じょうちゃん、モモちゃん
昨日、松谷みよ子さんの訃報がありまして。
ぢぶんは面識はないですが、最初に就職した版元は絵本を出していたので、編集長(当時)は多少付き合いがあったようでした。その時は書き下ろしでもらったのではなくて、既存の童話を絵本にしたんだと思ったけどな……。
まあ、ぢぶんはご多分にもれず、モモちゃんを愛読したくちですが、リアルタイム(?)で読んだのは「モモちゃんとプー」まで。アカネちゃんが出る頃にはもうモモちゃんは「卒業」しちゃってたんですね。民話などはその後もずいぶん読みましたけども。
で、編集部ではお仕事がら「びわの実」をとっていて、仕事の合間に毎号読んでたんですけども、それがちょうど「モモちゃん」シリーズの最後の方がぽつぽつと掲載されていた頃。連載ではなくて、「時々載ってる」みたいな感じじゃなかったかと思います。もう20年以上前だからなあ。
ある日、編集長が「松谷さん、気でもおかしくなったんじゃないか」と言ったのは,最後から二番目、モモちゃんたちがパパの埋葬をするお話。それはもう確かにその号だけ読んでもなにがなんだか、といった感じで、いくらなんでもこれは……、と思いましたけども。
そんなこんなで引っかかってはいたのですが、結局通しで全巻を読んだのはそれから20年以上あとの去年だか一昨年だったか、という( ̄▽ ̄)。それ以前に自伝の方を読んでいたのもありまして、こりゃまったく壮絶な話すぎるわ、と。お子さんの「どうしてママとパパがさよならしたの」という素朴な問いかけから始まった(らしい)このシリーズの後半戦は、象徴的な(隠喩的な)話が多くて、ちょっと一筋縄ではいかないといいますか。まあ一筋縄でもいけなくはないんですけど、ある程度松谷さんちの事情(太郎座の件とか)を知ってから読むとこりゃすごい話に踏み込んだもんだな、と思うんですけどね
「歩く木」のたとえとか「死に神をピーナツにして喰っちゃう」とかのあたりはまあわかりいいといいますか。「パパのくつだけが帰ってくる」っていうのは、そりゃ「大人の自分」は「それはリアルすぎー」と思いますけども。狼の皮をかぶったパパとかね。それはそれは卓越した表現だとも思うけども、メルヘンかホラーかって顔をして、実は壮絶な話を書いてるわけで。「涙の海にクジラさんが来る」と「パパのくつが帰ってくる」のは全然別の次元の話なんですよ(編集長もむしろわかってるからそういう反応だったと思うんですが)。
そんなわけで、こちらが自伝。
これは面白いので、ぜひ。しかし太郎座って、日本のコミューンの悪いところがモロ出しになってる印象だよな……。白土三平ファンの方もぜひ……かどうかはよくわからない。
モモちゃんシリーズのラスト2冊。いせひでこの挿絵がいいですよー。
民話も大きな業績として忘れちゃいけない。特に「現代民話」の概念は、都市伝説とは違った切り口で、学ぶところも大きい。
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