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2013/02/28

プルトニウムの未来

 高木仁三郎著「プルトニウムの未来 2041年からのメッセージ」

 核化学者である草野は、1994年に事故で昏睡となったまま人工睡眠状態にされたが、47年後の2041年に覚醒させられる。プルトニウム利用一体型施設「IPP」の実用性を示さなければならない2045年という国際的な合意期日を前に、そのPRに協力させるために。
 通常の都道府県から切り離された特別行政区に建設された「IPP」は、外界から遮断し、プルトニウムと人とを徹底監視することで汚染を漏らさぬように作られた「プルトピア」だった。高速増殖炉と再処理工場、MOX工場を一体化した「しゃか」、プルトニウム監視システム「プルート」、廃棄物を地球外処分するための「ゼウス計画」とそのための人工知能「ポルックス」と「カストル」。しかし、案内役の伊原は、草野に思わぬ事態を告げる……。

 1994年当時の最新知見を元に描かれた「未来予想図」。草野を聞き役に、主に伊原との対話によって、この40年に起きた核開発/国際情勢の流れやプルトニウム施設の構造/システムを解説していくスタイルなので、SF小説として面白いかというとそういうわけではないけれど、構想しうる「プルトニウム社会」をわかりやすく、かつ意外と楽しく読めるという。さらに、序章としてプルトニウムに関する最新状況(94年時点での)の解説を入れ、本文の下に詳しい脚注をおくなどして、「予想図」の根拠を示しているのが、この「フィクション」にリアリティを持たせている。

 実際、高木さんらしく非常に目配りされていて、プルトニウムや人工知能の技術だけではなく、外国人労働者の問題、土地収用、監視システム、核物質の漏洩(盗難など)と軍事利用、世代責任と「子どもの権利」、さらに人工知能の「個性」の問題など、社会は「複合的」に成り立っているのだということに改めて気づかされる。特に土地収用と「地元労働者」の問題は、三里塚に関わってきた高木さんならではの視点を感じるし、福島の事故の後に言われた「原子力徴兵制」も、「世代的責任」のひとつとして、この本の世界では実施されている。このまま「順当に」原子力政策を進めればこうなるであろう、という社会は、おおかたここに描かれているし、それは現在と地続きのものだ。例えば、監視カメラ慣れした伊原の態度は、もはや現実のものではないか。いや、現実にそのひな形すらないものはここにはない、といえるのかもしれない。

 眼目はふたつあるだろう。ひとつはパッシブ/アクティブ・テクノロジーの選択の問題。もうひとつは「世代的責任」としての廃棄物の問題。最終的にこの「プルトピア」は、廃棄物問題を太陽への打ち込みによって解決しようとし、それによって破綻するが、その引き金が人工知能の「厭世的個性」による静かな暴走というところがちょっと興味深い。山田ミネコの「最終戦争」がそうだったなあ。あれは培養装置からつないだ人の脳がコントロールするコンピュータによって都市管理を集中的に行う社会だったけど、長い暇にあかせて「最終戦争」のシミュレーションを繰り返していたコンピュータたちが、一人の絶望をきっかけに一斉に「ゲーム」を開始する話だった。と思ったら、61年のアイダホフォールズの原子炉暴走事故って、運転員の失恋が原因だったって話があったなあ……。

 それはさておき。この本のおもしろさのひとつは、間違いなく伊原にあると思うな。草野をオルグするガイド役ではあるけれど、本当はプルトピアにも疑念を持ち続け、草野世代の行ってきた原子力政策の尻ぬぐいをさせられてる、とも感じている(←ある意味、ガイド役としては不適切な気も)。時にはいらだったり、激高したりもするが、それはむしろ彼の正直さであって、草野には最後まで誠実な対応を続ける。草野自身はむしろ説明のための客体だから、伊原がつまんない原子力礼賛主義者(←ガイド役としては適切な気も)だったら、つまんない話だったろうなあ。

 しかしつくづく、「テクノロジー」とは「哲学」なのだと思うよ。……なんで岩波はこの機に重版しないんですかねえ?

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