくたちは見た: ガザ・サムニ家の子どもたち」

 レビューを書こうと思いつつ、あまりに期間をあけながら読んでしまったので、そのままになっていた本。同名のドキュメンタリー映画(監督=著者)の上映会が5月にあって、この映画がダンナ絶賛だったこともあって出かけていき、その会場でなかばパンフ代わりに買いました。

 2008年末から09年にかけて行われたイスラエルのガザ攻撃にあった子どもたちの証言を中心としたルポです。サムニ家を中心にしつつ、ほかの地域(ガザ地域内の)のほかの子どもたちの証言も若干。

 サムニ家はガザで最も大きいゼイトゥーンという町に住んでいる、比較的裕福な農家。ゼイトゥーンというのは、ガザの中でもいわゆる難民ではなく、48年以前から自分の土地を持って住んでいた農民が多い地域で、サムニ家もそうした一族。「サムニ家」といっても5人の息子とその妻と子を全部合わせると70人がとこいるわけです。その親戚合わせると膨大な数に。

 そのサムニ家の人たち約100人が2009年の1月に、イスラエル兵によって1軒の家に閉じ込められたまま空爆され、29人が殺されたという「事件」を生き延びた子どもたち(と、もちろんその親たちも)を、半年の間をおいて2度取材した記録。子どもたちが何を見、何を感じ、半年の間にどのように自分の気持ちをみつめ、整理し、変わっていったか。

 目の前で自分の親・兄弟・従兄弟・叔父叔母が殺されるということが、子どもたちにどのような傷を残すのか。空爆で傷ついた人々を家の中に置いたまま、逃げねばならなかった人たち。救出されるまでの3日間、首や手足のなくなった家族の死体の中で過ごした子どもたち。その後の生活は、親戚どうしで支え合っているにしても、以前のようにはいかない。家を壊され、畑を壊され、イスラエル兵によってオリーブの木は切り倒され、働き手を失った人々。学校に行っても勉強に集中できず、常にイライラし、突然人を殴りつけたい衝動にかられるようになる。早く死にたい。死ねばお母さんに会えるから。大人ですら、幸福感や現実感を失い、精神安定剤なしには生活が保てない。

 ガザの封鎖は2007年から今に至るまで続いている。家を建て直すための物資も入らない。それでも、外国のNGOからの援助で、オリーブを植え直すことはできた。オリーブは植えてから収穫まで10年かかる。切り倒すのはほんの一瞬。

 サムニ家の子どもの一人は、NGOのプログラムで、20日間ポーランドに招待された。ポーランドは戦争もなくて、美しい木もたくさん生えていて楽園のようだった。イスラエル軍が攻撃をやめてくれれば、ガザを楽園に変えることができるのに。「飛行機には[戦闘機以外の]旅客機もあるということを初めて知った」という10歳の少女はそう言った。

 今回のガザへの空爆は、こちらの記事によれば、「雲の柱作戦」以前の5日、「精神障害を持つ何の罪もない20才の青年が国境近くをぶらついていて撃たれたこと」に端を発しており、その後8日にサッカーをしていた少年が銃殺される事件があり、「11月10日に4人のイスラエル兵が国境付近で負傷したのは、ガザ地区で暮らす一般市民が殺された後のことであり、すでに進行中の事態の一環であり、それが(今回の攻撃の)きっかけとはなりえない」としている。

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