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2012/12/13

ざっくりと。

Ca3k0320

 ちょっと資料を集めてる時間はないので、ざっくりと、ここ数日くらいの「徴兵制議論」について。

 「奉仕活動義務化」が最初に出たのがちょっといつ頃か覚えてないんだけど、多分90年代後半ではないかと思う。徴兵/兵役拒否/動員関係についてはぢぶんがやや担当的に扱っていたので(←明確な区分はないんだが、「まあこの辺りは誰々の領域ね」的なゆるい分担)、いくつか文章も書いたんだけど、残業が続いてて、掲載誌を探してる余裕がない(笑)。

 このときから自分の論は「徴兵へのステップとしての奉仕活動義務化」を含んでいたんだけど、そこでいう「徴兵」は、戦時中のいわゆる「赤紙が来て」的なものではなく、もっと「体験入隊」に近いものだ。
 今でも「体験入隊」という枠はもちろんあって、有名なのは三島由紀夫だろうが、ぢぶんの友人の身内の僧侶にも「荒行をやるための鍛錬」として自衛隊に体験入隊した人もいる。ぢぶんの新卒の頃(バブル期ってやつだ)はまだそれほど多くなかったが、会社の「新人研修」として体験入隊が義務づけられて行った友人もいる(有名な大手印刷会社だが、民代さんのところではない)。こうした「体験入隊」に予備自衛官的なものを組み合わせたものをイメージすべきだ、というのが「徴兵」に対する自分の一貫した論調であったと思う。石坂啓がかつて「安穏族」だったかその後のシリーズだったかで描いた「徴兵もの」がイメージの助けになるだろうと思うけど、それももう絶版だろうなあ。

 旧来型の「徴兵制」について、実のところ自分にはあまり現実性は感じない。というのは、反対が多いからというのではなくて、徴兵制のもつ弊害については、アメリカがベトナム戦争でイヤというほど思い知ってるからだ。実際に中国大陸中に兵隊をばらまくような事態にならない限り、リスクの方が大きいとぢぶんは思う。

 石原や東国原が言っている「徴兵」もそんなことではなく、「軍隊に若者をぶちこんで鍛える」というものだから、これは「体験入隊」をハードにしたもので十分で、これを高校なり大学なりのカリキュラム(たとえば夏休みの特活として単位に勘定する形で)にぶち込めばすむ話である。最初は義務でなくていい。ほかの奉仕活動と同等のオプションとして入れて、先輩の体験談として「悪くない」選択科目として広まりながら、ごく普通の選択になって人心が慣れた頃に義務化してもいいし、しなくてもいい。「体験入隊」ならコストはある程度参加者の負担となるし、カリキュラムに入れば文科省負担分が発生する。

 それを「徴兵」と呼ぶかどうかはともかくとして、いわゆる「徴兵制復活論」はそこまでゆるく考えるべきだと、ぢぶんは思う。徴兵制度が問題なのは、「若者が戦争に行く」からだけではなく、軍隊文化(思考形態も含めた)が、そのまま市民社会に持ち込まれ、結果的にそれが社会(「空気」を含めた)を牽引して行くことになりがちだからだということを忘れていはいけない。具体的な武器の使い方云々よりも、その「空気」こそが戦争を準備するのだ。

 徴兵制度がすぐ敷かれるかどうかそのものは、それほどの議題ではない。そんなことは「ただちに」はできないからだ。しかし、「徴兵を志向する政党/政治家」が政権を握ることは、あるいは握り続けること(それは自民党政権が続いていた時代を考えればいい)は、大きな意味を持っている。それは「ただちに影響はない」かもしれないが、「ただちに影響はない」ことの胡散臭さと不気味さと恐ろしさとは、とうに体験しているはずなのである。

 写真は先週末、近所の公園で。


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