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2013/02/17

ラコットの映画のつづき

 ラコットの映画の続き。

 引用されている作品は、ごく最近のものや映像収録用に撮られているもの(TV放映用とか)は別にして、70年代当たりでもすごく状態が悪いのは、多分感度の悪いフィルムを使ってるんだろうなあ。
 
 ラコットがリファールに振付をやらせてもらえずに退団して自分のバレエ団を立ち上げて、テスマーがコンセルヴァトワールを出て就職したバレエ団が入って1年で解散しちゃって、というときに二人を紹介してくれる人がいて。まっこと、人の世は縁でできてるわけだけど、振付家にとって「ミューズ」というのはやはり必要なものなんだろうなあ、とぼんやり思ったり。ま、バランシンはミューズ多過ぎ、という気もしないでもないけど、それが「運命的な出会い」であろーがなかろーが、私生活においての関係はどーであろーが、自分のイメージを具現化する、あるいは具体的にイメージするための、具体的な肉体を持った相手。その「ミューズ」が女性だったり男性だったりもまたいろいろだけど、それが一人に固定化されることで生まれてくる振付家の作風、ていうのもあるような気がするわけで。女性振付家の場合はどうなんだろう。例えばニジンスカとか。

 いやしかし、ラコットの「エッフェル塔バレエ団」てのもスゴイ名前だよな。「東京タワーバレエ団」とか「通天閣バレエ団」とかいうようなもので。テスマーのための「12人のバレエ団」というのは、年代からみるとその後の「ジュネス・ミュジカル・ド・フランス」の方なのかな。こういう時間軸が割とごちゃごちゃで不明確だったりする。字幕しかわからないからかもしれないけど。

 長野氏のお話は、前半は映画の解説的なこと、後はラ・シルの復元話を中心に、バレエの「スタイル」についての話など。映画では、ラコットが師匠のエゴロワに「あんたはもう古典に専念しなさい!」的なことを言われて、現代創作をやめて古典復元の道に入ったというような話が出てきますが、トークの中では、ラコットがケガで踊れなかったときに、ラジオでコッペリアを聞いて古典に回帰したというようなエピソードも(←自分のメモの復元なので違ってたらすみません)。ラ・シル復元のために人をたどっていく過程などは面白かったですねー。やっぱり「人の世は縁」なのだな。ラ・シルだかドナウだかの復元で、どうしても群舞の配置がわからないときに、タリオーニ(父)の弟の振付作品の批評に「兄の作品の模倣」って書いてあるのを発見し(←ヒドイ)、「んじゃ資料残ってる弟の群舞でいいんじゃん!」って話になったり。弟、真似してくれててありがとう! という( ̄▽ ̄)。

 まだちょっと残ってますが、今日はこんなところで。

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