2019/01/14

ここ最近のこと/正月は沖縄

 すみません、ご無沙汰しておりました。なんとか生きてます。

 昨年3月末に会社の(前)社長と(前)取締役の対立がピークに達しまして、そこいらから精神的にまいっちんぐな状況だったんですが、秋からちょっと「これはヤバイのでは……、もしかして噂の若年性痴呆とか軽度記憶障害というヤツでは……」ということが相次ぎまして、年末近くなってから「もの忘れ外来」というところの扉を叩きましてん。したらですね、
 「痴呆症じゃなくて抑うつですよ」
……と、あっさり診断が降りました。抑うつで集中力、判断力、思考力、気力、記憶力が落ちてたんですな。何もかも落ちてるじゃん(ちなみに12月は体重も3キロ落ちたw)。
 幸い、それほどこじらせていなかったので、とりあえず抗うつ剤での治療をしています。今のところはさほど副作用(吐き気とか)は出てないですが、翌朝ちょっとふらつく感じがする(昼前には落ち着く)のと、口が渇くのはありますな。徐々に本が読めたり、皿が洗えたりするようになってます。いやー、いろいろ大変だったわ( ̄▽ ̄)。

 そんなこんなで無気力に暮らしてますが(会社には行っている)、正月は沖縄に行ってきました。ツレアイから「今年は来い」ってことで、もう10月くらいにはチケットやら宿やら取っていたからなんですが、ま、ゆっくり話も出来たし。

 写真、撮りすぎて(笑)全然整理が出来てないんですが、例に寄って食い物だけ。


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 首里城前にあったポーク卵おにぎりの専門店「ななむすび」(イートインあり)にて。飛行機が那覇に着いたのが2時前で、玉陵を見て首里城前に戻ったのが4時頃。機内で朝ご飯を食べただけだったので、ちょっとお腹に入れたいなー、というわけで、ポーク卵+かつお梅のおにぎりと珈琲。かつお梅たっぷりで、正直他の味がしなかった気もするけど、それはそれでおいしうございました。メニューはこんな感じ。もずく天が売り切れてたの……orz。

 あとは沖縄的なものは食いっぱぐれまして、最終日の昼に「沖縄っぽいものを食わせろ〜」と駄々をこねて県庁前のりうぼうの「ふる里」でこちらを。

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 あーさ汁定食(780円)。じゅーしー(炊き込み)、炒り卯の花、ミミガー、くぶいりちー(切り昆布炒め)、小魚の南蛮、アオサと豆腐の汁物、お新香。健康的だなー。ミミガーは酢味噌が苦手なので、ツレアイに食べてもらいました。

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 おそらく沖縄ボトラーズの販売機。「午後の紅茶」ならぬ「霧の紅茶」はUCCらしい。さんぴん茶にちゃんと「ジャスミンティー」って書いてあるのがミソ。アメリカンクリームソーダってなんだろ……。

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 見覚えのないバヤリースが! しかも他のより高い!

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 ……というわけで、帰りに空港で買ってみました。懐かしのトリスコンクの味でした。実はグァバも買って、まだ開けずにうちの冷蔵庫に入ってます(グァバジュース好きなん……)。なぜか、グァバとマンゴーは170円でパインは160円だったんだよ……ていうか、なんでオレンジまで高いの……。


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2016/09/28

劇映画「沖縄」第1部のいち

 「えこだ沖縄映画祭」(こちら)で、劇映画「沖縄」第1部・第2部を見る。第1部65分、第2部125分でえらく配分が悪いと思ったら、元々1本のインターミッション入り映画だったのね。それにしても配分は悪いんだけども( ̄▽ ̄)。

 1970年公開となってるけども、製作した共同映画社のHPによると1969年製作上映とある(こちら。←( ・`ω・´)キリッとした地井武男がかっこいいぞ!)。監督・脚本は武田敦。製作の中に山本薩夫の名前がありますが、スタッフロールの製作委員会的な(正確に覚えてない)人々の中には今井正の名もあったかと思います。地井武男の初主演映画。

 第1部「一坪たりとも渡すまい」 

 テロップは「昭和三X年」。三郎(地井武男)一家、清(石津康彦)一家らが、荷車に家財道具を積んで移動しているところから始まります。彼らは謝花の米軍用地接収で土地を取り上げられ、平川(架空の地名?)へ行けば土地も仕事もあると言われてやってきたものの、その平川でも同じように土地接収が始まろうとしていた。「平川土地を守る会」は古堅(中村翫右衛門)を中心に、話すときには手を肩より上げない、などの取り決めを守りながら米軍と交渉していた。その話し合いのさなかに三郎と清、たまたま出会った黒人とのハーフの少年・亘(子役)とは、米軍トラックから測量用のポールを盗み出す。それに気づいたワタルの姉・朋子(佐々木愛)は、ワタルに泥棒を教えるなと怒るが、三郎は「ウチナンチュの物を盗んだら泥棒だが、アメリカーの物を盗むのは戦果だ」と悪びれない。

 三郎一家と清一家はキャンプハンセン(だったと思う)の従業員募集に応募するが、三郎と清は未成年だということで雇ってもらえなかった。むしゃくしゃした三郎は、清を巻き込んで米兵から毛布の束をくすねる。米兵に追いかけられた三郎は、毛布の束を、野菜売りをしていた朋子のリヤカーに突っ込んで難を逃れるが、朋子は自分の取り分として半分近くをちゃっかり持っていく。弟と年取ったおばあを養うのに仕事は選んでいられない、という。3人は門中の山城(加藤嘉)に畑や売り物の野菜を借りて、細々暮らしていた。その山城は、米軍の接収予定の地図を手に入れ、アメリカに留学予定の息子・朝憲(岩崎信忠)に訳させて、集落の接収される半分を見殺しにする算段を始めた。
 ある日、三郎は朋子を青年会の毛遊びに誘うが断られる。その夜、朋子の家に母が帰ってくる。亘の父親の米兵が朝鮮から帰ってきたので、亘を連れにきたのだ。朋子は家を飛び出して毛遊びに行くが、亘が追ってくる。その席で、朝憲の接収予定地図についての諍いが起きる。

 夜中、米軍がやって来て、銃剣とブルドーザによる土地接収が強行される。朝憲は父に「なぜ鐘を叩かないのか」と問うが、山城は「鐘は叩かないことになっているし、叩いても誰も行かない」と答える。
 古堅の家では息子の政孝(杉本孝次)が、何度陳情しても無駄だと父をなじるが、古堅は信念を変えない。学校帰り、政孝と朝憲は、古堅たち「土地を守る会」の一行が、琉球政府の前で三線を弾き、窮状を訴えて座っているのに出くわす。近くの店の人・歌声に集まった人々が涙を流してそれを聞き、店の品物やカンパを置いていく。自分も泣きながらそれを聞いていた政孝は、靴を脱いで古堅らに加わる。

 演習が始まった。三郎と清は演習場での不発弾拾いを始める。父らの運動を支える決心をした政孝がそれに加わり、朋子と亘も小さな薬莢を拾い集める。ある日、米兵に見つかった彼らはなんとか逃げおおせるものの、清が逮捕されてしまった。山城は、畑の多くを接収されてしまったので、朋子のおばあに貸している畑を返せ、と迫る。そんな時、畑にいたおばあは演習機の機銃掃射で殺されてしまう。

 おばあの葬式の場で山城は、朋子の家の墓は演習地の中にあるので、おばあは近くの山に埋める、と言う。朋子は、おばあはおじいの傍に行きたいと言っていたのだから、なんとしても演習地の中にある墓に埋めると言う。三郎たちがそれに加勢し、一同は葬列を組んだ。その途中で清が、ボリビアに行くことになったと告げる。清が逮捕されたことで、両親が米軍のパスを取り上げられてしまったのだ。葬列はゲートを突破し、墓へと向かう。
 

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2014/11/22

圧殺の海上映会

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 今年の正月の初日の出。辺野古の海です。
 ツイッターの方では連日そこそこの情報を流してますが、知事選の仲井間大敗以後、シュワブゲート前と辺野古海上での闘いは、まさに「闘い」となっています。防衛局・海保・機動隊の暴力的なやりくちはエスカレートしています。
 興味のある方は(できればない人も)TWの方も合わせてご覧ください(こちら)。

 琉球新報に、報道関係と映画監督が現場から力尽くで排除された記事が出ていますが、その排除された映画監督(って言い方もナンだな……うちのダンナも船上でごいっしょしているようです)、藤本監督の映画の上映会が今日の夕方に武蔵境であります。

 「圧殺の海」上映会 詳しくはこちら

 11/22 日(土) 19:00~ 武蔵野プレイス 4F フォラーム(JR 中央線「武蔵境」駅南口 徒歩 2 分/武蔵野市境南町 2-3-18) 資料代:500 円 ゲスト:藤本幸久監督

 新横浜のスペースオルタでも。
 日時 11月24日(月・祝)、25日(火)、30日(日)
    各日3回上映:1回目 13:00~、2回目 15:30~、3回目 18:00~
    ※ 各回上映後、監督のお話あり。
    場所 SPACE ALTA 横浜市港北区新横浜2-8-4 オルタナティブ生活館B1
    TEL&FAX 045-472-6349 JR新横浜駅から徒歩6分 地図:http://spacealta.net/#map
    当日 1200円、前売り 1000円(電話・FAXでの予約可)

 自分は24日の2回目に行きます(そのあとそごうでトーベヤンソンを見る予定)。現場や運動は敷居が高いけど何が起きてるかを知りたい方(知りたくない方も)はぜひぜひ。

 いやー、昨夜ここまでやってから寝るつもりだったのに、熱に負けたわ−。なんとか下がったからこれから歯医者に行くけど、ハナミズつらい。

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2014/11/16

魂魄の塔

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 沖縄南端、摩文仁の海です。沖縄戦末期の6月、この海は見渡す限りの米軍艦船で埋まり、陸は死体とけが人とで埋まり。血のにおいと火薬の匂いと。できることなら何度でも、ここへ立ち返って「土地の記憶」を身体に染みこませたい、そう思う場所のひとつです。

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 「魂魄の塔」は戦後、初めてできた「慰霊塔」です。半ば自然発生的に集められた遺骨が積まれてできたそれは、むしろ「墓」と言った方がよかったのかもしれません。こちらの説明が経緯についてよくまとまってるかな。
 この塔はいわゆる「摩文仁の丘」の慰霊塔群とは別に、ひめゆりの塔から脇道を入って南に下がった先にあります。ちなみにこの脇道は「沖縄県道223号魂魄之塔線」というそうな。

 この写真を撮ったのは2009年の2月だけども、忘れられないエピソードがありまして。
 先ほど書いたように、この塔はいわゆるメジャーな「南部戦跡」コースからはずれてるんですね。バス停もひめゆりではなくて米須入口だし、バス停からもちょっと離れてる。まあ自分はこれくらい天気がよければ歩くけれども、雨降ってたらちょっとな、ていう程度の距離。この回りにも「広島の塔」をはじめ、都道府県別の慰霊碑がいくつかあるので、そこから来た平和学習のグループはいくつかこの日も会ったけれども。
 んで、魂魄の塔からひめゆりまで歩いて、その辺りにある店で軽く休んでからバスに乗って帰ろうと思っていたのだけど、バス停の時刻表を読んでるところをタクシーの運転手さんに拾われて(笑)、もう1人の人と乗り合いでそのタクシーで那覇に戻ることにしたわけです。

 そしたら、タクシーの中で運転手さんが、あなたさっき国道を、ひめゆりの向こうの方から歩いてきてたでしょう、どうしたんですか、と聞くわけです。なので、ああ魂魄の塔へ行ってきたんですよ、と何の気なしに答えたんですね。したら、運転手さんがいきなりびっくりしたような大きな声になって、魂魄の塔へ行ったんですか! あそこ行くヤマトの人少ないですよ! へええ、歩いたら結構あったでしょ! ……てな具合で、その後はすごくスムーズに、いろんな話をしてくれました。
 なんかね、そんなに行く人は少ないのかな、と。まあ平和の碑ができた後は、大概そっちに行くしなあ、駐車場も広いしバスも止まるし資料館もあるし。でも、地元の人にとってはやっぱり特別な場所なんだなあ、と、多少切なくなりながら、塔の意味の大きさを思ったもんです。


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 この塔の建立に、次の県知事に決まった翁長氏のお父様が関わっていたというのは、今回の選挙で初めて知りました。2012年のインタビューです(こちら)。以下引用。

  「旧真和志村に住んでいた。いまの那覇新都心ですね。戦争で村は焼け、住民は糸満市に住むよう指定された。あたりは遺骨だらけ。村長とおやじが中心になって4千体くらい集めたらしい。最初は穴に埋葬していたけれど、数が多くて骨が盛り上がり、セメントで覆った。それが魂魄の塔。命名したのはおやじです。だから僕も、選挙の時には必ず早朝に行って手をあわせる」

 「おやじとおじいちゃんは防空壕(ごう)から艦砲射撃を見ていたそうです。『大変だね』と話していたら、おじいちゃんがやられた。埋葬する余裕がないから、石を上においた。戦後遺骨を探したけれど見つからなかったそうです。母親の妹は、ひめゆりの塔で看護師として亡くなった。沖縄の人は、みんなこうなんだよ」

 「戦争中にああいうことがあり、戦後も米軍の占領下でほったらかしにされても、沖縄は日本に操を尽くしてきた。なのに『沖縄さん、基地はあなた方で預かって、かわりに振興策をとればいい』などと全国市長会でも公然と言われる。論戦をしたら大変なことになるので、『そういうわけじゃないんですけどね』と言葉を濁すさびしさ。わかりますか」

 このインタビュー全文を読む限りでは、これから個々の政策の中でいろいろと対立する場面もあるのかもしれないとは思うけども、それはそれとして、沖縄で「保守」と呼ばれる人々が今何を思って選挙を戦ったのか、これからあると言われている総選挙で何を戦うのかが、見えてくるのではないかと思います。

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2014/02/01

残波

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 正月の沖縄の写真がありすぎて、どう整理したものやら。

 これは読谷・残波岬の北側。クリックして拡大すると、小さなヨットが見えるかも知れません。


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2014/01/15

これもシーサー(多分)

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 こちらは名護市内の小さな公園にありますシーサー。獅子っつうよりヒヒだよな(東京モンにとっては同じ発音)。ぢぶんが小学生の頃に習っていたお茶の先生が木場の生まれで、「引いて」が必ず「敷いて」になってたなあ。

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 まあぢぶんは変わり物よりもごく普通の伝統的なヤツが好きですよ。

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 同じ公園から、元旦の日の入り。

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2014/01/14

沖縄ビミョーに食いっぱぐれたような日記2

 さて元旦。6時前にたたき起こされ、辺野古の浜でお雑煮をいただきまして。そこからはひとりてくてくと中城へ。いや、石平(いしんだ)まではバスで行きましたけどね。そこから3キロちょっと、てくてくと。

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 ま、こんな感じのとこ。さすがに3キロ歩くと汗だくです。ちょっと厚めの長袖Tシャツ1枚でしたが、そんでも汗だく。入場料(400円だったかな)を払ってから、売店でマンゴーソフトクリーム(300円)をいただきまして。ええ、沖縄サイズというか、結構ボリューミー。写真ないけど。

 中をぐるぐると回って、見晴らしのよい芝生あたりで概ねお昼近く。石平のバス停近くのローソンでトイレを借りたときに買った焼き菓子系のお菓子などいただきながら、ああなんでオレおにぎり買わなかったんだよ……と軽く後悔しつつ。世界遺産だ観光地だといったところに食うところがあるとは限らないんだって前回学んだだろオレ……orz。

 そうして3キロまたてくてくと歩いて、キャンプ瑞慶覧にぶちあたる交差点にある観光案内板まで戻りましてさてこれからどうするかなー。普天間宮洞窟まで2キロ足らずだったら、見に行こうかなまだ見てないし。普天間まで行けば食うところあるだろ。米兵がいるとこにはマックがあるよ、きっと。安谷屋のバス停は……あ、次のバス、あと30分来ないよ。

 で、またてくてくと。


Ca3k0922 初詣で大賑わいΣ( ̄ロ ̄lll)。入場規制中だよ! 洞窟見たかったのに! 
 ……洞窟、好きなんですよ。鍾乳洞とか。高いところはダメなんで、足場のいいところ限定で。
 ええと、普天間宮については全然詳しくないので、こちらでも参照いただければ。

 写真では、手前で規制されてますが、この後ろの歩道に延々と入場を待つ人の列と、屋台の列が。

 
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 歩道が狭くてとても写真を撮る余裕がなかったので、対面から。だって普通の歩道ですよ。ただ、出てるのも普通の「テキヤ」というより、地元商店街の出店っぽい感じ。焼きそばとたこ焼き率が高いけど。あと、ケバブとか。イカ焼は、こちらで見るような姿焼+げそではなく、でかい短冊に切って野菜炒めっぽくなってました。
 ……でも普通の幅の歩道で輪投げとかやるんですよ……。ガードレールの手前から歩道を横切るように投げるようになってる。アブねぇよ、人、通るんだよΣ( ̄ロ ̄lll)! 

 いちばん右端の、ちょっと琉球調の屋根のあるところが普天間入口のバス停です(クリックで拡大できます)。後ろは普天間基地。

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 バス停を過ぎるとちょっとスペース的な余裕も出て、テキヤ感が。


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 いちばん端っこはバルーンの大道芸。わかりにくいですが、長いバルーンで作った白い馬(首に「2014」の文字)をかぶったお兄さんが、風船でいろいろ作って見せてました(手前のおっさんは通りがかり)。多分、既得権のないフリーの人が端っこにつかされてるんじゃないかな(憶測)。普天間宮の入り口からここまで1列。フェンスの後ろは普天間基地です。大事なことだから2回目ね。

 さて、ここまでテキヤはあれど、マックはない。どうしよう。座って食いたいんだ、オレは。でもまあ仕方ないから何か買って、バス停のベンチで食うか。走行中のバスで食うと酔うからな。
 つことで、逆戻り。概ね1パック500円のところ、もう店じまいだから300円だよー、という焼きそばをゲット。通りを渡って普天間入口のバス停……って、バス来るよ、おいΣ( ̄ロ ̄lll)! 

 焼きそばを抱えたままバスに乗り、3つ先の伊佐で北部方面に乗り換えです。おっ、今度こそマックの看板があるじゃないか。焼きそばはダンナん家で食ったっていいしな。どれどれ……

 ……「この先2.5Km」……orz。

 マックのために往復5キロは歩けん。次のバスは……あと4分。4分ありゃ食えるか。つことで、ベンチのない普通のバス停、歩道に座って3分で焼きそばを食いました。ええ、沖縄そばでない、ごく普通に東京のテキヤで食える焼きそばです。お店によっては沖縄そばの焼きそばもあるんですが、屋台は一律「普通の」焼きそばでしたな。人通りがなくてよかった。

 で、無事バスに乗り、ダンナんちの最寄りで降り。……ああ、あったよマック……。と何か吸い寄せられるようにマックに入り、カフェラテとポテトをいただいたのでありましたよ……。この段階で4時ちょっと前。元旦から何やってるんだ、オレ……。

 夕飯は、ダンナの手料理(主に大晦日に食い忘れた沖縄そば)をいただきました。上げ膳据え膳ですわー。

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2014/01/13

辺野古のフェンスにて

 辺野古の浜、キャンプ・シュワブとの境界のフェンスには、各地から送られたり持参されたり、あるいは辺野古で描かれたりした、様々な幕が貼ってあります。

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 こんな感じで。フェンスの向こうがキャンプシュワブ。すぐ手前の浜でも装甲車による演習が行われることがあります。


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 年末に、オリバー・ストーンとピーター・カズニックが来日したときの番組の再放送を見ましたが、そのときに辺野古に二人が来訪した映像もありました。彼らは帰国してから、約束通りにチョムスキーやマコーマック、ジョン・ダワーらと「沖縄への新たな基地建設に反対し、平和と尊厳、人権、環境保護のために闘う県民を支持する」声明を出しました。
 カズニックは、ストーン監督の「アメリカ史」シリーズのスクリプトを担当したアメリカン大学の准教授で、同大学の核問題研究所所長だそうですが、毎年、8月には学生を連れて広島長崎を訪れ、日米の学生の交流を図るとともに、被爆者の証言集会にできる限り参加しているとのことでした。こちらに二人のインタビューが。


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 幕だけでなく、打ち上げられた貝殻やサンゴを使ったこんなものも。

 カズニックの本、持ってたよ( ̄▽ ̄)。まだ読んでないけども。


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2014/01/11

合歓っぽい……

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 何かがぽんぽん状に咲いているのですが、よくわからない。ネムっぽい木。読谷の残波岬ロイヤルホテル近くの浜で(ホテルのプライベートビーチ?)。

 
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 あとこれもやたら見るんだけど、名前がわからない。元気のよすぎるロゼット。

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2014/01/10

残波

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 こちらは読谷の残波岬。北側に回ったところだったと思います。大晦日は小雨だったんですが、元日・2日と天気が良くて、海も空もきれい(ちょっとピーカンすぎてとんだりした写真もありましたが)。ダンナの話では、この時期はあまり天気がよいことはないそうなので、ラッキー( ̄▽ ̄)だったらしい。残波岬は、行ってないのが心残りだった場所のひとつなので、行けて良かったな、と。

 いろいろたまってるんですがすみません。


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