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2012/11/20

黒猫堂商店の一夜

 藤宮史「黒猫堂商店の一夜」

 木版漫画による小品集。時々見るような、1ページ(あるいは半ページ)に木版画があって文がついているという体裁ではなく、普通にコマを割って、オノマトペなども含めて木版で彫ってあります。さすがに文章は活字(っぽい写植)ですが。というか、もう「写植」ともいわないのかな。

 彫刻刀の彫り跡が温かく、なにやら懐かしい気持ちもしますが、画面によっては字が読みづらくもあります。いやもう年寄りだからね( ̄▽ ̄)。

 主人公の黒猫(黒猫堂の主人で、詩人で、同人を橋の上で売ったりするような)のモノローグを中心としたオムニバスに、芥川龍之介の「蜜柑」や葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」などを入れたもの。
 まあ猫といっても、アタゴオルと同様に、二足歩行して背広をきて電車に乗って珈琲を飲む、というあの系統です。「あの」って「どの」だよ。

 なんといいますか。落ち着いたアタゴオル(なんだそれは)というか、ブラックでない初期高橋葉介というか(なんだそれは)、子どもがおっさん猫になった谷内六郎ちうか(なんだそれは)、そのどれひとつとしてあってないような気がするけども(ていうか語義矛盾だらけじゃねぃか)。んー。

 正直、雑誌に1編入っているのを連載で読むには好きだけど、1冊まとめて読むとちょっと飽きるかな。「黒猫堂」の、気の利いた古本と版画、珈琲とお酒と音楽の店っていうのは、なんかこう、ある種の「男のロマン」くさくてなあ、というか。自分の知人の古本屋は、「古本屋になったら股火鉢で仕事できると思った」と言ったけど、そういうたぐいの。でも多分、こういうものが好きな人は多いだろうなあ、とも思うんだよな。で、またこういうものを「昭和レトロ」的なことばでまとめるのも好きじゃないしな、とか。

 しかし、木版画という技法は、プロレタリア文学と合うものだ、というのはその「昭和レトロ」的なものとのからみでもあるんだろうけれども。自分はプロレタリア文学の素養はないので、葉山の「セメント樽」を読むとつい高橋葉介の「腸詰工場」を思い出しちゃうんだけど( ̄▽ ̄)、そもそもそっちがプロレタリア文学のパロディだよねぃ。

 えーと。

 収録作の中では、「パラソルの微風」がいちばん好きでした。魔夜峰央賞受賞作。例の黒猫が、友人の留守宅で1週間留守番をする、というただそれだけの話。

 ゆったりとした瀟洒な午後を楽しみたい方に……かな。あるいは冬の夜長に珈琲にウヰスキーをたらして、とか。

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