ひまわりその3
そんなこんなですが、「ひまわり」の方をがんばりましょう。1959年の宮森小学校米軍機墜落事件についてです。
映画の説明だけだとちょっとわかりづらくもあるんですが、墜落したF100ジェット戦闘機は、整備から帰ってきた機体の試験飛行のために爆弾(模擬弾ではない実弾)を搭載して嘉手納を離陸し、やっぱりちゃんと整備できてなかったってんで、海上で爆弾を投棄、嘉手納に着陸できずに飛行を続け、パイロットは丘陵地帯に機を墜落させるように機首を向けて脱出、その後、機は旋回して丘陵地よりも手前の市街地に墜落、バウンドして宮森小学校の3棟ある校舎の、真ん中の校舎の屋根をかすめて奥の6年生のクラスのある校舎(これだけ2階建)の庇に激突し、教室に破損した機体のエンジンが飛び込みます。そのかん、まき散らされたジェット燃料で、手前の2年生の校舎を含めた一帯が炎上。最初に墜落してバウンドした地点を含めて、家屋17と公民館が全焼、家屋8と幼稚園が損壊、小学校の児童12名+一般6名(幼児含む)が死亡、重軽傷者が合計210名という大事故だったわけです(死亡児童11名としてあるものは、後遺症で亡くなった1人を含まない数字)。
これだけの事故なので、沖縄の基地被害などの本では大概触れられてはいますが、単独の資料というものはほとんど出てないんじゃないかと思います。「石川・宮森630の会」という、当時の小学生らを中心にした会が資料集をいくつか出していますが、それも新聞資料と自治体誌の類を中心にしたもので、ぢぶんの文章も概ねそれを元にしています。
で、これは映画には出ないんですが、ぢぶんが非常に腹立たしいのはですね、当時の嘉手納基地司令官が「嘉手納基地と基地に隣接するコザ市を避けたことを評価する」というコメントを出してるんですよ(しかもその資料が米軍から出てきたのが99年という)。基地に落ちなかったのを評価するって、なんなんすか、それ。
良太といつも遊んでいた2年生の一平には、モデルがいます。一平と同じように、ミルク給食の時間に担任の先生にひまわりを差し出し、先生に「なぜ花壇の花をちぎったの」とたしなめられ、「だから、先生にあげるよ」と言って教室を出てブランコに乗っていたところへジェット機が墜落、ブランコごと吹き飛ばされ、トイレのブロック塀に叩きつけられて亡くなりました。
その子がなぜヒマワリを先生にあげたのかは、今となってはわかりません。しかし、映画ではこんな場面があります。
その前日(だったかな)、放課後の教室に鞄を取りに戻った一平は、そこで担任の聡子先生と、イケメンの和樹先生が話しているのを聞いてしまいます。和樹先生は、知り合った米兵の口利きでアメリカに留学することになり、その準備として英語に慣れるために基地で働くことになって学校を退職する、と。実は聡子先生と和樹先生は婚約してたんですが、留学から帰るまで戻ってくるまで待っててくれという和樹先生に対して、聡子先生は別れよう、って言うんですね。それはまあ、2人のやりとりを通して、アメリカに対する様々な思いが吐露される場面としてあるんですが。
しかし、一平は、つらい思いをしてるであろう聡子先生を大好きなヒマワリで元気づけたかったんだろうな、と、思い返せば切ないですが、聡子先生は立ち聞きされてたなんて知ろうはずもなく。その少し前では、一平は良太と「ミルク給食嫌い」「だったらさぼっちゃえよ」というやりとりもしてまして。
そのことで、聡子先生は「自分が叱らなければ教室から出て行かなかったのに」、良太は「自分がさぼれと言ったから」とそれぞれ自分が一平を死なせてしまったと思いつめたまま、50年以上を過ごしてしまう。それが、良太の孫の琉一たちがゼミで証言を集めることで、一平の母親と聡子先生(と茂)が事件以来ようやく会い、良太もまたコンサートの会場でやっとその想いから解放される。
「忘れようと思って忘れた日はなかった。やっとわかった。忘れてはいけない、それを若い人たちが教えてくれた。忘れない」
墜落事故の現場では、米兵が阻止線を張って、駆けつけた父母や報道ともみ合い、カメラマンのカメラを取り上げる場面も再現されてます。そこで和樹先生も、例の知人の米兵に「なぜ父兄を入れないんだ」と抗議するもにべもなく、お母さんともみ合っていた米兵を思わずボコボコに殴っちゃってましたが……ええ、留学はご破算でしたでしょうな。その後、聡子先生とよりが戻ったかは気になるところです。
この映画の原案は630の会で出している証言集だそうですが、フィクションでありながらもかなり具体的な証言に基づいて59年のパートが描かれていると思います。また白黒の映像がきれいなんだよなあ。当時の民衆のパワーが感じられつつ、良太と父親の三線の場面なんかはしっとりとして。
ぢぶんは、沖縄とヒマワリってあまり結びついてなかったんですが、630の会の資料集にある「当時を思い起こして」描いたという炎上する校舎の絵に、大輪のヒマワリがいくつも描かれていました。白黒で印刷されているのが残念ですが、印象的な絵です。映画のラストシーンやチラシなどに使われているヒマワリ畑は、ダンナの話では南部に行くとあるそうです。糸満あたりだったかな。
現在自主上映でかかっているだけなので見る機会はあまりないでしょうが、それだけに機会があったらぜひ。
公式サイトはこちら。630の会はこちら。
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