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2015/08/20

わだつみの声(旧作)

 ごぶさたになっておりますm(__)m。新文芸座の恒例、戦争映画特集。第一部が広島行きと重なって見られなかった恨みもありまして、第二部を1週間で7本観たら、何がどの映画だったのかわからなくなりつつあるという( ̄▽ ̄)。1日2本立てなので、まあ半分見てる計算ですな(ラインナップはこちら)。
 昔ながらの名画座のスタイルを踏襲して、2本1300円。入れ替えなしなので、映画館から出なければ、繰り返しいくらでも見られます。ラスト1本(最終回)は850円。自分は友の会に入ってますが(年2000円)、とっくに元を取ってる上に、次はポイントでただで見られるのだ( ̄▽ ̄)。そしてワタクシと一緒に入る人は友の会料金(2本1050円)で見られるのだ。わはは。

 つことで、「わだつみ」から行きますか。いわゆる「旧作」、1950年版の方です。「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」が正式名称。実は、多分「学徒出陣50年」の記念イベントだったと思うんですが、朝日新聞でやった上映会(岩垂氏の解説つき)で一度観てるんですよね。なんですが、なにせ会社帰り、30分近く遅刻しまして、観られたのが「大木助教授による最後のフランス文学の講義の回想」の直後辺りから、というのが今回判明しました。おかげで前回は人間関係が全然わからなかったんよ……。20年ぶりにすっきりした。

 舞台はビルマ戦線。原隊にはぐれた大木二等兵(信欣三)と鶴田上等兵が、柴山少佐の部隊に偶然拾われるところから始まります。日頃からなにかと学徒出身兵をこころよく思ってない少佐と兵長。しかも、大木が実は東大のフランス文学の助教授で、牧見習士官がその教え子であったことが発覚。大木はいやがらせを受けながらも、やはり学徒出身の青地軍曹(伊豆肇)の分隊に繰り入れられる。分隊にいた河西一等兵は、東大で学生運動をやって検挙され、「アカの学生が涙ながらに転向」との報道つきで前線に送られた。河西と大木は互いに「なぜこんなになる前にもっと戦争に反対しなかったか」と後悔しあうが後の祭り。

 命令が下って部隊が移動することになる。動けない兵隊は置き去りにすることとされており、慶応出の軍医が判定することになる。「病兵」として残された中には、美大の箕田ら学徒兵も入っていた。
 移動の前夜、河西らが翌日の強行軍に備えて少佐の馬をつぶして喰う算段をしていた。気づいた青地は「小隊全部でやろう」と馬をつぶし、置き去りにされる病舎の兵たちにも分配する。ところが病兵が吐いた中から馬肉が発見され、青地が制裁を受ける。見かねた河西が名乗り出るが、副官に連れ出され、射殺される。部隊は移動し、病兵らには手榴弾が配られる。

 移動した先の陣地は猛攻に逢い、部隊はすでに全滅に近い。目をやられた軍医は、毒薬の注射で自決する。横穴深く隠れていた少佐と副官は数名の兵を連れて、逃亡を図る。それをみた青地は「戦争なんてナンセンスだ、誰がこんなものを始めたんだ」と吐き捨て、木の枝に白旗をくくりつけて歩き出すが、直撃弾を受ける。被弾して息も絶え絶えとなった牧を大木が抱きながら、最後の授業で語り尽くせなかったモンテーニュについて語るが、その大木も被弾し、かくて部隊は全滅する。その亡骸から霊が立ち上がり、海へ向かい歩き出す……。

 てな具合で。「死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は、何が判ればいい?」という冒頭の字幕は、ジャン・タルジューの詩(渡辺一夫訳)であると、わだつみ会のHPに出ておりました……という一事をもってわかるように、やっぱりインテリ・エリートなんだよな、「学徒」っていうのは……。今の「東大生」とは比べものにならない特権階級なんだよな……。つことで、いろいろと難しい。片方に「拝啓天皇陛下様」みたいな、字もろくすっぽ読めなくて、軍隊は雨が降ったら屋根があっていいなあ、みたいな兵士がいて、もう片方にモンテーニュだ、チャイコフスキーだ、セザンヌだ、っていう兵士がいるわけですよ。なんかっちゃ、詩なんか暗唱された日にゃ、とりあえず殴るくらいのことはしたくなるのも無理はない……と、20年前に見た時は思わなかったけど、今回は思った( ̄▽ ̄)。そうした上官(ないし憲兵など)の無教養を人品の卑しさとして嗤うような場面ていうのはどの映画でもあるけど、ねえ。学徒兵の方は、そういう階級差には無頓着だから、なぜ反目されるかもわからないし、自分たちだけで学生生活の続きをやろうとするような。だって牧のところにくる婚約者の手紙って、「先日、新響を聞きに行ってきました、あなたと聞いたあの曲がかかりましたのよ」みたいな話で(←で、かかるのが「白鳥の湖」4幕の、王子湖に帰還! のアレ)、ビルマの現状からもかけ離れてるけど、そもそも世間からもかけ離れてるよな……。回想で延々と盛り込まれる、大木のモンテーニュの授業とかね。インテリっていうのは死ぬのにどれだけ理屈がいるのか、と思い、だからこそ理屈にからめとられるのかもしれないなあと思い。

 そうした中で、青地が部下の人心をまとめられるのはそのバンカラさと率直さによるのだろうし、画学生の箕田が(比較的)愛されるのは、彼の描く絵(故郷の風景や戦友)が「教養」とは無関係に「わかる」ものだからなんだろうな。学徒兵、現役兵、補充兵と、若いほど階級が上になるという「不条理」もあってこの3つの「階級」の間の溝は多くの作品に現れるけど、なんかもうこれで上手くいくわけないじゃん……という気もわいてくるわけで。

 「戦後初の反戦映画」と言われるとおり、戦後5年目に作られただけあって、特に冒頭の敗走する大木や、なんとか部隊について行こうとする片足の病兵の泥まみれの感じとかは、ちょっとほかにないだろうという気がする。あと、連合軍のスピーカーで流される降伏勧告の放送。これが日常的に流されるのはこたえるだろうなあ……。今みると「類型的」な部分もありますが、むしろ本作から派生していって「類型」となったのだろうと思います。観る順番で印象って変わるからな。

 あれがない、これがないというのは簡単なんだけど、それを全部ぶち込んでみたらどうにもならないものが出来たというのが95年の「新版」なんだよな……orz。以来、作品というのは「あるもの」を解釈すべきだというのが持論ではあるんですよ。

 ともあれ、これが日本の戦後の「反戦」映画の「出発点」であったわけです。

 

 

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