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2013/02/24

報告会のつづき。

 続きです。

 後半のディスカッションは、古居氏の映画「ぼくたちは見た」と、そこに登場する子どもたちのうち4人への3年後(今年1月)のインタビューの映像を、いわばケーススタディ的に、「悲惨なできごと」を体験した子どもたちへのケアについて話されました。箕口氏は(正直、あまり話の上手なタイプではなかったですが)、レバノンの難民キャンプでの調査に加え、東日本大震災の避難所での経験でも踏まえて解説されました。

 まず、一見奇異に見える、カナーンが血のついた石や薬莢を集めたり、ゼイナブが顔をイスラエル兵のように黒く縫ったりしたことについて。子どもがひどく恐ろしい体験をしたときに、それを「遊び」として繰り返すことが多く見られ、被災地の子どもたちが避難所で「津波ごっこ」や「葬式ごっこ」をして大人たちを驚かせるが、それと同じ性質のものではないかと(これに対して、古居氏から、パレスチナでも子どもの「葬式ごっこ」を見るとの指摘)。
 これは、「遊び」という「自発的に始める」行動の中で、そして「自分がコントロールできる安全な場」で、自分の体験を繰り返すことで、心の中で体験をコントロールし、受容していくプロセスのひとつ(「ポスト・トラウマティック・プレイ」)。強迫的に繰り返したり、あまりにもこだわりすぎたりする場合には、違う形の遊びに誘導していくこともある。大人は「忘れよう」としたり、まるで恐ろしいことがなかったかのようにふるまったりする/させようとするが、そうした抑圧が後にPTSDを起こすこともある。
 紛争地の子どもたちに絵を描かせると、まず戦争の絵を描くが、それもこの「遊び」と同じと考えていい。
 子どもたちには、まずは自分が安全で、安心できる場所にいるのだと納得させることが必要で、また、自己肯定感を持たせることも大事。たとえば、避難所でお手伝いをした子どもをほめて自信をつけさせることなど。ただ、近くにいる大人自身も悲惨な体験の当事者であって、子どもの行為を受け入れるだけの余裕をなくしていることが多い。

 ゼイナブは、かなり早い段階から自分の怒りを表現できていたのではないか。半年後のインタビューで、もう顔を塗るのはやめてヘジャブをつけ、「教育と信仰でイスラエルに抵抗する」と語り、今回のインタビューでは「前よりよくなってる」と言えるのは、そのためではないだろうか。古居氏に対しても、取材が嫌な時には「嫌だ」とはっきり言えるのは、ゼイナブが強い子だという現れで、実はそれほど心配しなくてもよいのでは、と。
 逆に、10歳という年齢もあって、最初の取材の時によくしゃべっていたモナは、「いい子」というプレッシャーがかかりすぎたのではないか。アルマーザもまだ優等生的なふるまいが多く、それが中にモヤモヤを抱えることになっているのではないだろうか。

 細かいところは不正確ですが、概ねこのようなお話でした。
 映画で見ると、モナは年齢よりも大人びた受け答えをしているし、モナもアルマーザも「しっかりした子」との印象で、逆にゼイナブは何をするかわからないようなところがあるけれど、確かにそうかもしれないなー、と。箕口氏が、「ゼイナブはとても表現力がある。すごい子だよ、うん」と何度も感心してらしたのが印象的でありました。

 最後に古居氏から、そうはいうものの、ガザに住む限りは「安全で安心できる場所」というものはなく、イスラエルによる占領という根本を変えなければどうにもならないとの指摘がありました。

 ドキュメンタリーの多くは、続編が作られることもなく、その後彼らがどうなったかを知りたくても知るすべはほとんどありません。例えば「プロミス」(こちら)に登場する子どもたちのうち、ユダヤ人の男の子たちは徴兵されただろうし、アラブ人の子どもたちが無事かどうかもわかりません。アレクセイの村がどうなったのかも、グローズヌイの舞踊団の子どもたちが何をしているのかも。もちろん、彼らの中には「映画ができたらそれっきりか」という人もいれば、「もうこれ以上は取材されたくない」という人もいるでしょうが、古居氏がいわば「定点観測」的にサムニの子どもたちを取材し続けるとすれば(して欲しいんですが)、それは意義のあることだと思います。

 映画を見た(あるいは本で読んだ)我々は、彼らを親しい人のように思ったりもするけれど、彼らにとっては見ている人のことはさっぱりわからないというのは、まあよくあることではありますが。けれど、空爆の間、映画を見た日本の人(たち)があなたたちのことを心配していたんだよ、ということが伝われば、すこしは彼らの「たし」になるような気もするわけですよ。

 あと、ぢぶんは「心のケア」という言葉が嫌いなんですが、「グリーフケア」とか「トラウマケア」という言い方だと、割にすんなりくるなあ、と。「心」という一般的なものではなくて、「ケアの対象」が明確なせいかな、と思ってみたり。

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