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2014/08/05

この日。

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 何度か書きましたが、小さい頃は防府(三田尻)の祖母の家で夏休みを過ごしました。多分、4歳のことだったと思います。その頃は防府天満宮のお祭りに合わせて8月初めに防府へ行っていたのですが、さすがに原爆忌の日ではなかったと思います。広島へ行き、原爆ドームと平和公園を見て、宮島へ行きました。暑い日でした。4歳の頃だとさすがに、まだ原爆を描いた絵本なども読んでなかったと思います。テレビ番組やニュースは親が見てるのを一緒に見たかもしれません。どういうわけか、自分にもわからないのですが、ドームの前で自分は「原爆が落ちてくるから帰る、原爆が落ちてくるから帰る」と泣きわめいて、どうにも手がつけられなかったそうです。「あんたがあんまり泣くから、資料館はあきらめた」と母がことあるごとに言ってました。自分でも、泣きわめいていた記憶は実はぼんやりと持っていました。なにが自分をそこまで不安にさせたんだろう。

 その時、父が平和公園の売店で、数枚の絵はがきを買いました。慰霊碑やドームの写真のありふれた絵はがきです。その中に、有名な「座っていた人の影だけが残った階段」の写真がありました(こちら)。自分はこの写真がたいそう怖くて、かなり長い間(とはいえ1年はなかったと思うんですが)、父の机の引き出しにしまってあるこの絵はがきを、父のいない昼間にそっと引き出しにあることを確認し、ああ大丈夫だまだここにある、と安心せずにいられなかったのは、これはかなりはっきりと覚えています。

 自分はいわゆる「カンの強い子」で、2,3歳のころはひきつけで救急車呼んだりしてたそうで、小学生くらいになってからも、テレビの催眠術で吐いたりしてたりして、あの時に過剰な何かを感じる素地があったりしたのかもしれませんが、ともあれあの日から「ヒロシマ」というのは自分にとって特別な地であるわけです。

 運動の渦中で走っているときには、その時々の法案や局面が優先されていくわけですが、運動を「降りて」4年、自分の中を時間をかけて整理していって、たどり着いたのはやはり「ヒロシマ」であって、その近接としての「ナガサキ」でありました。あの泣きわめいた4歳のあの日。あれが「人」として自分が生きる、最初の日であったのだろうと。

 そんな想いを持ちながら、今年もこの日を迎えます。

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