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2014/06/21

初代ゴジラ(二人のサイエンティスト)

 てなわけですが、ゴジラのリマスター版の公式サイトがありました(こちら)。ポスターの右下の芹沢くんの顔がすごいことになってるな。「イントロダクション」のページで、リマスターのことが見られます。リマスターったって、最後は手作業なんだよなあ。気が遠くなるよ。

 さて、なんとか終わらせないと。

 よく言われるように、この初代ゴジラのテーマは「水爆の恐怖」であって、それはゴジラがのし歩いた大戸島の調査で、ゴジラの通ったあとに強い残留放射能が測定されるところにも現れています。島のこっち側の井戸は大丈夫だけど、あっち側の井戸は汚染されていて使えない、っていうふうに。強い放射線が出てるところは立入禁止にされますが、そういうところに恵美子さん連れ歩く山根博士もどうかと思うよな……。

 しかし、第五福竜丸事件の直ぐ後、ガイガーカウンターを向ける白衣姿は生々しかったろうし、ゴジラが東京を破壊した後で、子どもたちに向けたカウンターが鳴るのもいたたまれない気持ちになります。まさか60年近く経って、原発のせいでそんなんなるとは、製作者も思ってなかったろうけども。

 で。もうひとつ、サブテーマといいますか、裏のテーマといいますか。これが芹沢くんの苦悩すなわち「自分たちの手に余る技術を開発してしまったとき、どうするべきなのか」ということも、ぢぶんは大きなテーマではないのかと思うのですね。もちろん核兵器あるいは核エネルギーというのもそういうことであり、50年代以降、「核の平和利用」というものは日本でも積極的に受け入れる態勢にはいっていくことになります。

 芹沢くんも、オキシジェン・デストロイヤーを開発しちゃった(まさに「しちゃった」)当初は、「エネルギーとして平和利用への道筋をつくる、それまでは公表しない」と言っているわけですね。二度目のゴジラ上陸の際のあまりの被害の大きさに、恵美子さんと尾形くんとが「アレを使わせてくれ」というのにも相当抵抗します。アレを使ってしまえば確実にそれは兵器として利用される。原爆に対抗して原爆、水爆に対抗して水爆、そのうえにさらなる兵器を加えるわけにはいかない。「なんでこんなものを作っちまったんだ、オレは!」とがんがんに自分を責めた芹沢くんは、研究ノート(的なもの)をばんばん燃やし始め、それを止めようとする尾形くんととっくみあいになります。そこには、自分の片目を奪い、日の当たるところでの青春を奪った「戦争」を否定する、そういう強い気持ちがあったのは確かでしょう。彼も研究室のテレビ(まだ小さい白黒の)で、ゴジラ上陸の実況を見てはいたのです。

 しかし、結局芹沢くんが「決意」をしたのは、その戦争を再現したかのような、野戦病院での惨状であったのですな。恵美子さんの懇願というよりは、多分。芹沢くんにとってアレを使うことは、その研究結果を人手に渡さぬために自分が死ぬことでもなくてはならない。恵美子さんも尾形くんも根が善良だからそんなことは考えてもいなかったようですが、芹沢くんにとっては、それが「開発者としての責任と覚悟」であり、「科学者としての倫理」であったわけです。

 一方、もうひとりの科学者である山根博士は、ゴジラを生物学上の貴重な資料と捉え、殺害に反対し続けます。水爆を浴びてもなお生き続けるその生命力こそを研究せねばならない、世界にたったひとつの資料として。その信念は最初の上陸の後でも変わることはありません。山根博士がそれをあきらめたのは、むしろ、彼と一緒に二度目の上陸を見ていた新吉少年の「ちくしょう……ちくしょう……」という絞りだすようなつぶやきではなかったかと思います。母と兄を殺し、島を汚染したゴジラに対する悔しさ。

 一見「マッド・サイエンティスト」そのものであった芹沢博士と、温厚そうに見える山根博士。実は「マッド」であったのはどちらなのか。この二人のコントラストもまた、この映画を支える大きな骨格であったのではないかと、そんな風に思うのでありますよ。

 ……芹沢くん、かっこよすぎだなー( ̄▽ ̄)。

 

 

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