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2014/03/13

つづきのマキューシオ

 さて、もうちょいがんばりますよ。

 人々の輪が小さくなっていき、半ば停止状態のティボルトと、外との往復運動をするマキューシオ。何度目かに輪の中に入ったはずみ……もう出会い頭の事故じゃないかって感じにティボルトの剣に刺され(←ティボルトに、というより「剣に刺さった」感じだよなあ)、外に出てきて、「まさか」ちう顔で刺されたことを確認する、と。
 毎回背中に手をやって確認してたので、背中から刺さったんだろうなあ。初日のクールな感じが好きでしたねえ。「お!」って、あまり動じないで、すっと隠しちゃうような。「わかりにくい」のダメが入ったのかどうか、あそこは日を追って動きが大きくなっていったようで、最終日には「ぬおおお!」くらいになってましたが。

 たくさん見てるのはマクミラン版とラブロフスキー版なので、どうしてもそこいらとの比較になりますが(クランコ版のその辺は忘れちゃったのさ)。

 ここの演出というか解釈というか、いちばん特徴的だと思うのは、刺されちゃった後のマキューシオというのは、もうティボルトなんかどうでもよくなっちゃってる、ってとこなんですね。すこーん、となくなっちゃうんですよ。
 なんかおかしい、と思って駆け寄ってきたベンヴォーリオに、「なんでもないぜ、へーき、へーき」と一緒にステップを踏んで見せ、背中の傷を隠すために、多分「死」の衣装のマントを取り上げて、闘牛士の振りをする振りをしながら身体に巻いて着込む。ティボルトにも「へへーん」てな顔をしてみせますが、基本的にはもう相手にしてない。もう一度剣を構え直すティボルトに対して、自分は剣を真上に掲げてみせ、もうそれでおしまいなんですね。「もう、やらないよ」って。
 
 まあ余談めきますけど、「へーき、へーき」なマキューシオと一緒にステップするベンヴォーリオが、杉山くんだと「やったー、さすが兄貴ヽ(´▽`)/!」になるのに、松野くんだとただ何にも考えてない人に見えちゃうのは、あの「お口ぽかーん」のせいなのかなあ……。

 で、マキューシオはそのまま、「死」の仮面をつけておどけてみせますが、ロミオに見透かされたような気がしてその仮面も捨て(って、見透かすほど頭よくないですよ、そのロミオ……)、芝居小屋兼車に上がって、えーとあれは河合さんだった? といちゃいちゃし、ザッキーの差し出した剣をとって永田くんと何度か剣を交わし、永田くんに刺されたかのように車から降りて倒れ、そのまま死んでしまうわけですが。

 記憶に新しい(……くもないか)のは、ラブロフスキー版を踊った岩田さんだったりしますが、普通はマキューシオってあからさまに刺されているので、特にそれを隠したりはしないし、ちょっとおどけたりなじみの娼婦と名残を惜しんだりしつつ、最終的にロミオに「おれの仇をとれ!」てな風に死んで行くではないですか。イメージとして。それが全然ないんですよね。刺された事を確認した後はもう、自分の「死」をどう演出するか、しか考えてないわけです。観客に悟られないようにしつつ。

 ぢぶんには、マキューシオは最後に、役者として、あるいは演出家/台本書きとして、死ぬことを選んだような気がするんですよ。大公の血筋なんだから貴族ではあるんでしょうが、そうしたものではなく、あるいはモンタギュー側のひとりとしてでもなく、「旅芸人一座」からすれば「座付き」ではなくて「居候」だったにせよ、マキューシオにとっての「自分の場所」はそこだったんだろうなあ、と。
 断末魔の最後に何度かロミオと視線を交わしますが、そこはもう「仇をとれ」っていうよりも、ロミオが心配だったんだろうなあと思いました。昨夜からのいきさつを知ってるわけで。

 ……っていうか、あんたがいらんことをしなければ、ロミオもだな(笑)。

 あと2、3回くらいでなんとかします( ̄▽ ̄)。

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