2015/05/24

めぐり

 ええと、ダンチェンコとか大野一雄の続きとかそもそも松山の続きとかいっぱいありますが、とりあえず山海塾の新作「海の賑わい 陸(オカ)の静寂―めぐり」を見て参りました。例の如く、世田谷パブリックシアターの2階最前列。いつもながら、「指定解除」宣言は緊張するなあ……。緊張する必要はないんだけどね。

 ウミユリの化石をモチーフにした背景の壁と、今回は砂を敷き詰め、両脇と奥に「縁」を取り、上手前方に透明な水盤(吊ってあって上下する)が一つ、と比較的シンプルな舞台。それに照明を当てて水にしたり陸にしたり。今回は全体にシンプルな気がしたな。衣装もドレスやビスチェはなくて、色彩もシンプル。

 バレエ、特に古典の読み替えについてはいろいろと解釈を楽しんでおりますが、山海塾に関しては、ほとんどそういうことをせずにシンプルにその世界を遊ぶ、みたいな楽しみ方になってます。そのいちばん大きな理由は、「覚えきれないから」に尽きたりするんですけどね……orz。一応、公演ごとにぺらりとしたお品書きみたいな紙がありまして、各景のタイトルなんかも書いてあるんですけど、で、始まる前に一所懸命見てたり(←「読む」ほどの分量ではない)してたんですけど、見てる間にだんだん今何景かわかんなくなって、見終わったあとにはまるで覚えてないという( ̄▽ ̄)。で、あきらめた、と。

 今回は天児さんが最初に群舞も入った形でのソロ、最後の方に単独のソロ。群舞は4人(市原さんがこっち)と3人(蝉丸さんがこっち)の2組で、3人の方は2景とも、後退でソロをとる。
 海から陸への進化の過程がテーマとあって、最初の4人は固まってイソギンチャクのようにわさわさしながら、徐々に回転しつつ外へ向かっていくようなイメージ。背中だけを床につけて手も足も頭もほとんど浮かせたままでの踊りなので、相当筋力がいると思うんですが、舞踏手ってあんまり「筋肉〜」なイメージがないんだよな。白塗りのせいもあるかもだけど。その、天に向かった指の、時々「カニ」の眼になって、つんつん、というのが妙に可愛かったり。指だけなので小さくなんだけど、いつもの「親指つんつん」とか「てのひら上下ぱたぱた」とかがさりげなく入っていてキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! ってなったり(笑)。

 しかし、蝉丸さんのソロが圧倒的であった……。特に二回目のソロはもう本当に。ベテランの持つ「身体の力」が一気に放出されるような(個人的には、直後の天児さんのソロがかすんだくらい……)。なんかこんなに蝉丸さんをしみじみと見るのは初めてじゃないかってくらいにくぎづけになってしまったのよ(←長谷川さんがいるとそっちに気を取られるからなあ( ̄▽ ̄))。うっかり惚れ直してしまったよ……。
 そして、市原さんは相変わらず何をするにも思い切りがよいので、やっぱり見ていて気持ちがいいというか、ある意味清々しいというか。「舞踏」で清々しいってのもアレですが、やっぱ清々しかったりするんですよ。

 天児さんは、今日は最初のソロの方がよかったような気がする。とっくに還暦越えなんだけど、やっぱり美しいよなあ。蝉丸さんは「75年に19歳」という記述を見つけたので(こちら)、まだ還暦前……って、それにしてもΣ( ̄ロ ̄lll) ではあるんだけど、ベテランの貯金って、ほんとに侮ったらイカンよ……。

| | コメント (0)

2015/05/20

大野一雄と大津幸四郎 2

 ダンチェンコが開幕してますが、自分は今回土曜ソワレ一回きりです。白鳥は予習兼ねてなんで、気合い入れて見ますよ−。山海塾と重なってなけりゃなあ。

 つことで、続きです。

 前回聞いたトークともかぶっていた話ですが、大野一雄という人は基本的に(というか多分全部)即興の人で、「魂の風景」も全部即興。最初の撮影のときはそれがどういうことか今ひとつわかってなくて、最上川を下る(上る?)船の上で踊る場面が最初だったんですが、まずリハで1度やって、リハだから大津氏はまだカメラを組み立てて、しかしその1回めが非常によかった(でも撮影できてない)。何度リテイクしても最初よりよくならない。そうこうするうちに日が暮れてきて、夕闇の中で撮ったのがいい感じだったのでそれを使った、と。

 で、それに懲りて次からは全部一発撮り( ̄▽ ̄)。いくつかリテイクした場面もあったそうですが、基本は一発で、動く範囲(大体ここら辺で、くらいの)とコンセプトみたいなものは打ち合わせをするんだけど、後はどう動くかわからない大野氏を大津氏がひたすら撮る(←監督はほぼ傍観)。それをラッシュで見た時に、監督は舌をまいたそうです。フレームだけではなくて、特に距離の取り方が絶妙だと。
 ドキュメンタリーのキャメラマンといってもいろいろで、インタビューを中心に撮っていくのとは違って、こういうハプニング的なものはやっぱり三里塚なんかの経験が活きてるんだろうなあと自分などは思ってしまうんですが、監督はむしろ、水俣の経験が活きてる、というんですね。被写体というか、撮る相手との距離の取り方(心理的な)において。それはそれで、確かになあ、という。

 大津氏自身が話していたところによると、映画の中盤にある小学校の「むすんでひらいて」の場面(というのが、実際の撮影ではいつ頃なのかはわからないんですが)、あそこで初めて大野氏が、大津さんに向けて踊った、と言うんですね。向き合って、というよりも、話しかけるように、というニュアンスだと思うんですよ。撮りながらそれを感じたので、そこから撮り方が変わった、というような。
 監督の話では、そういう具合でとにかく大野氏から出るすごい気というか、オーラというか(なんと言ったか正確には覚えてないんですが)、大津さんは撮影しながらそれを浴び続けたと。それが後年の「ひとりごとのように」につながったということなんですね。

 やっぱり「大津幸四郎」といえば硬派のバリバリみたいな印象で、大野一雄とはあまり結びつかないように思っていたんですが、一連のトークで腑に落ちたように思いました。

 「ひとりごとのように」では、大野一雄氏が、音楽が終わろうがなんだろうが延々と踊り続ける場面が何度かでてくるんですが、平野監督がちょっとそれを彷彿とさせるようなしゃべりっぷりだったなあ( ̄▽ ̄)。マイクもすぐに降ろしちゃって、そのまんまでしゃべってるという。

 平野監督によれば、大野一雄氏の踊りというのは、外へ外へと開放的で、一言で言えば「愛」であると。で、慶人氏の踊りは逆で、内へと向かっていってそこから何かが生まれるという、どちらかといえば「暗黒」の方。それは自分も最初に映画を観たときから感じていて、だからこそ慶人氏に興味を持って何度か観に行ったりしたんだけど、一雄氏が亡くなったことで「大野一雄の伝道師」みたくなっちゃって、ちょっとつまんなくなっちゃったなあ、というのも正直なとこだったりします。

 あ。「魂の風景」の方、慶人氏が白塗・剃髪で背広着てる場面が一箇所出てくるんだけど、やっぱり「すけきよ!」って思ってしまって、犬神家の呪いもなかなか解けないもんだと思ったりもしました( ̄▽ ̄)。

| | コメント (0)

2015/05/16

大野一雄と大津幸四郎

 ええとすみません、いろいろアレでコレですが。横浜シネマリンでやっている大津幸四郎追悼特集(こちら)に行ってきたのでそちらを。
 大津幸四郎といっても、ここをいつも見てくださる方だと知らないかも−、なんですが、ドキュメンタリー映画の業界では知らなきゃモグリ(と言いたい)、というキャメラマン。なんかね、写真撮るのは「カメラマン」、映画撮るのは「キャメラマン」って、なんとなくそういう感じがするな。個人のイメージですが(ちなみに劇映画も撮ってます
 小川伸介、土本典昭と……といってもそこから説明がいる気もするけど、そうした監督さんたちと組んで、数多くの作品を遺してますが、昨年監督した「三里塚に生きる」が遺作となりました。映画の完成は間に合ったけど、一般公開を前に、急逝……。

 ここの読者に比較的近いところで言うと、舞踏家の大野一雄の最晩年のドキュメンタリー「大野一雄 ひとりごとのように」(2005)の監督でもあります。今日はその「ひとりごとのように」の上映と、「三里塚……」の共同監督の代島氏、大野一雄の最盛期の映画「魂の風景」(1991)の監督、平野克己氏のトークのセット。「ひとりごとのように」を最初に見たのは大野氏が亡くなったときの追悼上映会だったけど、今また大津氏の追悼上映会でそれを見ようとは……(ノ_-。)。。。。

 映画についてはまたまとめるかもですが、とりあえずトークの方の話など。トークの始めに参考映画として、「魂の風景」を30分ほど上映しました。最初の沼の中で踊るところから、小学校で「むすんでひらいて」を歌う子どものところまで。その後、30分か40分くらいのトーク。
 「魂の風景」も大津氏の撮影で、以前にやはり大野氏の特集上映でほかの映画と一緒に見たことがあって、確かポレポレだったかな−、大野慶人氏(一雄氏の次男で研究所の後継者)のトークがあったよなー、などと思ってたんですが、さっき調べたらオーディトリウムでの上映で、平野氏、慶人氏と大津氏本人のトークだったよあははははは(こちら)。

 そんなわけで、前に聞いたような話もあれば、新しい話もあり。平野監督がなにか大野一雄化してた気もしたり(なんのこっちゃ)。

 今回は大津氏の追悼特集なので、話は大津氏についての方がメインに。大津氏は同業者から「手持ちカメラで撮影しても絶対ブレない。(撮影用の)レールにのせて撮影してるかのよう」と言われたキャメラマンで、そらもうすごい人なんですよ、くどいけど。平野監督は「圧殺の森」を観て、一度このキャメラマンと組みたいと思っていて、そこから20年以上経ってから学生時代(日芸)のグループで映画を撮ろうという話になったときに、大津氏を思い出して依頼に行ったそうです。一本は原田芳雄と石橋蓮司が出演した劇映画「出張」。もう一本が「魂の風景」。「一本は劇映画、一本はダンスの映画を撮ろう」と決まって、当時絶頂の大野一雄を、となったらしい。平野氏も別に大野氏を知っていたわけではないらしく、半年ほど稽古場と公演に通ったそうです。大津氏の方は「出張」を撮り終わったあと別の仕事に入って、その後ロケハンの頃に合流したらしい。要するに、二人とも最初は「依頼仕事」みたいなもんだったようですね。

 続く。

| | コメント (0)

2013/10/11

日舞×オケ最終回

 さて、やや総括めいたことを。

 肝心のオケの方ですが、指揮は渡邊一正氏。東フィルの演奏でしたが、東フィルうーーーー! そこは「日舞×オーケストラ」異種格闘技戦、こなた代表としてもう少しプライド持った演奏を頼むよ! 「フンパツした」のかどうかはともかく、金管がなあ。さすがにペットが裏返っちゃうようなことはなかったと思うけど、「ここでそれかよ!」は何度かあったよ(やっぱりホルンなのかなー)。

 プログラムの「演出ノート」(壽輔氏)によると、「ペトルーシュカ」の日本舞踊での振付は初めてなのだそうな(前回が、の意と思われ)。振付の五條珠實氏は、「洋楽にもバレエにも精通」とあり、なんか納得した。ペトにも「狂言・文楽そして民俗芸能の技法」が盛り込まれているそうだし、「清姫」もさまざまな洋式が駆使されてるということで、そういった方面の素養があれば、もっと面白いだろうなー(そういう知識が逆にアダになることもあるけども)。
 「清姫」の藤間恵津子さんのHPを読んだところ、やはり赤ウロコで鐘に登ったのは藤間さんだったようです(こちら)。どこいらが伝統的でどこいらがモダンなのか、さっぱりわからないのが申し訳ないんですが、やっぱりいつもとはだいぶ違う感じなんだろうか。

 オーケストラと日本舞踊の組み合わせというのは、もちろん演目や衣装にもよるのだろうけど、違和感は感じなかったなあ(前回のR&Jはちょっとあったかも)。
 今回もあらためて思ったけど、ぢぶんは「踊りで物語を観る」あるいは「ドラマ性のある踊りを観る」のが好きなんだな。これが芝居というか、台詞入りのものになると、情報が過剰すぎると感じる。それならいっそ、三島や寺山みたいに、レトリックそのものを楽しむようなものの方がいい感じ。

 まあ、コテコテの日本舞踊はまだちょっと敷居が高い気はするんだけど、新作公演でちょっとモダンな感じのとか、音楽が親しみやすそうなのとか、行ってみたいですねー。


 はあ、なんとか「ジゼル」が始まる前に終わった( ̄▽ ̄)。書き残しもちょこっとはあるんだけど、煮詰まってない気がするので、また何かの折に。
 

 あ。ややどうでもいい知識ですが、幻舟さんに刺されたのは先代(三世)の壽輔さんです。もうそんな事件を忘れた人も多かろう。

| | コメント (0)

2013/10/10

日舞「ボレロ」

 というわけで、最後の演目は「ボレロ」。やっぱ「ボレロ」は最後だよねえ。前回、野村萬斎さんがソリストをやったのはテレビで放映されたときにチラ見しましたが(←録画はしてあるが見ていない)、やっぱり萬斎さん中心に映っていたような気がしたり。NHKのカメラワークって、よそのやたらと「映像作品として独自に仕上げてみせるんだ、えへんぷい!」みたいなヤツよりは余程いいんですが、それでも「そ、そこかΣ( ̄ロ ̄lll)? 」って、要はユニゾンなのに片方しか映ってないとか、ここの振りがかっこいいのになんでそっちーー、みたいなことがままあるんで、ええまあ恨みは深し七里ヶ浜。

 それはそれとして、今回は群舞のみ、ソリストなしという、ある意味むしろ画期的な。ソリストだけのボレロってのはままあるけど(アイスダンスみたいに)、逆に40人で押し切っちゃおう、という。こちらも寿太一郎さんは休演なので(そして昌克さんは初めからメンバーなので)、誰かトラが入ったのか、39人で押し切ったのかはよくわかりません。

 振付は花柳輔太郎さん。前回とは違い、中央の四角い舞台は二段になっていて、四方のどこからでも舞台に上がれるようになっています。後ろの太陽だか月だかは全然覚えがない。あったかもしれないけど、覚えてないよう。衣装は同じ(多分)、揃の袴。

 幕開けから全員が舞台を中央に均等に散らばって跪き(多分)、音に合わせて何人かずつ立って舞い、また別の組が立って舞い……というところで、「あ、今日は「ハルサイ」だー(^▽^)」と。それで、クレシェンドに合わせて人数が増えていくかというとそういうわけでもなく、音の強さと人の強さというのは、あまり相関されてなかったような気がします(その意味でベジャールはわかりやすすぎ、ともいえるかと)。人数の大部分が後ろに寄って、前方で少数(といっても10人よりは多かったような)が踊ったり、きれいに隊列を組んだりとフォーメーションを変えつつ、中央の舞台に、まずは二人が上がって踊ったあたりで、「あ、「ギリシャ」なんだなー(^▽^)」と思い、その後、舞台上は二人〜四人が入れ替わり立ち替わり、上がっては降り、上がっては降りで、その踊りも群舞とユニゾンのときもあれば違う時もあったかと(←最初に「改訂」と書いたのはこの部分があったから。プログラムには「改訂」とは書いてなかったですが)。時々また「ハルサイ」になったり、「討ち入り」になったり「涅槃」になったり、そこそういうリズム取りしたら「リズム」になっちゃうよ、とかしながら、主なイメージは「ギリシャ」、みたいな感じで。でもクライマックスで舞台の周りをぐるぐる走っちゃったら、そりゃハルサイで(^▽^)。
 そういえば、クライマックスの手前辺りで、全員が台に乗る場面があるんだけど、ぢぶんの見たところからだと1人乗り損なっちゃったみたいだったのは、上がぎゅうぎゅうで乗り切らなかったのか、そもそもそういう段取りだったのか。

 元々、ベジャールは早くから(「ザ・カブキ」以前から)日本風の振り(というべきなのか)を入れてたし、むしろベジャールの方が影響を受けていた、というべきなんだろうと思いつつ、彼の持つ「円環」や「祝祭性」が、輔太郎さんの考える「宇宙」と通じるところがあるのかもなあ、と。

 今回は「ボレロ」のために、1階前方ブロックの後方を取ったんですが(というか、そこと6列目くらいしか選択肢がなかった)、これは席としては大当たり(環境としては大外れ(ノ_-。))。
 なんだけど、いやー、やっぱりユニゾンってわけにはいかなかったなあ。「ボレロ」といえば鉄のユニゾンを見慣れてるってのもあるけど、むしろ日バ協的な寄り合い所帯で、音取りやら間合いやらが均一でないってことかも。台の上に3人乗って、音の取り方がばらんばらんという。群舞はあれだけいればバラバラでもそんなに問題ではないんだけど、最後の最後で「ばっ!」と全員で扇を開くところとか、というかその後くらいはがっつり合うと迫力が違うような気が。

 でもまあ、男40人の舞、そりゃやっぱ「スゲエ」わけで。文化会館が狭いわー( ̄▽ ̄)。この密度がいいんだろうなあ。来年もあるようだったら、ぜひ2階から見たいもんだな。

 カテコは、舞台幅いっぱいいっぱい(笑)に2列で並んで、前列の人が横を向いて後列の人を前に出すBBL型(そんな型が……)。しかし、ソリストがいないので、誰が主導権をとるわけでもなく、なんとなく「どうしようどうしよう」な感じになったところで壽輔さん登場(笑)。あとから玉三郎さんも出て(もちろん指揮者も)、盛大なカテコとなりました。だったら女性7人(清姫+バレリーナ)も出ればよかったのになあ。

 あとちょっとだけ続きます。
 

| | コメント (2)

2013/10/08

日舞「プレリュード」

 日舞×オケ、3演目めは「プレリュード」。ドビュッシーの前奏曲集より、「亜麻色の髪の乙女」「雪の上の足跡」「沈める寺」の3曲を使い、花柳壽輔さんが振り付けたもの。メインになる「沈める寺」以外は1曲まるまるではなかったような気がします。「亜麻色」の前に前奏的に短くついたのは「沈める寺」からだったのかな。「雪の上の足跡」といえば、ぢぶんとしてはもうまずもって「時節の色」のアレですが、今回はブレイナーのオーケストラ版ですので、まあ別物っぽく。

 美術は千住博氏。大きさの違う5枚のスクリーンに、千住氏の描いた森の風景と水の中のイメージがゆらめきながら投影されるのは美しいんですが、何分にも後ろのご年配の方々が、画面が動くたびに「あらー揺れたわ揺れたわ!」とおおはしゃぎなさるので、個人的には逆効果といいますか、凡庸な美術で後ろの人が黙っててくれた方がなんぼか(何度か後ろを振り返って「しー!」ってしたんですけど、そんなことにも気づきゃしないレベルだったんですよ……orz)。

 まあそんなことも、ぢぶんがノれなかった要因としてはあるというのは否定しませんけども。

 金茶(かな)の着物に袴、笠をつけた壽輔さんの「旅人」が森深く迷い込み、玉三郎さん演ずる水の精に惑わされ、湖深く沈んでいくというもの。筋としてはわかりやすく、まあむしろイメージ的な作品。ただもう少し練れてればなー、という印象も。

 ひとつには、曲のひとつひとつのつなぎが今ひとつうまくないんですね。「展覧会の絵」がよどみなく、6曲が1曲かのように流れていった後だったので、たとえとして適当かはアレですが、フィギュアのフリーで「曲のつなぎが悪いなー」と思うような、ああいうふうにぶつっと感じる。

 もうひとつは、黒子さん4人が壽輔さんをリフトする場面が何度も出てくるんですが、これがどうもうまくない。波に浮いたり、翻弄されたり、水の精に手を伸ばそうとして届かなかったり、という演出なのはわかるんだけど、どうもスムーズでないというか、こう、もっさりした感じが。リフトする方もされる方も慣れてないのかもしれないし、袴を穿いた状態で上げ下げするのは、レオタードやタイツでやるのとは違うだろうからなあ、と。イメージ的には、「ザ・カブキ」の雪の別れの場で、由良之助が黒子に担がれて退場し、顔世が波に飲まれていくことで、運命に翻弄される2人を描く、ああいう感じなんですけども。日舞ではああいう振りというのはあまりないのかな。ここいらが「革新的だ!」というのがわかると、さらに面白いだろうと思うんですけど、そういう素養がないからなあ……。

 えーと。玉三郎さんは、水色の着物。玉三郎さんの背が高いのか、壽輔さんが小柄なのか(両方だけど)、身長差がすごいな。
 お二人とも、舞はもうさすがなんですが。玉三郎さんの「異界感」とでもいいますか。「物の怪感」かな。すっと出てくるだけで、この世のものではない何か、なんですね。振りは、腕の動きに白鳥っぽいのが入ったりして。壽輔さんの、「旅人」といっても分別のありそうな、ええとまあ、武士の中でも比較的身分の高そうな辺りのおっさん……じゃなくてなんだ、ええええっっっっとお、とにかく「旅人」ですね、それが分別を失って翻弄されるさまというのもなかなかによろしくて。それだけにもう少し集中して見られるとよかったのかもなあ。

 そうそう、お二人のカテコはさすがに長かったのですが。確か「ペト」では、幕前のカテコはなかったような気がしまして。「清姫」の方は、6人が幕前に順番に出ては、それぞれがそれぞれにキメポーズなどを作ってくださいまして(ちょっと戦隊っぽい……というか戦隊がそれっぽいのか)、それもすごく楽しうございましたです。

| | コメント (0)

2013/10/07

日舞「展覧会の絵」

 さて、日舞×オケ、2演目目は新作「展覧会の絵(清姫)」。

 中村梅彌、西川扇千代、花柳喜代人、花柳せいら、藤間恵都子、水木佑歌 
 振付:藤蔭静枝 

 音楽はラヴェル編曲版から「古い城」「ビドロ」「サミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」「リモージュの市場」「カタコンブ」「バーバ・ヤーガ」「キエフの大門」。
 プログラム掲載順ですが、多分この通りだったんじゃないかなーーーーといいつつ、ぢぶんがちゃっと聞いてちゃっとわかるのって「キエフの大門」くらいですよ( ̄▽ ̄)。というか、もう「ビドロ」なんて手塚治虫版の大工場でしか思い出せない( ̄▽ ̄)。あれは名作だよなー。
 てことはおいておいて。

 「清姫」というので、てっきりあの道成寺のお話をまるっとやるのかと思ったのですが、プログラムによると6人の踊り手がすべて清姫で、能から歌舞伎舞踊、日本舞踊新作まで様々な清姫の姿を描くという趣向だそうで。なのでこれまたてっきり、ひとり一曲的な感じで順番に踊り手が出てきて、それぞれの流派の踊りを踊るのかなーと思ったのですが、これまた軽やかに裏切られまして。個人的には、この日いちばん面白かったです。

 有賀二郎氏による美術は、背後にやや背の低い(といっても人の背よりはだいぶ高い)白(薄いグレー?)を基調に下方に炎を描いた壁を作り、真ん中に引き戸式(とはいわないか)の出入口。背の高いのとやや低いのの、2本の柱にはやはり下方に炎が描かれ、これらの後ろが踊り手の待機場所であり、衣装換えの場所にもなっているという趣向。そして上手上方には、シンプルながら大きな釣鐘。

 申し訳ないことに、誰が誰だか結局わからないんですが、幕開けは上手に笛をはじめとした3人の囃子がついて、能(なのかなー)の清姫。
 後方の出入口から、姫姿の次の踊り手が現れて、最初の踊り手交代しつつ、囃子方は座った台ごと上手に捌け、「古い城」が始まります。この2人がソロで、あとは2人になり、3人になり、またソロになったりしながら、清姫たちが入れ替わり立ち替わり。姫姿が3人でしたか。「喜」「怒」「泣」の3つの面をそれぞれつけてそれぞれの踊りを踊る場面もあれば、姫たちが手を取り合って踊る場面もあり。2本の柱が実に効果的に使われていて、いつの間にか1人増え、1人減り、違う清姫になり、と目が離せないんですねー。6人全部で1人の清姫なんだけど、それが何か役割分担的に振り分けられているというわけでもないのが逆に面白いというか、ちょっとスリリングだったりもします。

 姫姿の3人から、白い着物で、あれなんていうんだろう、ちょっと武家っぽい、髪を一筋細く後ろに垂らして、結った付け根のええと水引なのかなあれも、ぴんと立った感じの。それが初めは2人、後には全員その姿になるんですが、最終的にはその片方の肩を脱ぐと、下は△のウロコを模した銀の衣装になっているという。中の1人だけは銀ではなく赤のウロコ。で、その赤のウロコの人(プログラムの写真を見る感じでは、藤間恵都子さんではないかと思うのだけど自信がない)が、蛇の頭といいますか。この人がスゴイ迫力なんですよー。

 そしてついに「キエフの大門」のあの壮麗な音楽とともに、釣鐘が下がってくるんです。おおっっーーーー(←すでに興奮している)。そして黒子さんが釣鐘の後ろに用意したはしごで、赤ウロコの人が釣鐘に昇り(黒子さんがちゃんと尻尾部分を釣鐘の前に垂らし)、片手に持った、ええとあれはなんだ、細い棒の先になんか四角っぽいのがついてるヤツ、アレを振り回しつつ辺りを睨めつけ、白ウロコの人々はその胴体のように並んで踊り、いやもうなんかよくわかんないけどえらい興奮しちゃって半泣きでした。かっちょええーーーーΣ( ̄ロ ̄lll)!

 ぢぶん、基本的に洋舞でも邦舞でも男性の踊りが好きで、あんまし女性の舞って興味なかったんですが、もうぢぶんを恥じましたよ。振付もよかったんだろうけどなあ。日舞の素養が全然ないんで、あればもう少しわかりやすく書けたような気もするんですが、まあコーフンしたことだけ伝わればいいや。

| | コメント (0)

2013/10/05

日舞「ペトルーシュカ」続き

 こちらのブログで、前回の日舞×オケについての記事が読めます。月刊「日本舞踊」の記事がそのまま出ていますが、そもそもの企画は例の、ギエムや花柳寿輔さんの出た「HOPE JAPAN」の成功を受けて、東京文化会館からオファーがあったということのようです。あのときの花柳さんたちの舞台、よかったものなあ。こちらはおけぴの記事ですが、この中で、カブキの初演の時にベジャールに「ボレロを日本舞踊でやりたい」と言った話などが出てきて、なかなか面白い。カブキからここまでが続いてるようなもんなんだな。

 さて、昨日は筋を書いたら終わっちゃったんで、続きです。

 元になっているフォーキン版(にも原作はあるのだろうか)では、人形遣いは老人で、ムーア人の部屋にバレリーナを送り込んだり、2人がいちゃついてるところにさらにペトルーシュカを放り込んだりはするんですが、いってみれば「その程度」でもあるんですよ。

 今回の日舞版では、おそらく花柳輔蔵さんのキャラクターと怪演によるところが大きいのだろうとは思いますが、もっと悪辣な(笑)感じがします。スキンヘッドに黒の着物、青のアイメイクで、女形の仕草はサディスティックで、人形たちはただのなぐさみもの。

 フォーキン版でも、ペトルーシュカのソロは、彼の部屋に掲げられた人形遣いの肖像画が彼をにらみつけ、ペトルーシュカは恨み言をいいながらも威圧され、ひれ伏す、いわば絶対的な支配=隷属関係があるんですが、日舞版の人形遣いは人形小屋の中からペトルーシュカに長い黒髪のかつら、あるいはモヒカンのかつらをつけた姿を見せて彼を脅し、その怯えるさまを楽しむという。階級というよりは性癖だなあ、ペトルーシュカたちが翻弄されるのは。
 それだけに、ラストに人形遣いが受けるショックも大きく、フォーキン版ではペトルーシュカの幽霊に腰を抜かす程度のことですが、今回は絶命しちゃいますからねえ。そんだけ恨まれてたんだなあ。屋根の上の幽霊に驚くんじゃなくて、本人が上に昇ろうとするのが面白いな。

 ペトルーシュカの南蛮襟を見た時は、やられたなあと思いましたよ。天草四郎的なアレ。その手があったか−。バレリーナはおてもやん風というか。いや、多分何か呼び名がきちんとあるんですよ。その装束についての。そういうのがわかればさらに面白いんだろうなあ。

 ムーア人は、あれはなんていうんですか、南京玉すだれ的で豪華な衣装。テレビで見たのは多分、寿太一郎さんだと思うんですが、恰幅のいいお大尽風で(でも顔は「ムーア人」の黒塗り)、金も力もありそうな感じ。今回は前述したとおり、昌克さんが代役でしたが、前回と比べると特に顔立ちがほっそりしていて(若い頃のさだまさし的な)、貫禄には欠けるんですが、その分コミカルさがアップ。ペトルーシュカとの掛け合いも互角よりちょっと上、くらいで、ケンカの場面の前半はむしろ笑えたくらい。
 しかし、暴力的になって以降は怖さも増して。恰幅のいいお大尽の暴力よりも逆にコワイ。まあ、テレビで見たのとナマで見るのとではやっぱり違うので、そういう要因もあるんだろうと思うけれど。
 フォーキン版のムーア人が、見てくれは豪華だけど頭はからっぽという(ヤシの実を礼拝しちゃうような)、まあ当時の差別意識もあるんだろうなあという造形を考えると、その暴力性というのもある意味では納得感があるというか。
 しかし、キレたムーア人にいきなり殴られ、その後にペトルーシュカをフクロにする光景に怯えていたバレリーナが、最終的にムーア人についていくというのは、(観念して)DV男の元に戻るツマのようで、後味はあまりよろしくない。

 人形自体は「糸操り」になっていて、人形遣いの(実際にはない)糸を遣う指の動きの繊細さに見惚れてしまいますが、その糸に合わせて動く人形振りも面白く、特にムーア人の(サンダーバード風の)歩き方とか笑っちゃったなあ。ツーステップがかわいいんだよ( ̄▽ ̄)。

 久しぶりにごとやんのムーア人が見たくなっちゃったなあ、というところで、次の演目へと参ります。

| | コメント (2)

2013/10/04

日舞「ペトルーシュカ」

 えー、そういうわけで日舞×オーケストラ、肝心の舞台の方。

 1演目目は「ペトルーシュカ」。これは昨年の再演で、ぢぶんもTV放映をながら観したんですが、ムーア人を演ずる予定の花柳寿太一郎さんが急病で降板、花柳昌克さんが代役となりました。他の人は同じですかいね?

 ペトルーシュカ:若柳里次朗 バレリーナ:花柳大日翆 ムーア人:花柳昌克 人形遣い:花柳輔蔵
 振付:五條珠實 美術:金子國義

 まあ、テレビで観た方もいらっさるとは思いますが。筋書きは概ねフォーキン版と同じですが、群舞はなく、1場仕立てです。曲のかなり長くを「序曲」としてとって、どの辺りだったかな、ストリートダンサーのケンカよりは後だったと思うけど、幕の間から人形遣いの手がぬっと出て怪しげに動くところから始まります。

 ……なんだけどね。幕の開く場所を手に持って待機してるときに、身体の線が幕越しに丸見えなんですよ。幕と幕の間が開いちゃってるから、舞台中からの照明が下手側に流れっぱなしだし。「序曲」の間中、あそこに人が待機してるってのが気になっちゃって。こういう始末が今ひとつだとちょっとなあ。

 ま、そこをすぎてしまえば後はすごく面白かった。幕が開いて、フォーキン版で使うのとちょうど同じような、前にカーテンのついた人形芝居の小屋(というか箱というか)。フォーキン版だと一つの小屋に3体の人形が入ってますが、こちらは下手からペトルーシュカ、バレリーナ、ムーア人用の3つの小屋が並んでます。祭りの日のできごとというよりも、オフの日、あるいは仕事のはねた後の、人形遣いの手慰みのようなもの。バレリーナ、ムーア人、ペトルーシュカと人形を出して踊らせ、バレリーナとムーア人は恋仲になり、ペトルーシュカは、嫉妬というよりは 。・゚・(ノд`)・゚・。ウワァァァンな感じで。

 やがてバレリーナとムーア人は小屋に戻され、ペトルーシュカのソロ。それを人形遣いがいたぶり、小屋に戻すと、今度はムーア人が出されてソロ。それにバレリーナが出されて2人で踊り、ペトルーシュカが出てきてそれを人形遣いがいたぶり……と、まあそんなこんなで。しかし、そんなことにも飽きちゃったらしい人形遣いが人形達を小屋に戻そうとするんだけど、ムーア人もバレリーナも壊れちゃう。いろいろ糸を引っ張ってみても動かないムーア人に人形遣いがかかってるうちに、ペトルーシュカはバレリーナをなんとか動かすと、2人で逐電です。ええっΣ( ̄ロ ̄lll)! 気づいた人形遣いがムーア人を小屋に突っ込み、後を追う。

 ここの場面転換(的な)は、黒子さん(といっても黒ジャージだ)が小屋をぐるぐる動かして、えーと「ムーア人の入った小屋はどれだ!」的な具合に。それでもなんとなく逐電先になるから面白いよな。
 その逐電先で、ペトルーシュカはようやく、バレリーナと仲良しで踊るのだ。ええっΣ( ̄ロ ̄lll)! 誰でもいいのかよ、バレリーナ。
 さて追ってきた人形遣いは2人の間に割り込み、バレリーナを折檻。っつってもそこは「日舞」ですんで、お約束通り「ぱあん!ぱあん!」と繰り出される袂に合わせてバレリーナが首を振るわけですが、これが「ぱぱぱぱぱぱぱ!」になるとギャグにしか見えなかったりして(ギャグなのか?)。その間、ペトルーシュカはといえば「おそろしや〜、おそろしや〜」と完全にビビリーなのですが。

 えーと、細かい所は忘れました。2人はもちろん連れ戻されますが、ムーア人はまだどっか壊れてたのか、いきなりキレてバレリーナを殴ったり。最終的にはペトルーシュカに馬乗りになって殴り殺してしまい、バレリーナもムーア人と元サヤに。一部始終を見ていた人形遣いは、ペトルーシュカが本当に「死んで」しまったことに驚愕して逃げ惑いますが、空から降りてきた縄ばしごを数段昇ったところで息絶えるという。

 続きます。

| | コメント (0)

2013/10/03

日本舞踊×オケ

 つことで、昨年チケットを取りそびれて気になっていた、「日本舞踊とオーケストラ」の第2弾へ行って参りました。会場の掲示によると、日程は未定ながら、前回と同じ枠(「にっぽんの芸能」だっけ?)で放映されるようです。いい席の辺りにカメラがばーん、ばーん! と。

 まあ最初に愚痴っちゃいますけど、前の列の「その業界」的なお年を召した方々は、上演中にひとつのオペラグラスを「まあこれをお使いください」「いえそんな」「いえいえどうぞどうぞ」「ありがとうございます」「ありがとうございました」「いえお気兼ねなく」「ちょっと貸していただけますか」「どうぞどうぞ」と丁寧に繰り返し、後列はまるまる1列近くが同じお教室かなにかのおばさま方で、「あらー、(背景が)揺れてるわ」「あら出てきた出てきた」「立った立った」「座った」と事細かに実況なさっていたんですが、日舞の公演ってそういうもんなんですかねえ。ええ、下手サブセンターの前ブロックやや後ろ寄り、カメラと同じくらいの列ですよ。

 てなことはおいておいてですね。

 公演自体はとても面白かったです。前回のはTVで観ましたが、やっぱりナマで観るとさらに面白いなあ。前回はすべてバレエ曲でしたが、今回は「ペトルーシュカ」(再演)、「展覧会の絵」、「プレリュード」、「ボレロ」(改訂)。1演目ごとに15分の休憩が入りました。

 ……というところで、ちょっと眠い……。あとは明日にでも。

 そうそう。今日は上野の文化会館で、チケットは完売かそれに近かったと思うんですが、ホワイエもトイレもすいているという不思議( ̄▽ ̄)。トイレはともかくホワイエは、チラシ置きの台があるだけで(プログラムは配布)、店売もオペグラのレンタル屋さんもないし、次回公演のプロモビデオもないので、スペースも広々。お花はひとつだけ、出てましたですよ。

Ca3k0754_3 ガルニエにまでご一緒した花柳さんちの若い衆もボレロには出てたのかな。


| | コメント (0)