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2013/09/29

音楽会、最終回。

 16日の音楽会を見た時に、「収録用カメラが入ってるのでご了承を」の貼り紙があったので、songsはてっきりその時の映像を使うのだと思っていましたが、実際放映されたのは16日の収録ではあったけど、その回の映像ではなかったので(セットは同じだが衣装は違う)、おそらく本番の前後にそれ用に収録して、カメラはセットしっぱなし(あるいは予備映像収録)だったのだろうなー、と。

 で、話は戻りますが。

 やや便宜上、「美輪サマ」と呼んではいますが、ぢぶんにとってはやっぱり「美輪のおかーさん」なんですよ。めんどくさいので今更ぢぶんの生育歴なんか書きませんけど、美輪サマが「おかあさん」だというのはそりゃ「肉体が男性だから」にほかならないわけで。いわゆる「お母さん役者」、古くは京塚昌子や八千草薫や森光子や、今だと誰なんだかよくわかりませんが、ぢぶんは女性の母性なんぞ欲しくはなくて、母性を持つ男性(←父性でないところが重要)だからこそ、「美輪のおかーさん」であり得るんだな。いや、わかんなくていいです。わかって欲しいとかではなくて、そういうことだというだけなので。

 で、芝居の舞台よりもやっぱり「音楽会」の方が「おかーさんに会った」ような気がするんですな、そりゃ。

 先立つことどれくらいか忘れましたが、NHKで黒柳徹子との番組がありまして。これはこの間のsongsよりもずいぶんと面白かったんだけど、つまりこの「キョーレツ」なお二人の最も重要な共通点はといえば、「生きてきたらこうなった」ところなんだな、と。大概の人だって、そうなんですよ。それが「普通」と言われる枠内であれば、そんなに意識されないだけで。ただそれが枠からはみ出たときに、それでも自分は自分として生きてきた、という「キョーレツ」な印象が残るというか。

 そこが多分、ぢぶんがいちばん共感するところなんだな。多かれ少なかれ、ぢぶんもそうやって生きてきたわけで。ぢぶんと「枠」とがきしんだときに、「枠」に沿ってふるまうことの方が楽な人もいれば、「枠」を踏み壊す方が楽な人、あるいは無意識に「枠」を踏み倒しちゃう人もいて、美輪サマとかぢぶんとかは踏み壊す方なんだろうなあ、と。いや、すっごくキッツイですよ。踏み壊すのは。枠に沿う方が楽だと思うこともあるし、実際そうふるまうこともあるし。でもそうふるまったとして、最終的にはそれでも「枠を踏み壊す方が楽」だ、と思うんだな。それはもう、そういうタイプだとでもいうしかなくて。

 今回も定番の「愛する権利」(歌詞はこちら)。「幸福追求の権利」でもあるけれど、「ヨイトマケ」や「愛の讃歌」よりはこっちの方がテーマソングに相応しい気もするなあ。特番で、さすがにもう早い曲はキツイかな? と思った「メケメケ」もこの日はちゃんと。あれは「お上品なシャンソン族」への批判でもあったんだな。

 しかし、この日嬉しかったのは「水に流して」ヽ(´▽`)/。前回、日替わりメニューで当たらなかったのですごく嬉しい。これ1曲あればいい、というくらい。この歌の強さが好きで、これを歌う美輪サマの力強さが好き。男性とか女性とかいうことが無化されて、ただ普遍的な、肚の底からわき上がってくるような力強さになる。うんうん、これだよ、これが聞きたいんだよ。

 「花」というのも、実は全然好きな曲じゃないんだけど、美輪サマが歌うと聞けてしまうというのは、そこで展開されてるのが「男性の母性」という、ジェンダーの無化であるからというような気がするんだよな。少なくともぢぶんにとっては。美輪サマってのは、「美輪サマ」というジェンダーなんですよ。ジェンダーがあるとするならば。
 

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