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2013/04/25

cocoon

 「cocoon」今日マチ子

 いつどこで、とは作中で明示されないものの、読む者がみな「沖縄島、そしてひめゆり部隊」を思い起こすであろう、物語。

 「無邪気な女学生」だったサンたちは、看護隊として編成されたものの、やがて戦況の悪化に伴ってその看護隊も解散となり、戦地を逃げ惑う。一人、また一人と殺されていく中で、最後までサンの手を引いて逃げようとしたマユが死んだとき、サンはマユの秘密を知る……。

 ふわふわな「まゆ」に守られた少女たちが、否応なく引きずり出された「戦場」という世界。その凄惨さが「リリカルなインパクト」を持って描き出されますが、ぢぶんが特に印象に残る場面は2つあります。

 ひとつは、脚を負傷した同級生の死。もう走れないから置いていって、という彼女に対し、サンたちは(誰もがそうする/期待するであろう通りに)「がんばれ」と励まします。すでに傷口にウジがわき、それらが自分の肉を食う痛みに耐え続けていた彼女は、サンたちを冷ややかに笑います。そして「お母さん、がんばれないダメな子でごめんなさい」と、傍らの大きな石を自分の頭の上に落とします。
 見た感じ、ちびまる子ちゃんのたまちゃんにも似たその女学生の、その笑いの冷ややかさ。「ごめんなさい」とはかけ離れた、諦めというよりもむしろ侮蔑のようなその笑顔(と呼ぶのか)が、もしかしたらこの作品でのいちばんのインパクトであったろうと思います。

 もうひとつ。二人だけになったサンとマユが、知らない女学生たちが輪になって「集団自決」をしようとしている場に行き会わせる場面があります。サンはふらふらとその輪の中に入り、一緒に死のうとしますが、彼女たちが手榴弾を前に「大和撫子として、純血を守るために」と唱えるのを聞き、その場から逃げ出します。前の晩に、敵機に発見されないように暗くなってから水をくみに行って日本兵にレイプされたサンは、自分はもう純潔じゃない、「自決」する資格はないんだ、と。

 さて。

 腹部に被弾したマユを助けようと服をはだけたサンは、マユの死とともにその秘密をも知ってしまいます。どこまでネタバレが許されるのかなーというのはあるんですが、そこはおそらく、この作品のキモだしな。

 マユは果たして何者だったのか。それはいくつかの解釈が可能ではありますが、ぢぶんは、彼が女学生となることで超えようとしたものは、セクシャリティではなく、「戦争」という「ジェンダー」だったのだと思います。「女・子ども」が熱心に「戦争をやった」ことについては、銃後史ノートのグループや北村小夜氏の仕事によってすでに明らかにされていますし、ぢぶん自身は「女性は平和的で、戦争をするのは男性」みたいなことはこれっぽっちも思ってないんですが、それはそれとして「徴兵/徴用」される肉体としての男性というのは確かに存在するわけで、「戦争」、あるいは「戦争によって殺されること」を拒否するために、彼は女学生となったのだと、思うのです。そしてそれはとりもなおさず、自らの「少年/少女性」あるいはそれをひっくるめた「思春期以前性」(←この場合の「性」は「性質」の「性」)を放棄して「大人」となることを拒否することでもある、と。「徴兵される」というのは、「一人前の大人の男」であることの証明であるわけだから。未成熟性、といってもいいのかもなあ。それは子どもでも大人でもない、つまり幼虫でも成虫でもない「まゆ」の中のさなぎの状態。

 サンをレイプした日本兵を殺したマユが、「サンにあんなことするなんて許せない」と言いますが、その「許せなさ」は、サンが好きだったから、とか、一般的にレイプが許せないというよりも、むしろ2人きりでいた「まゆ」の中から無理矢理サンを引きずりだし、「大人」にしたことへの怒りであるようにも思うんですよ。

 なんというか。「戦場というリアル」と「少女(性)というリアル」がぶつかり合ったときに生まれる、凄絶で残酷なファンタジー、と呼べるのではないかと。
 
 やや蛇足的に。今回ちょっとこだわって書いてみましたが、ぢぶんは戦争における「死」は、それは「殺された」ものだと思うんですよね。敵によるものであれ、味方によるものであれ、自らの手によるものであれ、また「状況」とよばれるものによるのであれ、それは「死んだ」というよりも「殺された」のである、と。

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