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2012/11/06

女川の中学生の俳句

 小野智美編「女川一中生の句 あの日から」(羽鳥書店 はとり文庫)

 女川第一中学校で、2011年の5月と11月に全学年で取り組まれた「俳句の授業」。そこで詠まれた俳句を紹介しながら、詠んだ中学生それぞれの思い、彼らを見守る家族や教師の思いをたどって行く。編者は11年9月に朝日新聞仙台総局に赴任した記者で、朝日新聞宮城版に連載された記事を加筆修正したもの。

 女川一中は高台にあって、地震で一部の校舎が使えなくなったものの、津波の被害を受けることはなかった。「あの日」は卒業式の前日で、その準備が行われていた。生徒たちは津波にのまれていく女川の街を、自分の家を、家族の職場を目撃する。

 書くこと、というのは対象と同時に自分と向かいあうことでもある。ことばを探す、というのは自分の中に分け入っていくことでもある。探して探してようやくみつかることばもあれば、それこそ降ってくることばも湧いてくることばもある。そうして「ことば」を探しながら、実のところそれは自分の感情を、あるいはその時の状況を整理し、腑分けし、その奥にある「何か」をみつける作業なのだときづく、こともある(さすがに毎回そういうわけにはいかないけどな)。

 無限にある「題材」の中から何を選び、それにしっくりとくる「ことば」をどう選ぶのか。授業だからいい加減でいいや、というにはあまりにも重い経験をし、それを見つめ返すことになった中学生たちの句の中に、彼らの葛藤がみえる。
 さらにNHKラジオの国際放送で紹介された「見上げれば ガレキの上に こいのぼり」の句が17言語に翻訳され、これに続く詩を、と募集したところが49カ国/地域から800の詩が寄せられる。その中から選ばれた詩を、さらに生徒が選んで7・7の第2句に詠み直す。この授業については別の書籍で紹介されてるそうだが、生徒たちは、今度は「自分(たち)に向けられた他人の思い」と向き合う。それは彼らの言語(だけでない)経験をより豊かにしただろうことが、彼らの詠んだ第2句からもうかがえる。
 主に指導にあたったのは、震災で娘さんを亡くされた佐藤教諭。彼の「レモン哀歌」を教材にした、3年生最後の授業は圧巻。

 「国語の授業」というのは、まだこれほどの可能性を持っているのだな、とあらためて。まだまだ紹介されていない取り組みももちろんあるのだろうけれど。
 そして、朝日ってのはこういう連載企画記事はいいんだよなあ、記者の力量がないわけじゃないんだよなあ……と、ちょっとため息ついてみたりもして。

 こっちは未読。

 

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