大好きだった、本当に大好きだった、ガベさんが食道がんで17日に亡くなったそうです。会社でWikipediaを使おうとして気がつきました。徹ちゃん(古谷徹氏)のサイトによると、19日がお通夜だったとか。58歳。あの細い体が病気でさらに痩せていたなんて、切なすぎます。
いろんなことが思い起こされます。やっぱりガベさんは私にとっては「曽我部和恭」じゃなくて「曽我部和行」だなあと、今さらそんなことをいってどーするんだ、ということもあらためて思ったりもします。中学、高校と、ガベさんは私の「アイドル」でした。あの時代を「青春」と呼ぶならば、彼はいつもそばにいた、と思います。
初めてガベさんの声を意識したのは「さらば宇宙戦艦ヤマト」の山本くん(クレジットが出たのはテレビシリーズの「宇宙戦艦ヤマト2」から)。私は中学1年生だった。当時(1978年)、まさにアニメブームの始まりで、テレビではしょっちゅうアニメの再放送をしていたから(そのかわりホームビデオというものもなかった)、それほど多くは無かった過去のレギュラー番組もほとんど見ることができた。
スラップスティックの結成ライブは行けなかったが、半年に一度のコンサートとLPの発売とに合わせてこづかいを積み立て、日本青年館に通った。結成コンサートのライブ盤から「直線回帰」までLP12枚とガベさんのソロアルバム3枚は、予約特典のポスターやライブ会場で買ったサイン色紙と共に、今でも押し入れの天袋にひっそりとある。ガベさんのギター、本当に好きだった。ベンチャーズのコピーも、テケテケも。まんまGSパクリの彼の歌も(苦笑)。あの低い、ちょっとセクシーな歌声が大好きで大好きでたまらなかった。タワレコに行くたびに「復刻されない?」とチェックしていたのに、今回初めてメモリアルボックスが出ていたことに気がついた。なんて間抜けなんだ>ぢぶん。原則通販を使わないからこんな間抜けなことになるんだな(配達時間までに家に帰る、ということがほとんどないため)。
テアトルエコーに通ったのも、劇団青杜も、ガベさんがきっかけ。「甚助無用鰯煮鍋」での「ふっ、決まったぜ」のポーズ、かっこいいのにおかしくて。もう舞台や演出もやっていないのか気にはなっていたのだけれど、青二に移籍していたことも知らなかった。エコーで培ったギャグのセンスのよさが持ち味で、J9でもタイムボカンシリーズでも(もちろんスラップでも)、「ニヒルキャラ」のはずのロボットものでも、登志夫ちゃん(古川登志夫氏)の言う通り「ネアカのペシミスト」だった。最後に声を聞いたのは、「ターンA」(劇場版は2002年公開だけど、私が見たのは04年頃。テレビの再編集なので、収録は多分もっと前)になるだろうか。あ、ガベさんまだやってるんだ、と思ってとても嬉しかったのに。
初恋だったなんて言わないけれど、ガベさんは今でも「特別」。今年の夏、熊谷であの「かかりすぎたロングパーマ」のシヴァコフを見た時に、思い出した何人かのひとりはガベさんだった。今でも思う。「GS伝説」の頃にかけたガベさんのパーマは最高に似合わなかったよ! いやほんと、あれほど似合わないとは思わなかった。「家が火事で」とか言われてたよなぁ(野島お父さんは元気でいるだろうか。自然食だから大丈夫かな)。あの頃深夜放送でやっていたオーストラリア産の連続ドラマ(確か「レスキュー5」だっけ?)で、彼が声をあてていたヘリのパイロットもあんな頭だった(ガベさんに妙に似ていた俳優だったのに、こちらは似合ってたんだよなー)。こんな言い方は何だけど、そもそも今、カズさんに惚れているのは絶対に、ガベさんの流れだ。私の「好みの系譜」の源流にいる人、なんだな、きっと。
想い出は波のように押し寄せて、尽きることがない。だから「さよなら」なんて言わない。
もう今年は誰の訃報も聞かなくてすむことを。これ以上哀しいことがありませんように。
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