原爆の子 2
さて、間が開いてしまいましたが、「原爆の子」です。1はこちら。
実を言うと、ぢぶんは「原爆の子」自体は読んだことがなくてですね(大汗)、「わたしがちいさかったときに」という、いわさきちひろが絵をつけた、抜粋版しか読んでないんです。それは、子どもたちが被曝したときのことを綴った文集というか、手記集なのですが、この映画は前述の通り、七年後の子どもたちの姿を描いたものになっています。
主人公の乙羽信子が可愛いんだなあ。ほっぺぷっくりで。「七年前」に幼稚園の先生をしていたのだから、もう20代も後半の設定なんだと思うんだけど。白い開襟のブラウスと合わせて「清楚」なお嬢さん、です。その無垢な善意が実のところ、怖ろしかったりもするんだけども。
孝子の被爆前については、6日の朝、家を出て、原爆が投下されるまでのほんの少ししか描かれていないので、孝子と岩吉の関係が今ひとつわからないんですよね。孝子のお母さんは、普通に家族に朝ご飯を出してるし、お父さんは職場でちょっと羽振りがよさそうな場面があるけども、岩吉が孝子を「お嬢さん」と呼び、孝子が夏江に「うちで働いていた……」と説明するくらいのところしかなくて。なので、二人の距離感がよくわからなかったりする。孝子が今身を寄せている島の夫婦にしても、ちょっとわかりづらいんですよ。岩吉との会話やなんかで、「親戚筋の人」らしいことはわかるんだけど、伯父伯母なのか、もう少し遠いのか、とか。なので、岩吉の孫の太郎をいきなり引き取って連れて行くとか、岩さんさえよければ一緒にとか、勇み足のように見えるんですよね。「自分の子どものように可愛がってくれるわ」と言われたところで、いやちょっと待て、と。
もちろん、孝子の善意なんだけど、強引に岩吉の小屋に行くとか、太郎の施設に行くとかいう辺りを含めて、岩吉の気持ちはあんまり考えてるように見えないんだよなあ。「正しい」ことを「善意」でやってるんだけどね。岩吉の家の家事はもちろん失火なんだけど、どうしたって孝子が追い詰めてるしなあ。やっぱり「お嬢さま」の「善意」なんだよねえ……。
太郎についても、決心した岩吉が太郎を家に呼んで、孝子に引き渡そうとするんだけど、太郎の方が「おじいちゃんと離れるのはイヤだ」と完全な拒否をするので、いったんは引き下がるわけですよ。それを岩吉が、夕飯の後に「おつかいにいってきてくれ」と偽って孝子の元にやるんですが、「もう帰る」という太郎に対して、孝子と夏江の二人が「絵本読みましょうね」とか言って引き留めるのもなにかこう、大人の醜さのようなね。最終的に、島へ帰る船に乗るのに、「おじいちゃんも一緒だ」と白木の箱を振り回す太郎を、苦い思いでみるしかないわけで。
同じような「苦さ」は、最初に訪ねた三平の家でもありまして。父親が死ぬ、まさにその時に家に着いちゃったのは孝子のせいではないんだけど(しかも何が起きたかよく把握できないのもしかたないんだけど)、そんなところに来て「先生よ、覚えてる?」って言われてもって。孝子にしてみれば、もう玄関先に入っちゃってるんだし、お悔やみを言わないわけにもいかないし、家族は死んで五分も経たないうちにお悔やみ言われてもそりゃかっとくるわけで、単に「間が悪い」話だとはいえ、なんだかなあという。
それだけに平太の元気さや、「ご飯食べていきなよ、今日は泊まっていきなよ」という懐っこさは救いなのだけど。
めでたい筈の咲江の嫁入りの夜が、なにか通夜のようでどうもめでたい感じがしない。その前に、長兄から咲江の結婚のいきさつ(婚約者の出征、原爆で足が不自由になったこと、それで結婚はあきらめてたけど復員した婚約者の気持ちにかわりはなかったこと、生活の再建に5年かかったことなど)が話されて、それは咲江にとっても長兄にとっても「待ちに待った日」であることはわかっているのに。
花嫁衣装もささやかな式もなく、美容院で髪を整え、夕食を家族で共にしただけで、「じゃあね」と、長兄と二人でバスに乗って出かけていくだけの「嫁入り」。今生の別れではないはずなんだけど、平太にとっては「明日から姉ちゃんがいない」寂しさの方が大きくて、その寂しさが画面全体を支配しているような、そんな夜。
一方で、助産婦になった夏江もまた「子どもの産めない身体」になり、夫婦で養子を迎える準備をし、「自分が産めない分、人が産むのを手伝わなくちゃ」と、大雨の中をお産に出かけていく。孝子も孝子で、肩の近くに「まだガラスの破片が入っていて、時々音がするのよ」と。
復興される街と、取り残されたままの街。それらが混在する風景は、人々そのものの、そのままの姿でもあるんだな。そして街のどこからでも見え、今とはまったく別の存在感とある種の威圧感さえもってそこに建つ原爆ドームが、それらを強く印象づける。
最後に船着き場で、孝子たちの上を飛行機が飛ぶ。「あ、飛行機!」と無邪気に指す太郎とは裏腹に、孝子と夏江がそれを不安そうに見上げる。「あの日」の記憶が、そこに甦るかのように。
公開された52年の8月というのは、サ条約によってGHQのプレスコードがなくなり、原爆被害について自由に公表できるようになったのがその年の4月、という時期なんですね。先立つ映画「長崎の鐘」と丸木夫妻の「原爆の図」と「ピカドン」が50年、被爆写真を初めて公開したアサヒグラフは、この映画と同じ52年8月6日号。そうした状況で「被爆者が置かれている今の状況」を描いた意味も大きかったろうと。
しかし、知った名前がずらずらあっても、若すぎて誰が誰だか(笑)。若い大滝秀治なんて滅多に見ないような気もするのに、結局どこにいたかわからんかった( ̄▽ ̄)。芦田伸介や原ひさ子も。多々良純は若くてもさすがにわかりやすいな。しかし東野英治郎はちゃんとジジイなのだ!(往きの船で孝子に話しかけるだけの役。今風にいえば「カメオ出演」ってヤツだな)
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