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2014/11/16

魂魄の塔

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 沖縄南端、摩文仁の海です。沖縄戦末期の6月、この海は見渡す限りの米軍艦船で埋まり、陸は死体とけが人とで埋まり。血のにおいと火薬の匂いと。できることなら何度でも、ここへ立ち返って「土地の記憶」を身体に染みこませたい、そう思う場所のひとつです。

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 「魂魄の塔」は戦後、初めてできた「慰霊塔」です。半ば自然発生的に集められた遺骨が積まれてできたそれは、むしろ「墓」と言った方がよかったのかもしれません。こちらの説明が経緯についてよくまとまってるかな。
 この塔はいわゆる「摩文仁の丘」の慰霊塔群とは別に、ひめゆりの塔から脇道を入って南に下がった先にあります。ちなみにこの脇道は「沖縄県道223号魂魄之塔線」というそうな。

 この写真を撮ったのは2009年の2月だけども、忘れられないエピソードがありまして。
 先ほど書いたように、この塔はいわゆるメジャーな「南部戦跡」コースからはずれてるんですね。バス停もひめゆりではなくて米須入口だし、バス停からもちょっと離れてる。まあ自分はこれくらい天気がよければ歩くけれども、雨降ってたらちょっとな、ていう程度の距離。この回りにも「広島の塔」をはじめ、都道府県別の慰霊碑がいくつかあるので、そこから来た平和学習のグループはいくつかこの日も会ったけれども。
 んで、魂魄の塔からひめゆりまで歩いて、その辺りにある店で軽く休んでからバスに乗って帰ろうと思っていたのだけど、バス停の時刻表を読んでるところをタクシーの運転手さんに拾われて(笑)、もう1人の人と乗り合いでそのタクシーで那覇に戻ることにしたわけです。

 そしたら、タクシーの中で運転手さんが、あなたさっき国道を、ひめゆりの向こうの方から歩いてきてたでしょう、どうしたんですか、と聞くわけです。なので、ああ魂魄の塔へ行ってきたんですよ、と何の気なしに答えたんですね。したら、運転手さんがいきなりびっくりしたような大きな声になって、魂魄の塔へ行ったんですか! あそこ行くヤマトの人少ないですよ! へええ、歩いたら結構あったでしょ! ……てな具合で、その後はすごくスムーズに、いろんな話をしてくれました。
 なんかね、そんなに行く人は少ないのかな、と。まあ平和の碑ができた後は、大概そっちに行くしなあ、駐車場も広いしバスも止まるし資料館もあるし。でも、地元の人にとってはやっぱり特別な場所なんだなあ、と、多少切なくなりながら、塔の意味の大きさを思ったもんです。


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 この塔の建立に、次の県知事に決まった翁長氏のお父様が関わっていたというのは、今回の選挙で初めて知りました。2012年のインタビューです(こちら)。以下引用。

  「旧真和志村に住んでいた。いまの那覇新都心ですね。戦争で村は焼け、住民は糸満市に住むよう指定された。あたりは遺骨だらけ。村長とおやじが中心になって4千体くらい集めたらしい。最初は穴に埋葬していたけれど、数が多くて骨が盛り上がり、セメントで覆った。それが魂魄の塔。命名したのはおやじです。だから僕も、選挙の時には必ず早朝に行って手をあわせる」

 「おやじとおじいちゃんは防空壕(ごう)から艦砲射撃を見ていたそうです。『大変だね』と話していたら、おじいちゃんがやられた。埋葬する余裕がないから、石を上においた。戦後遺骨を探したけれど見つからなかったそうです。母親の妹は、ひめゆりの塔で看護師として亡くなった。沖縄の人は、みんなこうなんだよ」

 「戦争中にああいうことがあり、戦後も米軍の占領下でほったらかしにされても、沖縄は日本に操を尽くしてきた。なのに『沖縄さん、基地はあなた方で預かって、かわりに振興策をとればいい』などと全国市長会でも公然と言われる。論戦をしたら大変なことになるので、『そういうわけじゃないんですけどね』と言葉を濁すさびしさ。わかりますか」

 このインタビュー全文を読む限りでは、これから個々の政策の中でいろいろと対立する場面もあるのかもしれないとは思うけども、それはそれとして、沖縄で「保守」と呼ばれる人々が今何を思って選挙を戦ったのか、これからあると言われている総選挙で何を戦うのかが、見えてくるのではないかと思います。

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