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2013/01/04

松山のくるみ改訂版2

 つづきです。ダンサーさんそれぞれについてもあるんだけど、とにかく改訂についてだけいっちゃいます。

 クララがソファーの上で、くるみ割りを抱いたまま寝ちゃったので、パーティがお開きになるのは以前の通り。そしてそのまま夜中になって、時計だのいすだのがポルターガイストになって、ネズミが出て……なんですが。
 今回はねずみが「ねずみに姿を変えた魔性の鬼」という大仰なものになってまして。だから、前の場でフランツではなくねずみがくるみ割りを狙うのも、「魔性の鬼」が人形に閉じ込められたアマデウスを奪うとか、抹殺するとか、まあ話としての整合性はあるわけですね。

 ……でも、衣装は前と同じネズミなんだよ……orz。

 あ、そうそう。木の精のアンサンブルの衣装が黒のややスタイリッシュなものに変わってました。前のはモリゾーみたいだったもんなあ(←木の精なので正しい、とはいえるんだが)。
 ここいらの演出も、プロダクションノート的にはいろいろ付け加えられているようですが、舞台上の演出(と振付)が前のまんまだからもう、変わったんだか変わってないんだか……。
 まあそこは、演じ手の側の心持ちの問題で、見る側は普通に「くるみ割り」のお話を楽しめばいいんだよ、というのもひとつの(演出側の)ありようではあるとは思うんですけども。

 つか、「くるみ割り」は普通のお話(ホフマンではなくバレエ用の)があまりにポピュラーなために、どうしてもそっちに引っ張られるよなあ。

 そこからは、最後の別れのアダージョまで、「見た目の」演出変更はほとんどありません。「神」が「菩薩」になったところで、衣装も振付も変わらないわけだから、そりゃもう見てる方にはどっちでも、と。雪の精、水の精(←2幕の冒頭にある)、最後の「神の国」(←いわゆる「お菓子の国」)の場面のそれぞれが、クララの親しい人たちの生まれ変わりという設定になって、出会う人、出会う人とクララがハグしながら「きゃーヽ(´▽`)/」って喜び合うのはちょっと感動的ではあります。だけど、アマデウスにとっては知らない人たちだからさー、垰田さんのオロオロするのが大笑いでさー( ̄▽ ̄)。

 自分にとって、いちばん変わったように思えたのはラストシーンです。

 クララが目を覚まして玄関に飛び出すと、ちょうどドロッセルマイヤーが出立するところ。クララはドロッセルマイヤーに、雪の女王からもらったのと同じケープをかけてもらって、ああ、あれは夢じゃなかったんだ、と喜びにひたっている間にドロッセルマイヤーはそりで帰ってしまうのが、従来の演出。

 今回は、ケープをかけてもらったあとに、ドロッセルマイヤーに「行っちゃやだ!」とかなり追いすがってたように思います(←結構びっくりした)。それをドロッセルマイヤーがどう振り切ったのか覚えてないんだけどなー。う、頭が粗末だ。夢が夢でなかった喜びよりもはるかに、夢からさめた悲しみがまさった演出。大好きな人たちがみな行ってしまい、ひとり現実に置き去られたクララが泣きじゃくる中で幕が降ります。

 清水さんにしては、ずいぶん大胆な変更だと思ったんですよね。なんにせよ、彼の中にあるのは「希望」だと思うので。

 今回の「生まれ変わりの会」。日本的な感覚でいえば、「生まれ変わり」というのはまずもって現世へ、だと思うんですよ。「ナントカちゃんはおじいちゃんの生まれ変わり」とか、「悪いことをすると畜生に生まれ変わる」とか、「食べてすぐ寝ると牛になる」とか(←おい)。「地獄へ行く」「天国へ行く」というのは、「行く」のであって、「生まれ変わる」というのとはちょっとずれてるような気がする(もちろん仏教的にはそれも「天人に生まれ変わる」なんだけど)。キリスト教的にいえば、現世への生まれ変わりというのはなく、その人がそのままに天国や地獄に行ったり、墓の中で最後の審判を待ったりする。ものすごく乱暴にいえば、ですが。

 プロダクションノートによれば、クララは本当に亡くなった人たちが現世に生まれ変わって欲しいと願っていたようですが、雪の精や水の精や天使に生まれ変わっていた(←人格の一貫性はあるようなので「生まれ変わり」と呼ぶかどうかはともかく)友人たちと出会ったことで、逆に彼らと会うことは二度とないのだと思い知ってしまったのではないでしょうか。だから始まりは「偲ぶ会」ではなくて「生まれ変わりの会」なのかな、と。「偲ぶ」ってのは、二度と会えないのが前提なわけで。そうするとラストは「みんな天国で元気だったー、よかったー」になるように思えるんですね。

 ファンタジーというのは、「往きて復りし物語(小さなおみやげつき)」というのが基本スタイルで、その「おみやげ」によって主人公は「夢だけど夢じゃない」ことを確信し、現実世界においても成長するという、これまた雑ではありますが、そういう枠組みがあるわけです。最近はない方が多い気もするけど。
 その伝でいくと、大好きな人たちと二度と会えないという現実をかみしめながら(でも彼らは別の世界にいると確信しつつ)生きていかなくてはいけないことを知ったクララは、今は寂しさに打ちのめされたとしても、大きく成長したといえるように思います。清水さん的にいえば、そこからしか「希望の一歩」は踏み出せないんだろうなー、と。前の版も、「王子との別れ」がクララを成長させる、というのが眼目であったしな。

 まあ、なんにせよわかりづらい部分はあるんですが、ラストは単純にクララにもらい泣きしちゃったりするんで、それはそれでいいか、とも。

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