写真展・飯舘村
さて、去った13日のことですが、新宿の全労済ホール内のギャラリーで開催されていた、長谷川健一写真展「飯舘村」へ行ってきました。全労済ホール、何年ぶりだ……。
長谷川さんはご存じの方もいらっさるでしょうが、飯舘村の酪農家で、原発事故から全村避難、そして現在までの記録を撮り続けている方です。今回はその1万枚を超す(!)写真の中から約50点を展示。3月16日に孫たちを避難させてから、家畜の「処分」、酪農家仲間の自死、全村避難、仮設住宅での暮らし、そして除染、ヨーロッパでのデモ、国際会議への出席、12年8月の復興牧場での酪農再開までの日々。
「かなわないなあ」と思うことはあるわけですよ。当事者にはかなわないな、と。写真そのものは名のあるフォトジャーナリストとかの方が「上手い」んだろうなと思いつつも。
というよりも、「ああやっぱりナントカさんは上手いな」と考えないことで伝わってくるもの、というべきなのかもしれません。
今回の場合は「悔しさ」、だと思いました。いわば「写真の行間」とでも呼ぶべきところからのどうしようもない悔しさ。それは長谷川さんという撮り手自身のもので、レンズを構えた「こちら側」にあるような気がしました。もちろん、カメラマンだって自身の怒りや悔しさやいろんな感情を持ちつつ被写体に向かうわけですが、なんというんだろう。長谷川さんの写真を見ていると、ジャーナリストというのはやはり「媒介」なんだな、と思うわけです。(レンズの向こう側の)被写体の持つ感情を写し取るのがフォトジャーナリストだとすれば、(レンズのこちら側である)自分の感情を写し出すのが当事者なのかなあ、と。例えば、孫娘の写真でも、「可愛い子だな」と思うよりも、「ああお孫さん、とっても可愛く思ってるんだろうな」とでもいうような。
それは昨年見たドキュメンタリー「立入禁止区域・双葉」にも言えるような気がしまして。双葉出身の監督さんが撮った、事故直後の双葉から全村避難へという映画でしたが、その前半の粗っぽさはなんとかならんのかと思いながらも見られてしまうのは、「素材」の力もさることながら、監督の当事者としての怒りがストレート(すぎるくらい)に表出されている、その迫力なんだよなあ。それは「311」の森達也監督らのどこか他人事めいた「とほほ」っぷりとはやはり対極で。
写真1万枚、動画DVD150枚という、その記録の量をみたときに、自分は阿波根昌鴻さんを思い出しましたよ。阿波根さんは、当事者の写真による運動の記録(証拠としての写真)の先駆けのように自分は思いますが(阿波根さんは写真以外にもなんでもかんでも集めて資料館建てちゃいましたけど)、その系譜に位置づけられるのかもなあ。
まあそれはともかく、写真について。
避難の時のお孫さんが最初の写真ですが、来ているジャケットが牛柄なのが可愛いけど切ない。だってもう、酪農はあきらめて、牛も処分しなくちゃならないのが、見ている側にはわかるわけだから。
収穫されなかった柿の果樹園(?)の雪景色。何か違和感が、と思ったら、柿が鈴なりになったまま残され、葉が落ちて実だけになった光景って、ほとんど見たことがないんですね。柿がなってる時はまだ葉が残っていて、雪景色になる前に収穫するなり、烏が食うなり、落ちるなりして、ひとつふたつ残っているならともかく、鈴なりってことはそんなにないような。
少しずつ、野生の猿やイノシシに侵入されていく集落を見て、自分が「廃墟写真」が好きじゃないわけがなんとなくわかりましたよ。廃墟そのものよりも、それが「廃墟」になり始める時のことの方を思ってしまうからなんだな。そこでの生活を手放さなければならない理不尽さのようなもの。
そして、最後にお子さんたちが復興牧場で再び酪農を始めたのには、ちょっとホッとしました。それはまだまだ不確定な要素が多いんだろうとも思うけども、牛を引く長男さんが気になったからさー、また牛の仕事ができてよかったなーと。牛舎の卒塔婆がね。そんなものは「気は心だ」と言ってしまえばそれだけかもしれないけど、処分された牛も、処分に出さなきゃならない酪農家も、実際に処分する人たちも、やっぱり切ないよね。「気は心」でも、そういうものがないとやり切れないかもなあ、と。
七つ森書館から、今回の展示と同内容の写真集が出たんですが、まだAmazonにも版元サイトにも出てないので。
「原発に「ふるさと」を奪われて」長谷川さんの著著。
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