2019/10/23

シベリア抑留絵画展

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 もはや行った日付けがわからなくなっちゃいましたが、9月末に行ってきました。「シベリア抑留絵画展 冬と夏を描く」。場所は九段の生涯学習館でしたが、主催は新宿にある平和祈念展示資料館。都営地下鉄のドア上などに広告が出ている、新宿住友ビルのあそこです。基本的には満州からの引揚者とシベリア抑留帰還者を柱にした「戦後の労苦」を扱うところです。以前、満蒙開拓青年団のPR映画の特別上映に行ったことがありますが、総務省委託事業であることとその主旨からわかるように、まあそうした展示ですが、その枠内でそれなりに頑張ってる担当者がいるな、という気もしました。

 なんでわざわざそうしたところのものを観に行ったかといえば、展示の中に四國五郎の絵があったからです。あそこが四國五郎?と思ったけど、彼もシベリア帰還者なので、「まあそりゃそうだ」というわけ。ちなみにチラシは東京大空襲・戦災資料センターでもらいました。昭和館やしょうけい館も含め、相互にチラシを置いてるみたいですね。まあこれも、そりゃそうだ、なんですけど。
 で、今回展示されていたのは、抑留体験後に画家となった人、画家とはならずに個人で描いていた人、挿絵などの仕事を既にしていて召集され復員した人など、10人の帰還者が描いたものです。
 四國五郎の絵は、油ではなく、ペン画に彩色したもので、個人的にはこちらのタッチの方が好みでした(元々油よりペン画が好きだし)。田中武一郎のペン画もさすがに「上手いなー、見られてよかったなー」というものでしたし、職業画家でない人の絵に切実さがあったりして、拙劣を越えた「描きたい」という思いが描かせてるんだな、と感じます。
 場内が空いていたのもあって、置いてあった「佐藤清画文集」もじっくり読みました。展示されていた絵は油でしたが、画文集の方はペン画(白黒)で、シベリアでの「暮らし」を綴ったもの。中でも、出征時に持たされる檄の入った日の丸を、ロシア人との物々交換に使い、ロシア人女性達が日の丸をそのままスカーフとして使っている話(これは会場に絵もありました)などが印象に残りました。会場で売ってたら欲しかったんだけどな。
 ただひたすら苦しい毎日であっても、ふとしたときに小さな嬉しさを感じたり、「くすり」としたりすることはある。それは人間だから。でも、そうしたことがあったからといって、ひたすら苦しい毎日であることにかわりはない。「戦争画」とはなにか、とは幾度も論じられてきましたが、これらもまた「戦争画」であるのでしょう。シベリアの夏の嬉しさ、海の見える草原に咲く桔梗の絵も、また。最近聞くようになった「戦争中だって楽しみがあった」的な論にどう向き合うのか。そんなことも考えたりしたのでした。

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2018/11/09

露坐の大仏おわします

 もう一月前ですが、10月の7日に鎌倉に行ってきました。この日は本当に暑くて、10月だというのに汗かきかき。極楽寺→長谷寺→大仏のコースでしたが、今回は大仏だけ( ̄▽ ̄)。

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 有名な(?)超わかりやすい案内板。♪ごーくらくじざかこーえゆーけーばー♪
 「極楽寺坂越え行けば/長谷観音の堂近く/露坐の大仏おわします」という文部省唱歌「鎌倉」の2番だけで一日終わっちまったわけですが、覚えておくと便利な歌です(こちら

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 スタンダードに正面から。ヒジャブを被った女性達のグループが記念写真を撮ってました。

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 スタートが遅めだったので、すでに4時は回ってましたが、まだそこそこ明るい。

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 とはいえ、このシーズンは中に入れるのは16:10までとかで間に合いませんでした……orz。もう10分早ければなあ。実はこの中に入ったことがないのです。背中の扉がまだ開いてます。

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「露坐の大仏」ってのはつまり屋外に座ってらっさるということなんだけど、大仏殿は室町時代に地震と津波で倒壊したらしい。海からすぐだもんなあ。

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 売店にいくつかあった絵はがきのうち、平山郁夫の世界遺産セットの中で原爆ドームの絵の入った物を買いました。売店の人にちょっと怪訝な顔をされたと思ったら、大仏が入ってないセットだったのさ( ̄▽ ̄)(←帰ってから気づいた)。

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 この角度だとちょっと立ってるように見える?

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 いやー、それにしても相変わらず人が多かったなあ。ちなみにこちらは浄土宗の高徳院、大仏は阿弥陀様ですのん。

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2017/10/22

王希奇「一九四六」

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 東京美術倶楽部で行われていた王希奇展「一九四六」に行ってきました。主催は城西大学。記念シンポジウムの記事をTWで見たので気になっていたのですが、一週間しかやってないとて、期日ギリギリの10月4日に駆け込みでなんとか見られました。

 東京美術倶楽部は初めて行きましたが、画商+貸し画廊てとこですね。大きな展示室を、中央を開けた形で二つに壁で仕切ってあって、前のスペースに海、後のスペースに葫蘆島の絵がまとめられていました。

 葫蘆島は、満州からの引き揚げの拠点だった場所。この島から150万人が日本への船に乗った。王氏は戦後の生まれだけども、葫蘆島の近くで育ち、小さいころに話に聞いていた引き揚げについて取材する中で、骨壺を持った子どもの写真に衝撃を受けたそうです。ロビーで、制作過程を映したビデオが上映されてましたが、残された当時の写真の人物ひとりひとりをモデルにして描いていました。その骨壺の少年は絵の中程、写真とは顔の向きを変え、少し振り返り気味にきりりとした表情をしています。群像の中の中心のひとりと言ってもよい位置です。ほかにも、子どもを抱えた人、荷物を背負った人、おそらくは看護婦達のグループ、それぞれに絵の下手(左というべきか)から上手奧の船のタラップへと、疲れ切った顔つきと重い足取りで進んでいきます。等身大よりはかなり小さいけれど、全長20m、パネル10枚のその大きさはかなりのもので、随伴するように絵の中の行列に沿って歩くうちに自分が吸い込まれそうな気持ちにもなります。見慣れた「原爆の図」シリーズも大きいですが、多分、それよりも大きな「水俣の図」くらいあるんじゃないかな。そういえば、満州というのは丸木夫妻の描かなかったものだな、と思ったり。

 向かい合わせで手前に置かれた海の絵。灰色の、いかにも北方の海といった暗い海の絵は大きいものが2枚と小さめのものがいくつか。「一九四六」を見てから振り返ると、乗り込んだ引き揚げ船から見る海のようです。やっと帰れる、そうした安堵感がありながらも海はあくまでも暗く灰色で、そこに希望はないように思えます。

 「一九四六」と同じ側には満州の建物と引き揚げ船をモチーフにした絵。茶と青を基調としたものと、薄れ行く記憶のように粗い靄のようになっていくもの。どれも1枚ずつが胸に迫るのですが、それがまとめられてひとつの足跡になっていくような、いい展示でした。

 自分は平日の午後遅めに行ったのですが、何組かのご年配の方々がいらしていて、そのうちの一人の老婦人は葫蘆島から引き揚げてきた体験者のようでした。持ってらした写真(お姉様のようでした)といっしょに、絵の前で写真を撮ってもらっていました。絵の前で引き揚げの経験を語る人は、期間中に何人もいらしたようです。初期の「原爆の図」がそうであったように、絵が見る者の記憶を引き出しているのです。

 魯迅美術館に記事(当然中国語)と写真がありました。こちら。展示されていたのはこれで全部かも。しかし、あの大きさは是非体験して欲しかったので、期間が一週間と短かったのが残念だなあ(画廊だからそんなものではあるけど)。これだけ大作だとなかなか持って来れないだろうしなあ。個人的には丸木の岡村学芸員の感想を聞きたかったよ……。

シンポジウムの記事 こちら

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2016/01/06

浮世絵忠臣蔵

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 つことで、ツレを見送ってから自分の新幹線までの空き時間にひろしま美術館の「浮世絵忠臣蔵と新春を彩る日本画」展(こちら)に行ってきました。ちょっと駆け足だったけど。

 メインは歌川国芳の《誠忠義士伝》。四十七士+勘平+内匠頭+高師直+大尾の51枚構成のうち、大尾を除く50枚の一気展示(大尾だけ所有してないそうな)。上のリンク先に実物がいくつか出ているけど(師直もあるよん)、一人一人のポーズに工夫が凝らしてあって、今更ながらに「国芳すげー(・_・)!」ってなりました。後ろの文章までは読み切れなかったけど、各人の簡単な説明やエピソードは解説文に。勘平はちゃんと(死人なので)青い肌をして討ち入っているというな( ̄▽ ̄)。力弥は立ち姿と座っているのと2バージョンあるのだそうですが、ここで所蔵しているのは立っている方。座っているのは図録(立ち読み)に参考図版として載っていました。広島は浅野本家とあって、赤穂事件関係の資料がいろいろと残されているそうで、事件勃発当初の慌ただしい中で記された「話は聞いた」的な書状がいくつか展示されてました。そうか、浅野本家なんだよな……。
 多色刷りの技法なども解説があって、成る程なあ、と。絵師が下絵を描いて彫り師が彫る、となると、どれくらい絵師の筆づかいが再現されてるんだろうと思うけど、そこは職人技ってヤツなのかしらん。

 「新春を彩る日本画」の方は、展示室を使った割にはあまりどうという感じでもなかったかも。数枚あった、村上華岳の水墨画がよかったなー。最近、日本画でも狩野派的なキラキラしたヤツにあんまり興味がなくなっちゃって(←年齢と共に枯れてきたらしい)。こちらも、日本画と洋画の顔料の違いなどの解説が面白かったです。確かにお正月らしい企画だわな……。
 
 ひろしま美術館は割と印象派とかユトリロとかの展示が多くて、日頃あまり行かないというか実は初めて行きました。
 ここは公立ではなくて、広島銀行が戦後「“愛とやすらぎのために”をテーマに」「原爆犠牲者の方々への鎮魂の祈りと平和への願い」を込めて設立したものだそう(こちら)。今回は本館の常設展(フランス絵画が中心)は寄れなかったけど、またゆっくり来れるといいな、と。


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2014/11/24

トーベ・ヤンソン展

 てわけで、この3連休ハナは出る、咳は出るとにぎやかたらしく、整骨→歯医者→ガス器具の定期保守→美容院→圧殺の海→トーベ・ヤンソン展と地味にタイトでありました。寝とけよ、迷惑野郎。

 ヤンソン展は、横浜そごう美術館。意外に広く、かなりボリュームのある展示でした。昔(80〜90年代)はあちこちの百貨店にこの規模の美術館があって、いろいろ特色のある展覧会をやってたよなあ、西武美術館と伊勢丹美術館には特にお世話になった気がするなあと、別方向で回顧してみたり。いや、今でも覚えてますけど、自分の最初の「デート」って、西武美術館の古代エジプト展でしたのよ。

 さておき。

 幼児期に描いた小さな絵から晩年のものまで、文字通り生涯に渡る作品がずらり。「画家」であったことは知っていても、油絵(の展示)が多かったのはちょっと意外だったな。風景や静物もたくさんあったけど、自画像や、弟や家族や恋人を描いた絵の方が断然いい。自画像見るだけでも、独立独歩というか、言い出したら聞かなそうなイメージ( ̄▽ ̄)。最後の自画像の評価が高かったけど、同時期に描いたパートナーの絵(タイトルは「グラフィック・デザイナー」だったと思う)がダントツによかった。なんだろ、絵の勢いというかきらめきというか。きらめきよりも閃きかな。

 ムーミンを含め、挿絵や漫画も半分くらいあったのかな。人がいちばん溜まってたのはムーミンのコミックのところで、吹き出しの中が英語だったから読んでた人が多かったんじゃないかな。「火星人」の巻があったのは嬉しかったなあ。小さい頃、このムーミンの漫画(上製で、多分3話くらいで1冊になってた)が大好きで大好きで、ムーミンと言えばアニメよりもこの漫画だったくらい。その中でも覚えてるのは今回出ていた火星人の話と、あとムーミン谷が熱帯になっちゃう話(「ジャングルムーミン」とかそんな感じのタイトル)。あとは彗星の話を簡略化したようなのがあったかなあ……。新しく出版されてるから見ればいいんだけど、あんまりそういう気にならないんだよね。

 ホビットの挿絵もやっていたのは知らなかったな。自分はホビットの途中で挫折して、指輪やゲドに進めなかったんだけど、トーベの絵だったら読み切れたかなあ……(自信はない)。アリスはどこかが出せばいいのにね。4分ほどの、夏の島の家でのプライベートフィルムみたいなのがちょっと面白かったな。

 お目当ての「ガルム」もいくつかありました。図録が3000円もしたので買わなかったんだけど、グッズは全部ムーミンがらみなんだよね。「ガルム」も絵はがきにでもしてくれればいいんだけど、版権の問題とかあるのかしらん……。

 検索してみましたら、こんな本がありまして。
 たけえ! たけぇよ!
 
 グッズコーナーはさすがの充実振り( ̄▽ ̄)。4階だったかの、イベントコーナーにも若干ありますが、やはりオリジナルグッズのイラストのセレクトが面白い。初期ムーミン(というかスノークなのか)が結構あったかも。ポストカードを2枚と、すごい気に入ったピンバッジをひとつとチャームをひとつお買い上げ。なかなか禁欲でしょ。
 

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2014/06/22

「われわれは〈リアル〉である」展

 つことで、吉祥寺の武蔵野市立美術館にて「われわれは〈リアル〉である 1920s -1950s プロレタリア美術運動からルポルタージュ絵画運動まで:記録された民衆と労働」(長っ!)を見に行ってきました。タイトルは長いけど、100円です。この企画展示に常設展2室がついて100円です。武蔵野市、太っ腹だよなあ。

 こちらに詳しい概要がありますが、大正→戦中→戦後と4室に分け(戦後が2室)、民衆の「生活のリアル」をテーマに、印刷物(雑誌など)と絵画を中心に展示してあります。100円だからと馬鹿にしてはイケナイ。雑誌資料の、広げてある漫画を読んでいくだけでも、全部読んだら結構な時間がかかるくらいあります(途中で挫折)。プロレタリア絵画展の絵はがきセットとか、レアものも多数。よくこれだけ集めたな−。

 商業施設の上(7階)にあるだけに、展示室は大きな油彩を見るにはちょっと手狭ですが(後ろに下がって見る余裕はあまりない)、こちらもいろいろありました。
 ぢぶんは、中村宏が出てるっていうんで見に行ったんですが、中でもジラード事件を題材にした「射殺」が出てたのは嬉しかったなあ。池田龍雄も何枚か出てたけど、「空中楼閣」はやっぱりいいな。年代によっていろんなタッチの作品を描いてきた人だけど、ちょうど好きな辺り(50年代)のが出てた。思いも寄らずに浜田知明の「初年兵哀歌」シリーズがあったのも嬉しかった! 戦争画もメジャーな作品ではないけど、大きいのが2枚ありました。

 「生活のリアル」、つまり「労働」の絵画を年代を追って見ていくのですが、それはすなわち、プロレタリア運動として始まった同じ主題が軍事翼賛つまり「報国」と「増産」へ、そして敗戦を経て再び抵抗、そして「抵抗の記録」へと変化していくさまを見ることになるわけで、結局主題そのものを支える「意志の力」、そして批評性が作品にどれだけ表れるか、どれだけそれらを読み解けるか、ということでもあるんだなあと、あらためて思います。その意味でも、すごく意欲的な展示でした。

 運動圏における「文化」あるいは「文化運動」って、いろいろあるんだけれども(特に文芸作品は玉石混淆だよねえ)、こうして機関誌であれ作品であれ、残ることで運動もまた記録/記憶されていくんだなあともつくづく思ったのでありますよ。

 これで100円ですよ、しつこいけど。図録はオールカラーで650円。論文などは出てないけど、必要な解説は載ってます。

 併設の常設展は版画家が2人で、こちらも自分好み(←版画好き)。29日までなんであとちょっとだけど、夜は7時半まで開いているので、お時間のある人はぜひ〜♪ 吉祥寺のサンロード側の口、コピス吉祥寺の7階です。

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2014/05/25

ジャック・カロ

 話の途中ですが、今日はコイツ。

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 西洋美術館のジャック・カロ展(こちら)。先だって、法隆寺展の時に看板を見まして、エッチングとかの類、好きなもんですから。

 ええと。日曜の午後(2時過ぎくらいかな)にしてはかなり空いていましたが、そこは西洋美術館なんで、人の頭越しに見るくらいですか。もう少し辛抱強い人だったら、ちゃんと順番に最前列で見るのもそれほど大変ではないくらいの混み具合。
 ですが何しろモノが小さい。小さい上に緻密(銅版画にありがちな)。なので「人の頭越しに見る」にはあまり向いてないかも。そして、入り口でルーペ(というか虫眼鏡)を貸し出していて(箱に入っていて自由に取って、最後に回収される)、これで見る人がいると、その後ろから見るのにはたいそううっとおしいです。

 絵とその技術は素晴らしいです。看板になっている「二人のザンニ」は、喜劇の場面を描いたもので、えらい極端な遠近法で手前の役者二人がでかくなってますが、たとえばサントリーでやってた「のぞいてびっくり江戸絵画」(←これも見に行ったけど今ひとつ面白くなかったんだな……)に出てくる、日本画(というか浮世絵というか)の遠近法と参照すると面白いかなー、と。

 ただ、時代が200年かそこら違うので仕方ないですが、たとえばゴヤのような批評性とかはない気がします。流行作家的、というかな。まあキャプションに引きずられた見方かもしませんが。特に誰と言うこともなく本の挿図としてなんとなく見たことがあるような。実際、長崎の23聖人殉教の図(26人のうち宗派の違う3人が抜いてある)なんかは「あ、これカロなのかあ」だったし。

 面白いと言えば、パレードの山車から車輪を抜いちゃったりしてるあたりですか。イルカの山車なんかは背景も水にしちゃってるので、もはやパレードなのかなんなのかもわからないような。でもそういう「奇抜さ」は、むしろパレードの主催である王侯貴族なんかからは、好ましいものだったろうなあと思うわけで。

 何だったか忘れちゃったけど、市かなにかの大きな絵のど真ん中で、ちっちゃくだけど、犬が交尾してて笑っちゃったな。犬と馬はもうどこにでも出てくる。牛とかろばとか、動物たちがいいですよー。牛のケツの質感ですとかね。いや、絵はもう本当にすごい。

 小さいながらも物量はあるので、結構お腹いっぱいなのに、別の意味でちょっと物足りない感もあったり。ただ、併設展込みで600円なのはお得感があるかも。

 併設の「非日常からの呼び声 平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品」は、多ジャンルの中からのピックアップなので、展示としてはごちゃごちゃした感じ。こちらにもゴヤやデューラーなどの版画はあるので、興味のあるところだけつまみ食い、という感じで。ロダンの小さな彫刻が面白かったな。
 しかし、「聖アントニウスの誘惑」は、両方に展示されていたけども(みんな好きだな−)、「誘惑」というよりは「脅迫」されてる感じがするよ。

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2014/05/17

法隆寺展

 さてと。今日は整骨院の帰りにこちら。

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 芸大美術館の「法隆寺 祈りとかたち」展。3月の長浜の仏が1室展示だったのに比べると、3室(実質4室)全部を使った大型展(こちら)です。

 結論から言うと、そんなに面白くはなかったなあ……。単純に自分が聖徳太子にそんなに関心がない(というか好きでない)ちうことを確認したくらいで。それと公式サイトの展示構成と順路が違う気がするよ……。第1章が3階の大きな展示室になってるので、順路だと最後に見るようになってる。なんか変な構成だと思った。

 仏像も来てるけれど、仏画の方がメインで、それもそんなに興味ないというか。おかしなもので、一般的に美術だと彫刻よりも絵画(さらには版画)の方が好きなんだけど、仏教美術だと圧倒的に仏像の方がおもしろいんだよなあ。多分、古い仏画は現品の状態が悪くて現品見てもよく見えない、ということも大きいんだろうけど。仏像って、どんだけ破損しててもそれなりに面白かったりするんだけども。かといって、仏画が信仰の対象でなかったかというとそうではなくて、うちの本家の仏壇(一間ある)にもちゃんと仏画(もちろんちっちゃい、多分資料的な価値はないもの)がかかってたわけで。

 ポスターになってる国宝の2体と、高村光雲の「定胤和上像」がよかったです〜。荘厳の上のところについている飾り金具や天人もすごいんだけど、天蓋の角っこについているという鳳凰がすごいヽ(´▽`)/。こうした「細工物」は実際にある場所では絶対にきちんと見られないので、下ろして展示してあるのは面白いな。ちゃんと「ここについてるものです」っていう説明が写真で見られるのもいい。

 あとはですね、「教科書でよく見るアレがコレか」的な。そういうことが楽しい層も一定いるのでよいですが(自分は割とどうでもいいタイプ)。

 聖徳太子の像/画って、明治以降のものってどうしても皇室プロパガンダの匂いがして好かないんですよねえ。山岸凉子はそのイメージを抜けた、という意味で大きいような気はするけども。しかし、連載中にリアルタイムで読んでいた時は「どーなるんだ、どーなるんだ」でドキドキしながら読んでたけど、好きかといわれると、やっぱりそうでもないような気がするという。

 焼損した金堂壁画の模写もありますが(あの観音菩薩見るとやっぱり「切手!」って思う世代)、壁画についてはお向かいの陳列館の方で特集されてますので、忘れずにどうぞ。

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 2階は金堂内部での復元になっています。つまり、金堂に配置されていたとおりに、実物大(多分)の模写が壁に貼られている。これはわかりやすい。第1図の釈迦説法図がいいなあ。1階はデジタル(8K)の映像展示。2つあって、ひとつは焼損した壁画→焼損前に撮られた白黒写真→焼損前の状態に復元した図、が重ね合わせられて「なるほど〜」なもの。あと「この図とこの図は反転図ですよ−」とか。もうひとつは壁画の中の吊り物だの眷属だのが動くアニメーション。全部見ても10分足らずです。こちらは本展を見る/見ないにかかわらず無料。


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2014/04/19

観音の里の祈りと暮らし展

 ええと、これもケガをする前。3月30日の日曜日(←ビミョーに節をつけて歌ってしまうのだが)に、芸大美術館の「観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」を見てきましたのでそのことをちらっと。公式サイトはこちら

 長浜の観音像(観音群とでもいうべきなのか?)は、それこそ展覧会図録などでは(仕事中に)目にすることがあったりして、ちょっと気になってはいたんですが、実際に見るのは初めて。

 芸大美術館は、昨年の興福寺仏頭展(こちら)のような大がかりな展覧会もありますが、今回は展示室1室、仏像18体+資料映像というこじんまりとしたものでした。しかし、仏頭展のときにも「美術品としての仏像」よりも「寺という信仰空間の中での仏像」をフィーチャーしていることは感じられたのですが、それがさらに「信仰対象としての仏像」という展示方針がより強く感じられるものになり、すごく充実した、いい空間になっていました。「芸大」だから美術品よりになってもよさそうなものだけど、その辺りをわきまえた、いい学芸員さんがいるんだろうな。

 実際、長浜の観音像に関していえば、それは信仰抜きには語れないわけで。というのは、仏像のいくつかは、寺ではなくて集落の管理になってるんですよ。寺に安置してあっても、「お世話」は集落でする、とか。集落でのビデオを見ながら、全然違うのはわかってるんだけど、五島列島の隠れキリシタンのことを思い出したりしていました。生活の中への根付き方というか。
 何より、信長の焼き討ちやら合戦やらから守るために、村人が田んぼに埋めたり川に沈めたりして守り抜いた観音像がいくつもある。そういう人々の「想い」があって、今ここに像がある。そのこと抜きに見たってしょうがない、と思うんですよ。

 本当は、ほかの像だってそうなんですけども。興福寺の、阿修羅含めた像だって、脱乾漆像がなぜよく残ってるかといえば、中が空洞で軽いから、出火したときに抱えて持ち出せたって話を聞いたことがありますし。古い像はそうして残されていき、運良くそんなことに合わなかった像もやはり、人々のいろんな想いを託されながらそこにあり続けてきたわけで。

 それはともかく。

 18体といえば少ないようですが、どれも見応えがあり、部屋の中を何度も何度も行ったり来たりしてました(笑)。「今日はこの1体」みたいに決められない、というか。
 その中でも強いてあげれば、常楽寺の聖観音、徳宝寺の聖観音、宝厳寺の聖観音(徳宝寺は「集福寺」って書いてあるものもあるんだけど、「集福寺」って地名で寺の名前じゃないと思うんだよな……)。この3体は特にぢぶん好みといいますか、本当に見飽きない。お持ち帰りしたいくらい(笑)。

 あと安念寺の「いも観音」。これは信長の比叡山焼き討ちのときにやはり焼かれた寺で、村人が像を田んぼに埋めて守ったというもの。しかし、それから250年間も埋まりっぱなしだったために、腐食してもうボロボロに。そのボロボロの木肌が、ぢぶんには広島・長崎での被爆者にちょっと重なって見えたりしまして(ちょうどそういう本を集中して読んでいた時期でもあったので)、何かいろいろと感じるところがあったり。

 聖観音ばかりでなく、十一面観音もそれぞれによかったです。頭上面もそれぞれで、それも見飽きない。

 会期が短めだったのがちょっと残念だったな。4月6日にあった滝田栄の講演も聴きに行く予定だったんだけど、その前日に捻挫したのでありましたよ。縁がなかった。

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2013/11/09

天台声明を見る。

 一度生で聞きたいと思っていた声明の舞台というか公演というか、先だっての「日舞×オケ」の余勢を駆ってチケットを取りまして、ようよう行って参りました。国立劇場の小劇場、13時と16時の二回公演だったんですが、チケ取り段階でほとんど席がなく、16時の回、後方上手端から2番目。まあ動き回るってものでもないから、端が見えない分には問題ないですが、字幕は下手側のを見るしかないという。

天台宗総本山 比叡山延暦寺の声明 慈覚大師御影供
 お話:天台声明と慈覚大師  齊藤圓眞(天台宗参務)

慈覚大師御影供(じかくだいしみえく) 
<出演>天台宗総本山比叡山延暦寺法儀音律研究部/天台雅楽会/一般社団法人 宗徧流四方庵

 一応、法会の形式で。「御影供」てのは、供養する祖師の肖像(御影)を掲げてやる法要ですな。最初に10分(とタイムテーブルに書いてあった)ほど、講話がありまして。主に声明の歴史とか効用とかのお話。「講話ばっかりだと眠くなるので声明でアクセントを」とかいった辺りで微妙に笑いが(笑)。
 効用のひとつに「要点を歌にするので覚えやすい」と上げられてましたが、それは無理(笑)。歌う方はそうだろうけど聞く方は無理( ̄▽ ̄)。祭文や徳行讃くらいの速度でやってくれればいいけど、普通の声明のテンポだと、今うなってる「羅」の前が「だ」だったか「さ」だったかも覚え切らんという。

 今回はプログラム(400円)に全文がルビ付きで載っておりまして、客電もプログラムが読める程度に調光してあるので、読みつつ聞くこともできるし、両脇の電光板の字幕もルビ付きなので、それを見つつでもよし。で、途中で気づいたんですけど、ルビの通りに発音してるんですね。つまり「さう」は「そう」ではなくて「さう」のままだし、「かう」も「こう」じゃなくて「かう」なんだな。以前、「てふてふ」は実際に「てふてふ」と発音されたので「てふてふ」と書くのだ、という説を読んだことがあるんですが、そんなようなものなのか。

 真ん中に慈覚大師の御影(投影?)とお供物を置く段、下手側の段に雅楽会(笙+ひちりき+横笛)、上手側の段に献茶のためのしつらえ、手前が上下両側に3×5人ずつの僧侶、中央に導師(と世話係)。導師に向かって前列というべきなのかな、中寄りの5人×2のうち両端の2人×2がお供物を運ぶ係(運ぶ時はマスクをする)で、中の3人×2がいわゆるソリスト。2列目の舞台側の上手が銅鑼っぽい物をたたく人で、下手がシンバルっぽいのを鳴らす人。こんな感じ。

○ 祭文    供物係      供物係  ○   ○○
○  ○    教化       徳行下  ○   ○○  
○  ○    徳行上      六種   ○   ○○
○  ○    僧讃   導師  伽陀   ○   ○○
○ シンバル的 供物係      供物係  銅鑼的 ○○

 上が舞台奥。上手側は多分こんな順だったような。うろ覚えだし、そもそも口元が見えないからさ……。口元で誰が唄ってるかを見るって、大阪市教委のようなアタクシ。

 シンバル的な物(銅〔フツ〕)は、シンバルのようにぱあん!と打ち鳴らすのではなく、一度合わせた後、その2枚のお皿の振動する縁を巧妙に合わせることでさらに音を出すような感じ。銅鑼っぽい方も(銅〔ニョウ〕)、音は「ぺん!」みたいなこもったものですが、薄い上に衣で押さえていたような(←よく見えなかった)。祭文は、日時を入れるところを今日の日付と国立劇場に直して入れてました。お供物は餅(団子?)から始まって、野菜(多分)、リンゴ、餅(団子?)のあとにバナナが来てびっくりした(・_・)!。そういえば本家の仏壇(日連系。幅が1間あった)も、よくリンゴとバナナがあがってたな。「水菓子」のくくりかな。で、献茶+餅だか落雁だかみたいなもの、最後によくわかんない箱(個包装)が積んであるもの。お茶か何か? で、途中でもう一回献茶。袖から在家の人(多分。法衣でない)が運んできて、供物係の人がリレー。

 まあそれはともかくとして。教化を唄った人(多分テノールくらい)が素晴らしくてですね、うっかり涙腺ゆるんだくらい。見た目おっさんの坊さんなのになあ。あと六種と徳行の上段の人かな。低い声ではないんですが、うっとりしちゃった。
 人の声って不思議だなあと、つくづく思いますよ。曖昧な音程を正確に出す、とでもいうのか。声の中の「揺らぎ」もさることながら、倍音が出てるんじゃないかと思ったり。そんで、耳がつくづく近代西洋音階に慣れてるんだなあ、とも。微妙な音程を耳でコピーするのが基本だろうし。グレゴリオなどの古い聖歌の「揺らぎ」にも共通するものがあるとは思いますが、「似て非」の「非」にアクセントがある感じ。

 母方の菩提寺は真宗なんですが、そこの若さん(といっても還暦過ぎだ)の読経の、文末の引き方なんかは大体同じじゃないかな。まあ真宗は天台系の声明なんだそうですが(そして若さんは国音大の声楽科卒だそうな)。

 儀式とか決めごとは基本的に好きなので、いろいろ面白く見聞しました。まあそう何度も見なくてもいいような気がするけども、今回は法会だったし。般若心経は客席から唱和してる人が結構いたなあ。
 プログラムによると、天台声明は「女性的で優雅」、真言声明は「男性的でダイナミック」だそうなので、真言声明も一度聞いてみたいところ。黛敏郎の「涅槃」CDに入ってる薬師寺の声明って、最後まで聞けた例しがないんだけど、やっぱこういうのは生でないとなあ、と思いましたです。

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