« ぼくのもり | トップページ | 初代ゴジラ(主要な人々) »

2014/06/14

炎上(金閣寺の方)。

 ゴジラの話はまだ書きますが( ̄▽ ̄)、今日見てきた「炎上」をさくっと。さくっとするよ、さくっと。

 三島の「金閣寺」を原作にしつつ、小説ではなく三島のプロットから脚本を起こしたという話で、結末含めて結構な変更点がありました。といっても、ぢぶんが読んだのはもう随分前でほとんど覚えてなかったので、Wikipediaで原作の概要読んだ程度ですけども(←いい加減)。便利な世の中だすな。俳優なんか、雷蔵と仲代と北林谷栄しかわかりませんがな。それも最初のタイトルロールに名前があるからわかるって程度。そもそも雷蔵をまげ物以外で見るのは初めてだよ、多分。

 1958年のシネスコ映画(白黒)、監督は市川崑。主人公の吃音の学生僧・溝口に市川雷蔵、前半の友人鶴川に舟木洋一、後半の友人である脚の悪い戸苅(原作の「柏木」)に仲代達矢。老師に中村鴈治郎(2代目)。ちなみに玉緒さんのお父さんですが、その玉緒さんも、溝口が五番町で買う遊女の役で出てましたな。って、言われてもわかんないよヾ(*`Д´*)ノ"! ちゃんと蚊に喰われたとこ掻いてたけどさ!

 とにかく美しかったです。白黒のフィルム映画って、たとえば「エロス+虐殺」なんかもそうだけど、無性に美しい時があるんだよな(もちろん全部がそうじゃない)。
 金閣(映画では「驟閣」)は、もちろん焼ける前の、金箔のはげた、年月を経た風格のある建物(Wikipediaに写真があるよ。便利だねえ)。金閣と言えばどうしても、日本沈没で沈むキラキラしたアレしか思い出さないわけですが、この焼ける前の金閣寺であればこそ、「美」の象徴として説得力があるというもので。

 雷蔵のアップも美しいですが(笑)、美青年というよりは、どこにでもいる気弱で根暗な青年で、その線の細さが顔に表れているような。溝口の故郷である舞鶴の、岸壁のシーンや海岸での父の葬儀の場面など、本当に美しいです。もちろん、炎上のシーンも。本当に寺作って燃やしたらしいですが。

 主人公の溝口は、少年時代に母(北林谷栄)が家に男を引き込んでの情事を見てしまい、それを僧侶である父にそっと目隠しをされ連れ出されたことがひとつのトラウマになっていて、父が「美」の象徴として彼に繰り返し語った驟閣を、父のサンクチュアリとして愛してしまうんですな。映画においては、それがいわば縦の柱となり、現実世界の様々なこと……まとわりつき、おしつけてくる母や、陽気で信頼できる友達だった鶴川の事故死や、自分を嫌ってるっぽい副司(信欣三)や、金と色に負けてしまう老師や、障害をたてに人を見下げて生きる戸苅らが、彼を厭世的にし、追い込んでいく。
 そのひとつひとつですね、溝口が絶望していくその瞬間瞬間が、実に明確であるといいますか。副司の何気ない一言や、老師の振る舞いに彼が落胆し、心を閉ざしていく瞬間が身につまされるんですね。中でも、戸苅の傲慢な振る舞いが弱さと甘えの裏返しでもあることが暴露された瞬間の失望、最後に放火を決めてなお「私を見抜いてください」と福井から来た高僧に最後の救いを求めるも果たせない(←ここは原作とは逆のような)で絶望する、さらに現場検証で焼け跡に連れて行かれた時の自失など、雷蔵が本当に見事です(演出もだな)。

 火をつけたあと、山で自殺未遂で発見され、その後、母が鉄道自殺し、老師が全国行脚をするくだりは、むしろ史実寄り。最後に警備の隙を突いて溝口も身投げしてしまうんだけども。

 鴈治郎の老師もいいんだよなあ。信の副司が最初から抜け目ないのに対して、俗であることの醜さをわかっていてどうしようもない、という。仲代達矢のアクの強い演技もだけど、北林の母もねえ。本当に鬱陶しいというか( ̄▽ ̄)。主観的には息子を愛してるんだけど、息子には侮蔑と嫌悪の対象でしかない。わかるよ、その気持ち……。

 いやあ、いろいろ堪能しました。つるかめつるかめ。

|

« ぼくのもり | トップページ | 初代ゴジラ(主要な人々) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ぼくのもり | トップページ | 初代ゴジラ(主要な人々) »