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2012/12/24

カルメン故郷に帰る

 24日は、午前中に松山のくるみを見て、夜にオーディトリウムの木下恵介特集から「カルメン故郷に帰る(白黒版)」を見るという、半端なスケジュールでして。松山のくるみは、ついに垰田さんの全幕主演を見た(^▽^)! という、待っていればそういうこともあるんだなー的な感慨深いものではありますが、まあ清水さんの改訂含めていろいろとごちゃごちゃしそうなので、まずはカルメンの方から。ちなみに、松山のGWはコッペリアの再演のようです。初演でわかりづらかったところは改善されるのかな。

 つことで。
 日本初の総天然色映画で有名な同作ですが、今回の上映は白黒版。てっきり、同じフィルムを加工して白黒になってるのかと思ったんだけど、Wikipediaによれば、カラー版が(技術的に)ぽしゃった時に備えて後から別撮りしたものだそうで、色違いというだけではない文字通りの「別テイク」なんですな。もっとも、カラー版見てないから、どこが違うかはわからないよ……。
 しかし、カラー版の撮影自体が大掛かりな実験だったわけで、それを終えて慣れた白黒フィルムで撮影したバージョンは、そりゃ力みのない、いい雰囲気の映画になるよなーと思わんでもない。

 話はよく知られた通り。故郷の北軽井沢から家出し、東京でストリッパーをしているカルメン(高峰秀子)が、踊り子仲間のアケミ(小林トシ子)を連れて帰ってくる。家出した娘を快く思わない父、たびたび仕送りを寄越すカルメンに味方する姉、彼女たちが「舞踊家という芸術家」だと信じて父との仲介をする堅物の校長(笠智衆)、カルメンがかつて憧れていた元教員で、戦地で視力をうしなった田口(佐野周二)とその妻、朱美が一目惚れする教師(佐田啓二)、金儲けに邁進する丸十の社長らが巻き起こす軽いコメディ。主題歌は黛敏郎だよ。うはああ。

 芸術家気取りで、とよくいわれるけれど、カルメンもアケミも自分たちが芸術家であることについてはみじんも疑ってなくて、それが「ストリップ」であることも含めて、自分たちの踊りと自分自身に誇りを持ってるんだよね。「娘が裸踊りをするなんて……」と泣き崩れる父は、そりゃ父の気持ちであって、ゲージュツとかなんとかとは関係がない。むしろそれを潰すのは堅物の校長であって、彼女たちの舞台で一儲けしようという社長の方が、逆に無邪気だったりする。
 この映画の眼目は、興行を止めさせようとする校長と父と姉とが、練習中のカルメンたちのところへ向かう途中で、父が「馬鹿なあの娘がいちばんかわいい、踊りたいというなら踊らせてやってくれ」と校長に切々と訴える場面だろうな。父親ってのはいろいろツライなあ……。娘の方は、そうとは知らずに「ヒャッハー!」なわけですが。

 しかし、カルメンたちと対極のような、清く正しく夫に尽くす田口の妻(井川邦子)が魅力的かというと、そうでもないというか。妻は妻で夫と夫に尽くすことに誇りを持っているのだけど、それは「旧制度の美徳」とでもいうべきもので。それが新しい価値観の中で生きるカルメンたちと、摩擦を起こすことなく(不干渉に近く)並立しているのは、51年という時代をよく表してるのかもわからないな。

 なんというか、頑固だったり、ゴウツクだったり、軽薄だったりはするけれど、「根っから悪い人はいない」というのは、「不死鳥」と同じモチーフだったりするのかな。二度目の撮影ということもあるのだろうけど、全体の雰囲気が柔らかく、高峰秀子が「愛されてるなー」というのが感じられて、見終わったあとがほんのりと気持ちいい。

 見ながら、「サザエさん」の原作に、サザエがいきなり立ち上がって「ワタシ、芸術のためなら脱ぐワ!」って言ってマスオや波平を慌てさせる話があったなー、てなことを思い出したりして(←脱ぎつつそのまま風呂場直行のオチ)。
 ぢぶんはいわゆる「芸術ファン」のアレコレにかなり辟易してるんで、周囲の思惑なんか無関係に揺らぐことのない誇りを持ち続けるカルメンが爽快でした。なにが「芸術」なのか、誰が決めるんでしょうね? 「裸踊り」の向こうにあるものを見ることはできないであろう校長?

 さて、明日からはまた残業。でもM…のこともまだ書くよ! 頼まれ原稿も残ってるけどなっ( ̄▽ ̄)。

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