2015/03/10

じょうちゃん、モモちゃん

 昨日、松谷みよ子さんの訃報がありまして。
 ぢぶんは面識はないですが、最初に就職した版元は絵本を出していたので、編集長(当時)は多少付き合いがあったようでした。その時は書き下ろしでもらったのではなくて、既存の童話を絵本にしたんだと思ったけどな……。

 まあ、ぢぶんはご多分にもれず、モモちゃんを愛読したくちですが、リアルタイム(?)で読んだのは「モモちゃんとプー」まで。アカネちゃんが出る頃にはもうモモちゃんは「卒業」しちゃってたんですね。民話などはその後もずいぶん読みましたけども。

 で、編集部ではお仕事がら「びわの実」をとっていて、仕事の合間に毎号読んでたんですけども、それがちょうど「モモちゃん」シリーズの最後の方がぽつぽつと掲載されていた頃。連載ではなくて、「時々載ってる」みたいな感じじゃなかったかと思います。もう20年以上前だからなあ。
 ある日、編集長が「松谷さん、気でもおかしくなったんじゃないか」と言ったのは,最後から二番目、モモちゃんたちがパパの埋葬をするお話。それはもう確かにその号だけ読んでもなにがなんだか、といった感じで、いくらなんでもこれは……、と思いましたけども。

 そんなこんなで引っかかってはいたのですが、結局通しで全巻を読んだのはそれから20年以上あとの去年だか一昨年だったか、という( ̄▽ ̄)。それ以前に自伝の方を読んでいたのもありまして、こりゃまったく壮絶な話すぎるわ、と。お子さんの「どうしてママとパパがさよならしたの」という素朴な問いかけから始まった(らしい)このシリーズの後半戦は、象徴的な(隠喩的な)話が多くて、ちょっと一筋縄ではいかないといいますか。まあ一筋縄でもいけなくはないんですけど、ある程度松谷さんちの事情(太郎座の件とか)を知ってから読むとこりゃすごい話に踏み込んだもんだな、と思うんですけどね

 「歩く木」のたとえとか「死に神をピーナツにして喰っちゃう」とかのあたりはまあわかりいいといいますか。「パパのくつだけが帰ってくる」っていうのは、そりゃ「大人の自分」は「それはリアルすぎー」と思いますけども。狼の皮をかぶったパパとかね。それはそれは卓越した表現だとも思うけども、メルヘンかホラーかって顔をして、実は壮絶な話を書いてるわけで。「涙の海にクジラさんが来る」と「パパのくつが帰ってくる」のは全然別の次元の話なんですよ(編集長もむしろわかってるからそういう反応だったと思うんですが)。

 そんなわけで、こちらが自伝。
 これは面白いので、ぜひ。しかし太郎座って、日本のコミューンの悪いところがモロ出しになってる印象だよな……。白土三平ファンの方もぜひ……かどうかはよくわからない。

  モモちゃんシリーズのラスト2冊。いせひでこの挿絵がいいですよー。

  民話も大きな業績として忘れちゃいけない。特に「現代民話」の概念は、都市伝説とは違った切り口で、学ぶところも大きい。


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2014/04/20

手塚治虫のオキナワ

 「手塚治虫のオキナワ」本浜秀彦著

 著者は那覇出身の元琉球新報記者で、メディア表象論の人。手塚治虫が海洋博のアクアポリスの「展示プロデューサ」だったことを手がかりに、手塚治虫(の作品)とオキナワを……とまではよかったんだけど、結局尺が足りなくていろいろ盛った、みたいな印象。

 取り上げられているのは、カバーにも使われた「海の姉弟」をメインに、「イエローダスト」、「MW」「ブラックジャック」から「宝島」と「オペの順番」が「オキナワ枠」。少し広げた「南島」のイメージとして、「新宝島」、「ゴブリン公爵」、「太平洋Xポイント」、「鉄腕アトム」から「赤道をゆく」、ほかに直接の関わりはないけど、手塚作品を読み解くための参照作品的に「リボンの騎士」や「どんぐり行進曲」、特に「動物漫画」としての「ジャングル大帝」が検討される。

 んー。面白くなくはないけど、くらいの。結局のところ、「こういう傾向」みたいなものはわかるけど、特に感心するほどでもないというか。「冒険ダン吉」と「桃太郎」(神兵)については、そっちを見てれば言われなくても思うわけで(とはいえ、言わないわけにもいかないんだが。そしてなぜか小さい頃「冒険ダン吉」が好きだったわたくし( ̄▽ ̄))。「ジャングル大帝」の話も長すぎるような気がするしなあ。むしろ、海洋博の中での手塚治虫の位置づけがわかれば、その方が(例えば「岡本太郎と万博」と対比できるくらいの材料があれば)いろいろと面白かったろうにと思うけど、つまるところそれを考察するための材料がないんだろうなあ、と、思わずおもんぱかってしまうという。

 アクアポリスの流れで描かれた海底都市の絵が何枚かあがっているけど、これはむしろ「マリンエクスプレス」へ流れていくような気もするんだけど、あれはアニメだけで漫画にはなってないのかな。
 いや、自分も海洋博当時小学生だからさ(笑)。アクアポリスってすごい憧れだったわけですよ。行きたくてたまらなかったけど、さすがに大阪と沖縄では距離が全然違うという( ̄▽ ̄)。大阪は、山口に帰る途中によれるけど、沖縄はそういうわけにいかんからなあ。

 ついでながら。「海の姉弟」は海洋博に伴うリゾート開発をめぐる話だけれど、柴田昌弘がやはり75年に「黒い珊瑚礁」という、沖縄のリゾート開発をめぐる短編を書いてまして。これは(おぼろげな記憶だけど)それこそ土曜ワイド劇場的なサスペンスですが、ぢぶんはこの漫画で初めて「いったーあんまーまーかいがー」の歌を知ったのでありますよ。多分、マーガレットコミックス版の「紅い牙」のどれかに収録されてたんじゃないかな。

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2014/04/13

「はだしのゲン」創作の真実

 夏まで東バの公演はないし、足がよくなるまでは舞台や映画からも遠ざかることになるので(グスングスン)、このかんに読んだ本からせっせと書いていきますよ。といっても、もう随分前に読んだ本なんかは、書くべき事も忘れちゃってるんですが。

 「はだしのゲン」創作の真実 大村克巳著

 実は「「はだしのゲン」を読む」の方を買いに行ったら、それは店頭に1冊しかなくて、こっちの方が目に入ったもんで先に買ってみたという。最初に見た時は「真実」とかついてるし、中央公論だし、むしろ「バッシング本?」とうっかり思ったんだけど、よく考えたら(考えなくても)中公は「ゲン」の版元さんですよ。あははは、ダメダメだな、ぢぶん( ̄▽ ̄)。

 著者の大村氏は、ぢぶんと同い年(65年生まれ)のカメラマン。東日本大震災の被災地に11年の5月にニュース番組の取材に同行した後、8月に中沢啓治氏の取材に同行する中で、ジャンプの連載で読んだ「ゲン」と向き合います。そして中沢氏の訃報のあと、追悼本を創りたいと思い、この本が生まれます。

 内容は、ジャンプ連載時の初代担当編集者・山路則隆氏、妻のミサヨ氏、広島平和記念資料館の前館長・前田耕一郎氏の3人へのインタビューと、「ゲン」の第2部(東京編)の草稿、中沢氏が初めて原爆を描いた「黒い雨にうたれて」の再録。
 先行本とダブる話もあるけれど、やっぱりミサヨ氏の話が面白いかな。アシスタントをやるようになったいきさつとか、マンガ家としての中沢氏の仕事中の話とか、日頃の生活とか。で、ぢぶんは知らなかったんですが、中沢氏にも「オキナワ」というずばりなタイトルの沖縄ものがありまして、その取材の顛末的なものとか(まあちょっとしか触れられてないですが)。前田氏は、中沢氏が全作品の原画を資料館に寄贈したときの館長さん。ライブラリアンとしての話も面白いし、「被爆体験を語る」という中での位置づけ的な話もなるほどなあ、と。インタビューの相手として、この3人を選んだというその取り合わせというか、目配りの仕方が、大村氏のセンスのよさかも。

 ゲンの第2部の草稿は、枠線と台詞にちょこっと絵が入っている程度のもの。ゲンが上京して、東京大空襲で孤児になったサブからその体験を聞き、同情してる間に全財産入りの財布をかっぱらわれてしまうところまで(←相変わらずだよ、ゲン……( ̄▽ ̄))。

 「黒い雨にうたれて」は読みたかった1編。ゴルゴみたいな殺し屋が、実は被爆者で、家族の仇を討つためにアメリカ人専門の殺し屋になったけど、返り討ちにあって、その直前に知り合った目の見えない被爆二世の女の子に自分の角膜を残すという、雑にいうとそういう話で。今読むとなんというか、相当ムチャな話なんだけども、1968年の作品だからねぃ。
 とはいえ、殺し屋が最後に女の子とする約束、「またこの日本が戦争を起こさないように/そして原爆を二度と落とされないようによーく見張ってて欲しいのだ/約束してくれるかい……/もしも……もしも原爆を落とそうとした奴がいたら噛みついてくれるかい/そして今苦しんでるお父ちゃんや原爆を受けた人たちがこのまま見捨てられないよう見張ってくれるかい/約束だよ」という、その「目」。閉ざされた目が開く、そのことが本当はテーマなんだろうなあ、と。

 まあ「創作の真実」というタイトルのセンスはあまりよろしくないと思うけれども、中沢氏の人となりや制作過程、あるいは「ゲン」の原点を読むには手頃な1冊であるかと。

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2014/01/26

子どもたちが見た戦争

 読み終わった本。

 「昭和二十年夏、子供たちが見た戦争」 (角川文庫) 梯 久美子 (著)

 honya.clubの方が、情報が詳しい。
 角野栄子、児玉清、舘野泉、辻村寿三郎、梁石日、福原義春、山田洋次、中村メイコ、倉本聰、五木寛之へのインタビュー。

 ぢぶんは小さい頃から伝記の類が好きで、小学校を出た後はひところ時代小説やSFを読んだ時期もあったけど、やっぱり評伝やノンフィクションの方が面白いなあと思って今に至るという( ̄▽ ̄)。映画も今、いわゆる「娯楽大作」的なものにはほとんど興味がなくなって、ドキュメンタリーばっかり見るようになったしなあ。不遜な、というか、ある意味では不謹慎な風にいえば、やっぱり「他人の人生」って面白いんですよ。

 この本でインタビューを受けているのは1931〜1936の生まれの人々なので、ちょうどぢぶんの両親(父が1929年、母が1934年)の間くらいの年齢。この世代も、もう少し上の世代も、1年学年が違うだけで大違いだったりするし、住んでいた地域でも全然違う。都内で勤労奉仕に動員されていた父は戦中の話をほとんどしないけど、国民学校世代で、都会からの疎開児童を迎える側だった母なんかはようけしゃべるもんなあ。
 しかしながら、「戦争体験」を「親世代の記憶」として一定のリアリティをもって読んだり聞いたりするのも、ぢぶんらよりちょっと後くらいの世代までなのかな、とも思うわけで。それ自体は悪いことじゃないんだけど、その後の「リアリティ」をどう担保するかはまた結構面倒な問題だな、というのはもう長く言われていることで。

 個々の面白かったエピソードなどは、また。中村メイコの話が結構強烈だったなあ。父親の作家・中村正常氏って興味津々なんだけど(こちら)、出てる本が「ゆまにから復刻」とかで、読めるような気がまるでしない(笑)。

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2014/01/22

「はだしのゲン」がいた風景

 「「はだしのゲン」がいた風景 マンガ・戦争・記憶」吉村和真・福間義昭編著 梓出版社 2006.7 

 明日が図書館の返却期限なので軽く。

 honya.clubの方には論文の一覧があったので貼っておくと,

「はだしのゲン」は、いかに記憶されてきたのか?メディア史・マンガ研究・社会学・教育学を横断する、画期的な文化研究。
第1章 「原爆マンガ」のメディア史
第2章 マンガ史における『ゲン』のポジション
第3章 物語の欲望に抗して―ポピュラーカルチャーにおける「成長」を中心に
第4章 マンガを「言葉」で読む―計量的分析の試み
第5章 「はだしのゲン」の民俗誌―学校をめぐるマンガ体験の諸相
第6章 「境界」で出会った「他者」―学校にとっての『はだしのゲン』
第7章 読まれえない「体験」・越境できない「記憶」―韓国における『はだしのゲン』の受容をめぐって
第8章 『はだしのゲン』のインパクト―マンガの残酷描写をめぐる表現史的一考察
コラム『はだしのゲン』を読み解く視点―被害と加害のプロブレマティーク

 てな具合。69年〜78年生まれの若手(当時)研究者による「はだしのゲン」をめぐる共同研究。若手だけあって、中心となった吉村・福間両氏以外の文章がなんかこう、つたないというか初々しいというか論文慣れしてないというか、もう少し踏み込んで欲しいなーというのは研究という以外に読み物としてもそういう感想になってしまうけれども。

 論文タイトルだけからだと見えないところもあるけど、たとえば「少年ジャンプ」というメディアの中でのゲンの位置づけや、「少年マンガ」というくくりと「ゲン」、という切り口は、なかなか面白かったな。こうした題材はいわゆる「自分語り」への誘惑を断ち切るのは結構大変なんだけど(笑)、そこを理性(というか手法)で回避しつつ、「流布されたイメージとしての「ゲン」」と実作品との比較、イメージの形成過程、という考察も面白い。韓国の漫画状況なんかも面白かったな。だいぶイメージと違った。90年代くらいかなあ、韓国で「社会/共産主義文献が一気に解禁されて、順不同に入ってくるから歴史的な流れと無関係に読まれてる」という話を聞いたけど、日本漫画もそれに近い感じになってるんだ。言われてみれば、そりゃそうだね。

 ぢぶんはこの本の書き手たちよりも微妙に年上で、ちょうど学級文庫で「ゲン」と出会った最初の世代に属するけど、それだけに「ゲン」についてもマンガ→実写映画(封切りで見た)→アニメ(は見てないけど)という流れをごく自然に体験していて、「すでに評価の定まったアニメ映画を教室で見る」ことはあまり考えてなかったけれど、そうした「媒体」の変化による需要のされ方の変化という指摘も面白かった。

 ま、それはおいといて。
 3〜5章あたりは、これから面白くなって行くであろう萌芽の辺りで終わっちゃっててもったいないなーと。この後随分経っているので継続研究があるかもしれないけど、もっときちんと時間と紙幅をかけて仕上げればもっと読み応えがあるものにできるんだろうにな。
 示唆が多いのはやはり吉村による8章で、「夕凪の街」の評をめぐっての「ほとんど無意識的に『ゲン』と比較している、あるいは比較したことすら忘れていると言っていい、その反射的感覚」ちうくだりは重要だ。「夕凪」については、ぢぶんはあまり好意的に読まなかったので(というか、その「評」について好意的でない、というのも大きいのかな)、そこいらは何かまとめないとなー、と思うんだけども。

 昨夏の騒動を契機に「ゲン」ともう一度出会い直した人も多かろうと思うんだけど(ぢぶんもだ)、「ゲン」の魅力って、基本的にはどんな状況にも立ち向かおうとし、やられたら倍返しどころか30倍返しくらいしかねない、ゲンと仲間たちのバイタリティーであり、その群像劇の面白さだと思うのね。そう思うと、あれはやっぱりまずもって「少年漫画」だったんだなあ、と思うわけですよ。

 思えば、いい年頃に「他者としてのゲン」といい出会い方をしていたんだなあ(←自分語り)。
 だからこそ、学級文庫なり学校図書館なり(の開架図書)に置いて、子どもがこわごわでもなんでも、勝手に見られるようにしておいてほしいと思うけども。


 

 

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2013/08/20

「広島爆心地中島」(建物疎開)

 つづきです。

 さて、この「広島爆心地中島」ですが、自費で出版された「爆心地中島」と「慟哭の悲劇はなぜ起こったのか」の2冊をまとめたものになっています。後者の方は「建物疎開動員学徒の原爆被災を記録する会」によるもので、30ページほどのもの。爆心地近くでの死者に建物疎開に動員されていた生徒が多く、しかも引率の教師を含めて全滅のケースが多かったことに注目し、動員がどのように決定され、実施されたのか、当日建物疎開を行っていた学校、動員された人数、死亡者数などをまとめ、かつ「当日出動しなかった学校」についての証言を集めています。これも、45年7月の建物疎開の進捗状況の航空写真にそれぞれの学校のいた位置を重ねることで、イメージしやすくなっています。

 私事ですが(私事以外の何があるのか)、ぢぶんの父親というのは終戦時16歳で渋谷区の生まれ育ちですが、戦時中の話というのはほとんど「建物疎開は、壊すのは楽しかったけどほこりがすごくて大変だった」みたいな話でしたねぃ。
 なので、建物疎開は男子中学生の仕事、のように思っていたんですが、この本によると「中・高等女学校、国民学校高等科の一・二年生」とあって、女子もかなり動員されていたようです。考えてみれば、「原爆の図」の「少年少女」は建物疎開の生徒たちの絵だもんなあ……(←なんとなくつながってなかった)。

 建物疎開は、日中に、空襲があった場合に逃げ場のない場所で行うために、当初より生徒に当たらせるのは学校関係者の反対が多かったそうです。それを広島地区〔陸軍〕司令部の強い要請により、「中国地方総監及び広島県知事は八月三日から連日義勇隊三万人、学徒隊一万五〇〇〇人の出動を命令した」(「広島県史」より)とあります。
 で、多くはこの命令によって出動したわけですが、命令を拒否した学校もいくつかあります。郊外への援農に出している、学校が現場から遠いために作業効率が悪いなどの理由で。校長が前夜の警戒警報時より、翌朝空襲があるのではと感じ、一晩悩んだ末に、朝の警戒警報の時点で生徒を教室待機にさせ、叱責の問い合わせに対応している間に原爆が投下されたという、比治山高女のような例もあります。どこの学校も、原爆どころか、空襲があるとわかっていれば生徒なんか出さないでしょうが、それでもこの時点で命令拒否を貫いた教師たちがいた、ということはすごいな、とも思うわけです。

 長崎では建物疎開での原爆死をきかない、とは、この本で読んで「そういえば……」と思ったのですが、それは投下地点が長崎市街ではなくて浦上だったこともあるのかな、とも。だだっぴろいデルタが複数ある広島と、長崎とでは地形も違うしなあ。

 広島での動員学徒の原爆死が約7200人、うち建物疎開による動員が約5900人(長崎における動員学徒の原爆死が約1300人)というのは、いかにターゲットになる場所に生徒が動員されていたか、ということだよなあ。学校関係者の反対は理にかなっていたわけで。

 手記の中には、それこそ正田篠枝の「大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり」の歌を彷彿とさせる情景があって、なんともいえんようになるわけです。

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2013/08/19

広島爆心地中島

 前の本を読み終わってないんだけど、図書館に返す都合で先に読了。

 レビューあげてませんが、先だって、

 を読み終わりまして、これがまあすごい力作で、ぐいぐいあっという間に読んじゃったんですけど、核弾頭の中でウランの分裂が始まってから(つまり爆弾炸裂前)10秒間に何が起きたか、という検証もので。本の元になったNHKスペシャルも見たんですが、もう目からウロコがおちるような、すごいインパクトだったんですよね。
 で、本を読んだところで、たまたま別件で図書館をうろついていたらこれが目に入って、改めて爆心地の状況を読んだら、今まで気づかなかったことが見えるかもしれない、と思って借りてみました。

 中島、というのは、現在は平和公園になっている、大きな中州です。表紙写真を拡大すると手っ取り早いですが、表紙左のやや上、T字型のコンクリートの橋が、投下目標になった相生橋。2本下の左右にまっすぐ島と川とを貫く道路より上(北)が平和公園。ちょうど「中」の字の下っかわが引っかかってるのが史料館ですね。原爆ドームは相生橋の近く、川を挟んだ対岸にあります。実際の爆心地(島病院)は、ドームからさらに右(東)になります。

 で、「10秒」の本で読んだ、衝撃波の流れや火事の発生具合などを念頭に置いて読むと、やはり「なるほど」と思うところもいろいろあったんですが、それはそれとして。

 むしろ両者の本に共通するのは、「そこに人が住んでいた」ことへの喚起なんですね。「10秒」で、原爆ドーム近辺の街の再現を担った映像作家の田邊雅章氏は、ご自身が産業奨励館(のちの原爆ドーム)の隣に住んでらしたのですが、平和公園を案内していて「(原爆が落ちたのが)人の住んでいないところでよかった」と言われたことにショックを受けて、CGによる被爆前の町並みの復元を始めたとのこと。で、本(というか番組というか)は、その再現された町並みを元に、爆心から何メートル先は何によってどう破壊されたか、を検証していく。この「中島」の方は、中島を舞台に時間を追って出入りした人の証言で、その状況を裏付けていく。両者とも、被爆前の詳細な地図(住宅地図的な)を重ねていくことで、被爆前後の光景(平和公園ではない状態の)をリアルに想起させる。特に、「中島」についている地図は、中の字の多くが手書きで小さくて読みづらいのは難点ですが、現在の建物(資料館や原爆の子の像など)を重ね合わせることで、位置関係がわかりやすいですし、証言者の動きもイメージしやすくできています。

 そこで行き着くのはやはり、「土地の記憶」という問題なわけです。

 田邊氏であれ、この本の編者である「原爆遺跡保存運動懇談会」であれ、そこにあるのは、かつて自分(や親)の住んでいた場所に対する、深い愛情であったり、亡くなった人に対する想いなんですね。「平和公園でなかった街」に対する想い。それは長崎での、例えば浦上天主堂の保存運動とも重なってくるんです。残すにしろ、残さないにしろ、その土地に深く関わった者ほど、その想いは複雑で、一概に「どちらがよかった」とは言い切らない。

 ちょこっと続きます。

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2013/08/01

馬語手帖

 最近読んだ本から。

 カディブックスさんという版元さんがあります。所在地は与那国島。「馬語手帖」という本を出しています。

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 ちょっと光っちゃったけど、こんな本。だいぶ前に図書館預かり品かなにかでデータ作って、ちょっと気になってたんですよね。このところ、ダンナが与那国の撮影に何度か行ってるので、こんな版元さんがこんな本出してるよ、ちょっといい感じの本だし、馬の撮影の時に役に立つかも? なんて話をしてましたら、この間行った時に「買ってきたよー、見る?」というので、「くれ ( ̄▽ ̄)」と(お金は払いましたです)。

 文字通り、馬語の本です。馬はおしゃべりです。耳、目、口、尻尾、相手との間合いなどでたくさんしゃべります。この本は、その「馬語」を、イラストを交えて教えてくれます。
 版元さんのサイトに内容見本(こちら)があるので見ていただければ早いんですが、イラストがとってもいいんですよー。

 ぢぶんは特に馬と接点があるわけではないので、「役に立つ」かどうかといえばそこはそれ、なんですが、読んでる間はゆっくりとした空気に浸って、ぼんやりのんびりした気持ちになります。不思議なもんだねえ。馬のセラピーみたいなものかしらん(ちがう)。

 直販中心ですが、青山の246はじめ、いくつか置いている書店さんもあります(こちら。地方小の扱いはなかったような……)。直販で購入すると、馬のメッセージカードがついてきます(こちら)。実はカードほしさに通販で買おうかと思ったんですが、いろいろ取り紛れまして。えへへ。

 というわけで、ゆるくオススメ。

 

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2013/07/27

「戦火の中の……」ができるまで

 最近読んだ本から。

  「「戦火のなかの子どもたち」物語」 松本猛著

 先日、ちひろ美術館で買った本。著者の松本氏はちひろの息子さん。遺作となった「戦火のなかの子どもたち」ができるまでを、背景であるベトナム戦争や絵本作家たちの反戦運動、実際に使われた資料、ちひろの生活などを織り込みながら解説していく。

 「戦火のなかの子どもたち」はいわゆる「物語絵本」というよりも、「イメージ絵本」とでもいった方がいいのかな。ベトナム戦争のただなかにいる子どもたちに思いをはせて作られた絵本。その絵本がどのように作られたのか、残された2つのダミーと初校、完成品の4点を比較しながら、絵1枚1枚について、その意味や描かれた経緯、本の中での位置づけなどが検証される。当時、その作業を手伝った松本氏ならではのものだ。

 一応ぢぶんもかつてはその系統の編集者であったので、作業としてはよくわかる。月刊誌だったからサイズは決まっていて、専用の下絵用紙にラフを描いてもらうんだけど、上がったラフは必ずコピーを取って原寸大のダミーを作るんです。でないと、絵を断ち切ったときや、ページをめくったときの画面転換の感覚がちゃんとつかめないから。一度で上手くいかないときは、画面を入れ替えたり、拡大/縮小コピーを取って大小や配置を変えて見せたりして、作家に提案するのも編集者の仕事。ま、ぢぶんの頃はDTPどころか、カラーコピーも専門店に預けて1時間待ち、とかの時代ですからなー。あはは。

 しかしラフはともかく、初校から最終校の間に、順番どころか絵まるまる差し替わったりしてるのはびっくりした。予算なかったら絶対無理。4色でスキャンからやり直しって、どんだけーーーΣ( ̄ロ ̄lll)。それだけで、版元の岩崎書店さんの本気度がわかるというものですよ。すげぇ。

 1枚1枚の絵のエピソードもそれぞれ面白いのですが、こうして見ていくと、ちひろの絵本自体が至光社の名編集長・武市さんの影響をすごく受けている、というのもわかって面白い。「戦火……」は岩崎書店から出たけど、いわれてみれば武市さん的だ。ちひろ的なものと武市さん的なものがすごく近い。やっぱり育ててくれた人/育てた雑誌・版元のカラーって出るもんなんだなあ(と、いろいろ思い当たる)。至光社のカラーは結構独特だもんな。

 えーと。ぢぶんは元々、そんなにちひろの絵が好きではないんですよ。あの塗りつぶした瞳や、赤ちゃんのぷくぷくした質感みたいなもの、要は「魅力」といわれてる部分にあまり共鳴しなかったというか、むしろ不気味で怖かったんですね、そういうものが。それは最初の記憶が、家にあった「わたしのちいさかったときに」という、「原爆の子」から選り抜いた文章に絵をつけた本だったためもあるかもしれない。しかし「戦火の……」は、割に例外的に好きだったんですね。そのわけが、絵の分析を読みながら、なんとなく腑に落ちていったような、そんな面白さもありました。

 完成品を含めた4種類のものが対照されて載っていますし、中の絵もかなり載っているので、手元に絵本現品がなくてもよくわかります。絵本作家たちがやった反戦野外展の話が面白かったなー。


 

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2013/07/18

斎藤隆介童話集

 このところで読んだ本。


 「斎藤隆介童話集 (ハルキ文庫) 」

 ぢぶんが小学生の頃に斎藤隆介はブーム的に取り上げられていたような気もするんですが、もう少し前からコンスタントに読まれてはいたのかな。この種のことって、特に小学生の場合には、担任の先生の興味がどこいらにあるかで大きく印象が違うからなあ。ぢぶんは、2年の時の担任が学級文庫活動とかに熱心な人で、毎日「終わりの会」の時に読み聞かせをしてくれていたので(←しかも生徒が持ってきた本を順番に読んでくれた)、それは後々の自分にもかなり影響を与えてくれていたと思います。学級文庫も持ち寄りでね。それぞれ、ほかの人にも読んで欲しいと思った本を持ってきて、先生に申告して教室に置いておく、という(で、もう引き上げようと思ったら、先生に申告して持って帰る)。

 まあ詳しくは覚えてないんですけど、斎藤隆介も、この頃に読み聞かせてもらったように思うんですよ。「八郎」とか「三コ」とか「花咲き山」とか。
 あらためて読んでみたけど、覚えてないもんですなー(笑)。「ひさの星」とか、てっきり犬にかまれて死んだように記憶してたけど、それは前半の話であったよ。「三コ」とか、絵は覚えてるのに話は全然覚えてなかった。「ベロ出しチョンマ」は思っていたより短かったし。

 小川未明が「町」を舞台にしたプロレタリア文学なら、斎藤隆介は「農民文学」(あるいは「農村文学」)なんだな。カムイ伝連載の時期と重なっているのがなんとなくわかるような。宮沢賢治とは、重なるようで重ならない。もっとパワフルで、骨が太い。手の節のごつさを感じさせるような。

 絵本で読むのもいいし、そもそも絵本として書かれたものは絵本で読むのがいいにしても、こうしてヴィジュアルを捨象して読むと、逆にその文体の、あるいは作家本来の持ち味みたいなものが見えてきておもしろいなー、と。このシリーズのよさはそこにあるんだけど、いかんせん挿絵がどれもよくないんだよな……。いっそなくていいのに、と思ったり。

 
 

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