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2014/05/24

つづき。

 いろいろと滞ってますが。ちょっとでも進めないと後がつかえてるんだけども、なんかいろいろとしんどくてですな。

 で、「天皇陛下様」の話。

 原作は棟田博(映画の中の「棟本=ムネさん」にあたる)。すっかり忘れてたんですが、光人社の「軍隊よもやま話」のシリーズのうち、「陸軍」のものを書いてた人だというので、合点がいきました。中学くらいまではいわゆる「軍オタ」だったくちなので、あのシリーズは半分くらい読んでるんじゃないかな。もちろん陸軍も。前半の雰囲気はアレですね、確かに。

 しかし、そこは野村芳太郎監督なので、そこまで牧歌的な話ではなく。というか、原作を読んでないのでその雰囲気はわからないわけではありますが。「よもやま話」も詳しい話は忘れちゃったしな。

 いわゆる「軍隊喜劇」に分類される映画ですが。例えば岡本喜八の「肉弾」をある種の「喜劇」と捉えるならば、そこから「金語楼の三等兵」までというのは相当な振り幅があるわけで。軍隊を否定するのも補完するのも「喜劇」の役割としてあるわけです。「のらくろ」が軍部からクレームがついたことをもって評価する向きもあるけれど、基本的には国策から外れたものではなかったのと同様に(「召集令」までしか読んでないですが)、金語楼は「おもしろ可笑しく」「戯画化」してあったとしても、そこに「批判精神」までがあるわけではないと、ぢぶんは思います。

 では「拝啓」はどうかといえば、その振り幅の中の、どこいらに入るかはかなり見る側に寄ってくるんじゃないかなあ、と思うんですけども。

 まずもって見えてくるのは、当時の「娑婆」のひどさ、です。
 最初の方で、銃の手入れに難癖をつけられたヤマショーと鶴西が歩兵銃に向かって延々と反省を述べさせられる場面がありますが、その際に鶴西が、「かあちゃん」(新婚の妻ですな)からきた手紙を読み上げさせられまして。最初は「あなた、ナントカちゃん(忘れた)のことが好きだったでしょう」みたいな話にみんなニヤニヤするんだけど、そのナントカちゃんを含めた村の娘達は何人も売られていった、家も相当に苦しい、お金は使わずに送って欲しい云々」というその手紙に、さすがの上官も「もうええわい」となるんですな。ヤマショーたちが入隊した「昭和5年」といえば、昭和恐慌の年。鶴西のような働き手を取られた家の苦労もさることながら、一方で「召集」とはいえ軍隊は口減らし先でもあり、出稼ぎ先でもあり、ヤマショーのように孤児として小さい頃からあらゆる肉体労働をやってきた者にしてみれば、「三食寝台つき」の就職先であったわけです。その意味で、小説家志望だったムネさんは、やっぱり町のインテリくさいところはあるな。
 そうした背景なしに、牧歌的だといっても始まらなく(確かに日中戦争前で「戦地へ行く」というリアリティは少なく、2年満期というゴールも見えているので、それ以降とは違う空気はあったのだろうけれど)、なぜ軍隊が「天国」になり得てしまったのか、という話は、ヤマショーの個人的な事情以外にも見え隠れしておるなあ、と。

 つづく。

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